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クリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」のDVDを楽天ブックスに予約していたら、リリース日の20日に届いたので、早速主人と姑と三人で見る。 キャストは皆芸達者で、西郷役の二宮君も、アイドル出身とは思えない演技力で、アカデミー賞ノミネートの噂もあながち嘘とは思えない。栗林中将の渡辺謙もはまり役で、イーストウッド監督が「最高のキャスティング」といったのも、お世辞ばかりではないと思える。 アメリカ人のプロデュース、アメリカ人の監督、アメリカ映画のスタッフで撮る映画なので、脚本も英語と日本語が判る人間が書かなければいけなかったということで、アイリス・ヤマシタという日系二世の女性が起用された。 脚本は、まず英語で書かれ、それから日本語に翻訳され、日本の俳優たちはそれをもとに演技をしたという。特典CDのメイキングで明かされた制作秘話である。 感想は、硫黄島の戦いというものを初めて評価した映画がアメリカ映画として作られたことへの賞賛と驚きと不満というべきだろうか。 硫黄島の戦争も、アメリカ人が作った映画なので、アメリカ兵との戦闘は、日本人が圧倒的な火器に攻め込まれ、バッタバッタと斃れていくシーンしか映されない。 日米双方がこの局地戦をどのように捉え、戦術的に戦ったのかという大状況がないので、ドラマが薄っぺらになっている。 わたしの父は、戦争中兵役につき、台湾で戦闘を経験した。爆撃を受け、隣にいた兵士が吹き飛ばされ命を落とした。常に死の気配を感じていた、といつか一度だけ語ったことがある。実際に、映画の中でも西郷という一兵卒の目を通して描かれていく世界は、そんなものである。 戦闘の小状況というものは、そういうものであろうし、その点ではイーストウッド監督は、きめ細かく緻密に物語を運んでいる。 しかし、硫黄島2万の死者という、死屍累々の意味したもの、その後の日本本土への大空襲・原子爆弾の投下による多くの死者が見えてこない。 たしかに、この映画のテーマである「後世の日本人は、国を守ろうと犠牲になった人々がいたことを誇りに思うだろう」という視点は、戦後60余年たって初めて提示されたものであろう。しかし、それがアメリカ側から提示されたものであり、日本とアメリカの戦後の属国とでもいうべき「同盟」関係を思い浮かべるとき、遠景に一兵卒としての若き父を思い、原爆ドームを思うと、複雑な想いを禁じえない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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