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天満さんが「望郷のバラーダ」に巡り会ったのは、いくつかの偶然が重なっていた。 と、言うより、この曲と彼女は巡り会うべくして巡り会ったのだ、と その偶然のドラマティックさを知ったとき、思ったものだった。 まず第一に、チプリアンン・ポルンベスクのこの曲の楽譜は ウィーン大使館在勤の岡田眞樹氏によってもたらされたものであった。 ウィーンに勤務していた氏は、自身ヴァイオリンを弾く事もある、音楽に造詣の深い方 ある日ふと立ち寄った小さな村のコンサートで ルーマニアから亡命してきた楽人イオン・ベレシュの演奏に接する そのコンサートのアンコールに弾かれた曲こそが ポルンベスクの「バラーダ」と題された曲であった。 8年後再会を果たした岡田氏に、ベレシュは一枚の楽譜を渡し、 「これは、君と最初に会った夜、僕が弾いたルーマニアの秘曲だ。 百年ほど前に作られたものだが、僕は国を出るとき、楽器と共にこの楽譜を持ち出し、 以来、毎日弾いては故国をしのんでいる。時折弾いて、僕のことを思い出して欲しい。 それから、もしこの曲の心を理解して下さるヴァイオリニストがいたら、 君の国に紹介してくれないか」 (天満敦子著「わが心の歌 望郷のバラード」に紹介された 日本経済新聞に掲載された岡田氏の文章より) そんな岡田氏が、東欧に出張中に 国際交流基金の文化事業でルーマニアを訪れていた天満さんと巡り会うのだった 「バラーダを託す相手は、この人しかいない」と、手渡された件の楽譜 別の曲のCD録音の合間にふと一節を弾いたその曲が 敏腕プロデューサー中野雄氏の耳に止まり CDの製作、発売、本邦初演のコンサートに繋がっていく 詳しくは天満さんの著書をご覧頂きたいが、 この岡田氏を天満さんのコンサートに招待したのが 中野プロデューサーのご友人の古川ルーマニア大使であり その古川大使こそが、そもそも、天満さんのルーマニア招聘の元となった方なのだから 本当に、百年の時を越えてポルンベスクの想いが また、漂白の楽人イオン・ベレシュの想いが この出会いを実現させたのかも知れないと、 今更ながらに、「事実は小説よりも奇なり」の感慨を新たにするものである。 ☆ ☆ ☆ 余談であるが 高樹のぶ子著「百年の預言」の下巻に「謝辞」と題する文章が載せられており その中で、高樹氏は 岡田眞樹氏が、この小説の核となる「謎の楽譜」の作成と音楽的検証に関わったことを 書いている 作中の間賀木奏のモデルは、言うまでもないことであろう こういうことを考えるのも、「虚実皮膜」の楽しみなのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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