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平山郁夫夫人の美知子さんは、昭和22年東京美術学校(現東京藝術大学)日本画科 に入学、昭和28年の院展に「群像」という作品で初入選・初奨励賞受賞という快挙をなし とげたほどの才能の持ち主であったが、昭和30年平山郁夫氏と結婚する際 「もし、何かを捨てるのなら、自分にとって、一番大切なもの 価値あるものを捨てる。」と、思い定めて筆を折ったそうです。 それゆえ、夫妻共通の師である前田青邨画伯に 「もし絵描きなら、夫婦で競い合っていてはうまくいかないよ。どちらかが潰れるか 共倒れしてしまう、どうするんだね」と問いかけられたとき、きっぱりと 「わたしが、絵を捨てます」と即座にいいきったそうです。また、 青邨画伯も、長い沈思の末、「それもよかろう。」と承認され 結婚生活がはじまると同時に、美知子さんは筆を折り、夫の大成を目指して 生活をスタートさせたということです。 この生活を共に歩んだのが83冊の家計簿でした。 この家計簿は、日々のこまかい会計のほか、夫妻の貧しかった無名時代 昭和32年9月25日の郁夫画伯の白血病発症 父母の死や子供の誕生 画業大成のため幼い子供を両親の元に預け、精進する日々 画伯の出世作「仏教伝来」の制作秘話 シルクロードへの旅立ち などの逸話にみちています。 詳しくは、平山美知子著 「道はあとからついてくる 家計簿に見る平山画伯家の足跡」に書かれています。 残念ながらこの本は絶版となっていますが、amazon.co.jpのマーケットプレイス で入手可能のようですので、興味のある方はご覧になってみてください。
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