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次に行った先は、浜松市天竜区の秋野不矩美術館 浜松駅から私鉄の遠州鉄道に乗って西鹿島へ そこからバスで20分ほど バスを降りてからが、また大変 だって、美術館はブーメラン型に曲がった急な坂を上ったところにあるんです。 これは、坂の折り目のところからはるかに見上げる美術館の屋根。 まだまだ坂を上らなくてはなりません。 やっと美術館入り口に到着、ゼイハァ、ゼイハァ、と息の上るわたし。 エスニック調のこの建物は、基本設計が藤森照信氏 画伯のライフワークであるインドをイメージした設計であると言う。 秋野不矩は、1908年磐田郡二俣町城山(現:浜松市天竜区二俣町)に生まれた。 この美術館は画伯の画業を顕彰し、その故郷に建てられている。 京都で西山翠嶂に学び、京都市立藝術大学の教師として、京都を中心に活躍 これは初期の頃の絵 しっかりした造形で、香気のある、いかにも京都派らしい日本画の典型である。 画伯の経歴には、 「戦後間もないころ、新しい日本画を創造することを目的に「創造美術」の結成に参加 官展時代の作風から脱却した西洋絵画の特質を取り入れた様式で 創作活動を続けてきました。」とある もし、画伯が54歳のときインドとの出会いがなければ 多分画風は、この絵の延長上に展開して行ったのではないだろうか。 けれど、彼女の到達した地平は、このようなものであった。 代表作「渡河」 激しく流れるガンガーの濁流を その流れに呑まれまいと渡っていく水牛の群れ 雄渾なインドの大地を描き出した傑作である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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