|
カテゴリ:ロハスなこと
最近よく想う言葉。 「足るを知る」ということ。 京都の龍安寺のつくばいには、「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と書かれていま す。「私は満ち足りていることだけを知っている。満足することを知っている者は貧しくても 幸せであり、満足することを知らない者はたとえ金持ちでも不幸である。 老子は「禍は足るを知らざるより大なるは無い(最大の災厄は足るを知らぬ心に起因して いる)」 「足るを知る者は富む」(満足することを知るのが富んでいることであり、 自分をはげまして行動するものがその志すところを得るのである) といい、それは、 「現状のままの自分で良いとまず認めて、その上で、自分が望んでいることを存分に実行 すること。」という意味でもあるそうです。
この言葉は、まさに「自分は、すでに幸せだし、満たされている。だからこそ、外側にだけ 何かを求めても永遠に満たされることはない。他人と比べることなく、自分の本当の心の 声に従って行動することが、それに気づく道のりである」ということだなと思います。
不平、不満が出来るのは、傲慢になっているから。 もともと、十分に与えられているのですから、ただそれに気づくかどうかだけ、自分の中 の受信機をきれいに磨けているかだけなのだと思います。
なのにどうして人は、内側にないものを外側にだけ求め、奪おうとするのか、、、
こうして、ここに生かされている
ただ、それを知ればいいだけ
自分が満たされているという安心感が持てたときにはじめて、より無限の豊かさが流れ込 む、、、、
温かい部屋でのんびりできる。 有難い。 スーパーに行って、何を買おうか悩む選択肢があること。有り難い。 朝は何を、昼は何を、夜は何を食べようかと悩む選択肢があること。有り難い。 今週末は、何をして過ごそうかと悩む選択肢があること。有り難い。 温かいお風呂に入ることが出来ること。有り難い。 誰からも強制されたりすることなく、自由に言動出来ること。有り難い。 自分が、自分を満足に愛してあげてあげられている。 有り難い。
この日常こそが、本当は奇跡。この奇跡を見逃して、どうしてもっと大きな奇跡を求め外 側に見つけられるだろうか。よくそんな風に思います。
知っている人も多いと思いますが、私たちがいかに恵まれているか、気づかせてくれる本 を思い出したので、抜粋します。
「世界がもし100人の村だったら」
世界には63億人の人がいます もしもそれを100人の村に縮めるとどうなるでしょう 100人のうち
52人が女性です 48人が男性です
20人は栄養が十分ではなく 1人は死にそうなほどです でも15人は太り過ぎです
すべてのエネルギーのうち 20人が80パーセントを使い 80人が20パーセントを分けあっています
もしもあなたがいやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに 信仰や信条、良心に従って 何かをし、ものが言えるなら そうでない48人よりも恵まれています
もしもあなたが 空爆や襲撃や地雷による殺りくや 武装集団のレイプや拉致におびえていなげれば そうでない20人より恵まれています
だからあなたは、 心の底から歌って下さい のびやかに踊って下さい 心をこめて生きて下さい たとえあなたが、傷ついていても 傷ついたことなどないかのように 愛して下さい
まずあなたが愛して下さい あなた自身と人がこの村に生きてある ということを
もしもたくさんのわたしたちが この村を愛することを知ったなら まだ間にあいます 人びとを引き裂いている非道な力から この村を救えます きっと
今日もありがとうございます。 心から感謝を込めて。 Love&Hugs
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年03月17日 23時28分56秒
[ロハスなこと] カテゴリの最新記事
|