カテゴリ:新潟観光日記(花見編)
今日も秋色の日記です・・・
越路のもみじ園に行ってきました・・・ 秋色もみじ・・・ 前回のもみじ谷の日記に「記憶に残る写真」ではなく「記録として残す」写真ならこのくらいで十分なんじゃないの? というコメントを頂きました、 確かに・・・、私は写真家を目指しているわけでもありませんし、 これからデジイチを買って本格的に写真を始めようというわけでもないのでこのくらいで十分かもしれませんね、 出先の情景が伝わればそれで良しとしましょう・・・ まだちょっと色づきの悪いもみじ園でごじゃりました・・・ 写真の方は・・・まあ綺麗に撮れるならそれに越したことはなし・・・ ブログアップした写真の総数はすでに3000枚を超えております、 写真をフォト蔵に登録するようになってからでもすでに2000枚超・・・ ピンボケ魔人の写真もだいぶましにはなったようで・・・ 記録として残ればそれでよいとは言ってもきれいに写ればそれなりにうれしいもので・・・ 写真にハマる人がいるのもなんとなくわかる気もしますね・・・ 秋の美というのはなんとなく物悲しい綺麗さがありますね、 春の美は命萌ゆる美、生命の息吹感じる美ですが、 秋の美は、命が落ちる瞬間の輝き、落日の美とでも申しましょうか・・・ 葉は色を変えやがて落ちて腐りゆく・・・その刹那の美でありますね・・・ 葉が落ちるのを留めることはできない、世の無常を思わせる美でありますね、 葉が落ちたとて木が死ぬわけではございませんが、これから来る冬を思うてか葉の落ちた木というのは季節の終わりを感じますね・・・ 秋の紅葉というのは葉の落ちる前の一瞬の命の輝きの瞬間でもありますね。 もみじ園そばに大きなイチョウの木がありました・・・ 校舎と桜というのは写真の題材としては一般的なのでしょうが、校舎はイチョウともよく合うようで・・・ イチョウの黄色はきれいですが、落ちている銀杏の香りがちといただけませんね~(笑) 秋の黄昏の美を感じるにはちと強烈な香りでござりますな・・・ まあ臭いを感じるのも生ある証拠と感謝することといたしましょう・・・ われわれ人間も朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身でありますれば・・・ 最後はまた坊主の説法の様な日記と相成りましたが この日記を書くにあたって困ったのが「紅葉」と「銀杏」の二つ 「紅葉」は「もみじ」「こうよう」 「銀杏」は「いちょう」「ぎんなん」 「もみじ」というとやはり楓の葉が赤く染まったものを連想いたしますし 「こうよう」というと楓を含め木々の葉が赤く染まったものを連想いたしますね 「いちょう」といえばあの黄色い扇形の葉を連想いたしますし 「ぎんなん」といえば日本酒のつまみでござりますね・・・ 今回は「こうよう」を漢字、「もみじ」はひらがな、「いちょう」をカタカナ、「ぎんなん」を漢字にて表記いたしましたが、 このような日記では使い分けが難しい所でありますね、すべてを漢字表記にすると誤読の基となりますね・・・ 今日は越路のもみじ園のお話・・・ 光君も黄昏ております・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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