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カテゴリ:旅
初の海外旅行の上に、英語も、もちろん日本語も通じない
という状態だったから、この旅ほどたくさんの人に世話に なった旅はないだろう。 渡航前に4ヶ月間ロシア語を習ったといっても、単に入門文法を 習ったに過ぎず、結局旅先で使い物になったのはスパシーバ(ありがとう)、 イズヴィニーチェ(ゴメンナサイ)、ダスヴィダーニャ(さようなら)。 おはよう・こんにちは・今晩は は、殺人的に長い言葉なので 最後まですんなりとは言えず、口の中でブツブツ言いながらにっこりと 笑って、頷くだけに終わってしまった。 たくさんの人にお世話になった中で、特に忘れられない人が3人いる。 うち2人は、シベリア鉄道の車掌さんだ。彼らは夫婦で乗務していて、 ご主人の方が、私たちの乗った車両付きの車掌、奥さんの方が地位が 高く、列車全体の車掌だった。 ご主人の名前はミーシャ、奥さんは レナだ。 当時、女2人の個人旅行客は珍しかったらしく、いつも気にかけて くれた。ミーシャは車掌室に自分のサモワール(ロシア風湯沸し器) を置いていて、私たちを何度も車掌室に呼んではチャイをご馳走してくれた。 言葉が通じないので、そうすることが彼の精一杯の気持ちだったんだと思う。 いつも私たちのコンパートメント(個室)のドアのところに立って 「チャーイ」と一言。私たちは「エー、お腹がガポガポ~^_^;」と 言いながら車掌室へ。 一度、ウォッカを手にした酔っ払いの大男が2人、私たちの部屋に入ってきて ドアを閉めてしまった時には、いつもニコニコと優しいミーシャが ものすごい剣幕で怒って彼らを追い出してくれた。 言葉が通じないながらも、私たちはいろんなことを話した。 音楽のこと、映画のこと、家族のこと、仕事のこと、政治についても少々。 不思議とお互いの言いたいことが理解できた。 イルクーツク(私たちの下車駅)に着く3時間ぐらい前、ミーシャは 私たちの部屋に彼の大切なサモワールを持ち込んで、奥さんのレナも呼んで お別れティーパーティーをした。4人でずっと手を握り合って泣いたり笑ったり。 スプーン一杯の蜂蜜をまず口に含み、そのあとに熱いチャイを流し込む。 本場のロシアンティーは、生まれて初めての、そして忘れられない 素晴らしい味だった。 写真を撮って住所を交換して別れた。日本に帰って、写真と手紙とちょっとした プレゼントを送ったが、返事は来なかった。 国が崩壊し混乱した中で、私の手紙は彼らの手元に届かなかったかもしれない。 出来ることなら、もう一度会ってお礼が言いたい。 彼らは、今でもまだ、夫婦でシベリア鉄道に乗務しているのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 28, 2005 01:56:18 AM
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