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ニューヨークのロックフェラーセンターのクリツマスツリーが点灯された。 ロックフェラーセンターといえば、バブル期の1989年 三菱地所が買収し、金満日本の象徴ともいえる存在だった (その後のバブルの崩壊で持ちこたえられなくなり、手放してしまった このことにより、アメリカ企業のしたたかさを我々は思い知るのだが) そして、あくる年1990年 ニューヨークのサザビーズのオークションで ゴッホの「医師がシェの肖像」と ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の二作が 125億円と190億円というオークション史上まれに見る高額で 日本人の個人コレクターが落札したというニューズが世界を駆け巡った 落札したのは、大昭和製紙(当時)の斉藤了英会長(当時) 「ほんの小遣い」とか「ワシが死んだとき、一緒に荼毘に付してほしい」など 思い上がった言動で顰蹙をかったものであるが これも金満日本の象徴ともされた事件であった。 しかし、おごれる平家は久しからず ロックフェラーセンターは、管理会社の破産を経て、格安でアメリカ側に買い戻され 大昭和製紙も業績不振で日本製紙に合併され 齋藤氏にいたっては、刑事被告人と成り果て ご自慢の絵画は金融機関の管理となり、おそらく散逸の憂き目にあったであろう。 その一連の流れの中、58億円という高額でゴッホの「ひまわり」を取得した 安田火災海上保険(当時)も、時代の荒波に揉まれたが こちらは、「損保ジャパン」と名前を変えただけで 「ひまわり」は、その本社に併設された美術館にいまだ健在である。 その「ひまわり」のある損保ジャパン東郷青児美術館で 「丸紅コレクション」展が開催されている。 その企画の目玉が、これ ↓ 日本にある唯一のボッチチェルリ「美しきシモネッタ」 この作品のモデルと伝えられるシモネッタ・ヴェスプッチは 1475年にロレンツォ・ディ・メディチ主催の「大騎馬試合」で 美の女王に選ばれた絶世の美女 1969年に絵画輸入部門を設立し絵画ビジネスに乗り出した総合商社丸紅 しかし、1979年第二次石油ショックで絵画ビジネスは不調となり 子会社化していた絵画部門の買い求めた作品は 丸紅本社に移管され、「丸紅コレクション」として保管された そのため、この作品も散逸をまぬかれ現在に伝えられている。 その後のバブル期に信じられない値段がついた印象派絵画でなかったためであろうか はたまた、目利きが居なかった、(もしくは居た)ためであろうか 奇跡のように日本に残されたイタリア・ルネサンス期の宝石である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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