テーマ:リストカット(350)
カテゴリ:生き方
中学生になった頃から、私は死にたがりだった。
そしてその「死にたがり症候群」は昨年まで続いた。 最終的に「抑鬱病」となって精神病院に数ヶ月入院する形になった。 入院に至る頃には、記憶障害も現れ 情緒も常に不安定でその頃の記憶はおぼろげなものだ。 入院後2週間以内に3度の未遂を試みた。 リストカット、首つり その結果、いわゆる閉鎖病棟に移され、 窓に鉄格子がはまっていて病棟全体が2重ロックにより管理されていた。 手荷物もナースステーションで検査され 自傷を招く恐れがある櫛やカミソリ、細長くつきささる物 などは全部取り上げられ、簡単に死ねなくなってしまった。 私は抑鬱病と診断されて強制入院をさせられる迄の十数年間、 6度も自殺未遂を繰り返していた。 それまでの経験から、自分で命を絶つという行為が 如何に難しく勇気が必要かという事を学んでいた。 簡単に言うと、首を吊ったら苦しいし、 動脈に達するまで身体を傷つけるのはかなり痛い。 何か楽に死ねる方法を・・・と 睡眠薬とアルコールの同時過剰摂取で3度病院に運ばれた。 しかし、死ねないどころか救急外来で苦痛の処置を受けただけだった。 本当に死ぬには、絶対途中で引き返せないような方法でないと駄目だと知った。 しかし、いざその方法を試そうとすると、ためらいがあった。 精神病院退院後も自殺関係の書籍を沢山買い込み、 死の方法についてかなり勉強した。 その結果、【ある日】を境にきっぱり自殺を試みるのをやめる事にした。 別に、その【ある日】に何か特別な事があった訳ではない。 ふと、考え方を変えただけだった。 その【ある日】に到達するまでに誕生から3●年も要したが。 はっきり言って、そんな苦痛を耐え抜いてまで 自分で死ぬ必要は無いと自覚しただけだ。 あんな痛い思い、苦しい思いをするぐらいなら 「死にたくなる理由」を思い出さずに 酒でも飲んでゴロ寝していた方がマシだった。 その内、「死にたくなる理由」自体くだらなく思えてきた。 すると、今度は どうせ自分で死ねないのなら・・・ どうせ生きねばならぬのなら・・・ 暗く生きるより明るく生きた方が得だ と考えられるまでになった。 ここまでなるのに退院から2年半もかかったが 三十路を過ぎても生への希望をずっと持てなかったのに、 【ある日】突然、生きる事が楽しくなったのだ。 それまで何の興味も魅力もなかった物が真新しく感じられるようになった。 また、他人に対して誠実に接する事ができるようになった。 そして気付いた事は 「死にたがり」だった頃の私は 何もかも、不幸も苦しみも、全て他人や環境のせいだと思っていた。 親のせいだとも思った。 そして自分に対しては「生きる価値のない人間」だと思いこんでいた。 それは自分の中での勝手な思いこみだった。 自分を知る事で周りを知ることができた。 自分が変わらない限り、自分の周りを取り巻く環境は何も変わらない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.12.06 22:33:51
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