みなさん、こんばんわ。
ご後無沙汰してます。お元気でしたでしょうか?
去年の夏以来かな?
おかんの肺がん発症からもうどれくらいになるのかねぇ・・
約1年ぐらいでしょうか?
うん、救急車に運ばれたり入退院を2回ほどしました。
それでもがんばって生きました。
精一杯治そうとして。
途中、会社も解雇になったりしてくじけそうになったときもありました。
僕らも精一杯おかんのために尽くしました。
2008年1月4日 AM6:10分
母が永眠いたしました。
苦しみましたがわずかな期間でした。
それが唯一の救いでした。
癌患者の中ではあまり苦しまないで永眠したほうだそうでした。
今、正直言葉がありません。
まだ実感がないのもあるし、まだ部屋でテレビ見てたりしてる感覚があります。
病院から電話がきて兄弟に連絡しながら向かいました。
外はひどい濃霧。
道路は寒さで凍っていました。
いつもなら間違えることなく携帯のボタンも押し間違いもなんどもあり
なんとか辿りつき、夢中で走った。
部屋に入って母を見た時は寝ていました。
静かに、苦しみが治まったかのように。
ああ、今落ち着いたのかと何気に脈とか図る機械を見た時。
すべてが止まっていた。
時が止まったように。
間に合わなかった。
看護婦が言うには僕のとこに連絡が入った時には
すでに息が止まっていたそうです。
僕はすでに思考が止まっていました。
ただ、おかんの顔をじっと見つめてた。
ひたすらに見つめていた。
死ぬ一日前はいつもより苦しみ悶えてて
意識ははっきりしてたかどうかわかりません。
少しでも楽になれるよう
僕は母を抱き、背中をさすりながら
必死に声をかけてました。
そうすると少し落ち着いて眠ったりしてました。
昔、母がしてくれた事と同じように
何度もそうやって落ち着かせました。
会話らしい会話はできませんでしたが、
それが母の最期のぬくもりでした。
伝えたいことも言えなかった。
式当日、丁度控え室で僕と棺に入った母と二人。
僕は手紙を書いた。
「苦労させてごめん。でも、楽になったね。
おかんの息子でよかった。いままでありがとう。」
メモの切れ端にそんなような事を書き、そっと棺を開けて母の胸元に入れた。
そして名残惜しむように母の冷たくなった顔や頭を撫でながら顔を見つめた。
・・・・・・。
手紙、届いたのかな・・・・
後半、殆ど放置でしたが、みんなの励ましのおかげで最後まで見送ることができたかと思います。
本当に応援してくれてありがとうございました。
僕も母も心より感謝いたします。
まだ、今はばたばたしてて
また放置します^^;
落ち着いて自分自身持ち直したらまたUPします。
それでは・・・・。