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テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:伝えていくこと
十数年ぶりに別の場でブログ生活に復帰して、育児日記のホームグラウンドのここでも8月には記録を付けておこうと思っていたのが、二年越しとなってしまいました。
【前置きつぶやき】 数年前よりそれまでの半生とは多少異なる世界に身を置いていますが、大小はあれども、一人一人の願いを叶えることや困っていることの救いになることに関わり、そこに自分の生きがいを感じている生き方は以前から変わらないつもりでいます。 こうした気持ちが根底にあり、現在の生活の中でも、自分の人生で培えたものを大事にしながら、多様性を以て人に社会にアプローチできる人材でありたいと思っています。 今は、そうしたアプローチの仕方の一つに音楽が挙げられます。 物覚えがつく前から音楽が自然と傍にあって、何かあると音楽が救いになって音楽好きで生きてこられたのは、ピアノ教室を主宰している母(来月90歳を迎える今なお)のところに生まれ落ちたお陰という他はありません。 とはいえ、音楽をどんなに好きでも演奏者として仕事できるなんて一握りの世界だと思っていたので、前半生では全く考えたこともなく過ごしてきました。 当然、母もピアノを教えながらも「音楽とは違う世界へ行きなさい」と口にもしていたので、物覚えがつく頃にはピアノは遊びの時間だけ、ピアノで遊んでばかりいちゃいけないと認識していたのだと思います。 今は一握り以外の者にとってもいろんな働き方を見つけ出せる世界になった気がします。 音楽に仕事として関わりたいという関心は、幼い頃から❝困った人のためになるような生き方がしたい❞と思って歩んできた半生と通じるものを、音楽の世界にも見出せると感じたことが発端でした。 そこを皮切りに様々な世界が広がってきています。 こうしたご縁を繋いで下さった人々との出会い全てに感謝。 ーつぶやき終わりー ということで、今は週に一回レストランBGM演奏の機会を頂戴しています。 本来、ルーティンでは他の場もあるのですが、コロナ禍にあってなかなか再開できずに待機中です。 こちらのレストラン演奏も8ヵ月間の待機を経て再開してからは、時間短縮などありながらも定期演奏継続はもうすぐ1年になります。 二つの原爆投下の痛ましい悲劇の日にあたるタイミングで、今年はそれぞれ投稿していた内容を一つにまとめてここに発信します。 名もなき者一人一人が伝え聞いたことを発する、しかも被爆国である日本から声を発することは、特に広島出身の母を持つ自分の使命だ、と深い反省とともに今更ながら思い至り、こうして発信させていただきます。 ===== 🚩8月第一週:作品ラインナップ🎹BGM演奏 / Week 1 Aug. line-up BGM BGM演奏には2時間で50曲程度持参し、以下にはこれまで演奏した楽曲への追加分のみ列挙しています。
そして、故郷に戻りたいと生涯切望していたであろう、とショパンの心痛にも思いを馳せ、毎回ショパンの作品からも一曲選んで弾いています。 誕生会でお越しのご家族へのバースデーソングを喜んでいただきました💟 8歳の誕生日を迎えたお嬢ちゃん、おめでとう🎉
I routinely have my stock of about 50 music scores for BGM per 2 hours. The additional pieces of music for the BGM performance this week are listed as mentioned below. Still, continuous anger and sympathy for sacrifice draw many works to hope to end Russian aggression to achieve a world where everyone pursues global peace. Also, every time I select the work of Chopin who had longed to escape from evacuation status for standing in his homeland, Poland.
As the diner left, I stood up to exchange brief words with them for sending "Happy 8th Birthday!".
Every summer she is constantly sending a set of Senba-Tsuru with grants from a distant place to both Hiroshima and Nagasaki for praying No War! My grandfather was a secondary atomic bomb victim because he was out looking for his elder brother and one's wife who lived in central Hiroshima. My granduncle reached my grandpa's residence and survived 15 days after the terrible tragedy, and my grandaunt was killed on the spot according to him. From my childhood, I could grow up receiving rage to WAR through my mother's storytelling about WWll as well as my father's. I am living in the moment looking for how to be taken over by the next generation. - 来月90になる母は広島東部出身、祖父は二次被爆、
- For BGM performance
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Last updated
Aug 10, 2022 06:29:40 PM
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