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EYASUKOの草取り日記

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2010.03.17
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カテゴリ:カテゴリ未分類

次に行った先は、浜松市天竜区の秋野不矩美術館

浜松駅から私鉄の遠州鉄道に乗って西鹿島へ

そこからバスで20分ほど

バスを降りてからが、また大変

だって、美術館はブーメラン型に曲がった急な坂を上ったところにあるんです。

これは、坂の折り目のところからはるかに見上げる美術館の屋根。

まだまだ坂を上らなくてはなりません。

秋野不矩美術館

やっと美術館入り口に到着、ゼイハァ、ゼイハァ、と息の上るわたし。

秋野不矩美術館

エスニック調のこの建物は、基本設計が藤森照信氏

画伯のライフワークであるインドをイメージした設計であると言う。

秋野不矩は、1908年磐田郡二俣町城山(現:浜松市天竜区二俣町)に生まれた。

この美術館は画伯の画業を顕彰し、その故郷に建てられている。

京都で西山翠嶂に学び、京都市立藝術大学の教師として、京都を中心に活躍

これは初期の頃の絵

秋野不矩美術館

しっかりした造形で、香気のある、いかにも京都派らしい日本画の典型である。

画伯の経歴には、

「戦後間もないころ、新しい日本画を創造することを目的に「創造美術」の結成に参加

官展時代の作風から脱却した西洋絵画の特質を取り入れた様式で

創作活動を続けてきました。」とある

もし、画伯が54歳のときインドとの出会いがなければ

多分画風は、この絵の延長上に展開して行ったのではないだろうか。

けれど、彼女の到達した地平は、このようなものであった。

渡河

代表作「渡河」

激しく流れるガンガーの濁流を

その流れに呑まれまいと渡っていく水牛の群れ

雄渾なインドの大地を描き出した傑作である。






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Last updated  2010.03.17 23:02:19
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