テーマ:今日の出来事(291582)
カテゴリ:新潟観光日記(花見編)
今日も桜のお話・・・
三条八幡宮の桜です、 桜の花も咲きそろい、公園のあちこちに宴会の人たちが・・・ 自宅から近い花見ができるところというとここになりますかね・・・ 全国的にはすでに葉桜となってしまっている地域も多いですが、 新潟の桜はこのくらいの時期に咲きますね。 梅の花とほとんど時期を違えずに咲き始めます(1週間ほど梅が早いかな?) 梅と桜、日本人にはどちらもなじみ深い花ではありますね その昔、花名を入れずに「花」と書けばそれは梅の花のことでした なにわづや さくやこのはな ふゆごもり いまははるべと さくやこのはな 古今和歌集に出てくる「王仁」の歌ですがこの歌にでてくる「花」は梅の花 しかし・・・ ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづこころなく はなのちるらむ 紀友則の記したこの歌の「花」は桜の花・・・ 奈良時代から平安時代に移り、「花」の代名詞も「梅」から「桜」に変わっていったのですね・・・ 前回の桜の日記で和歌は終わりの予定でしたけれどね、 今日は<雅>な和歌ではなく、雑学を含んだ理屈っぽい和歌、 同じ和歌でもこちらの方が私には向いていますね・・・ さて桜にちなんだ雑学をもう一つ・・・ 桜や梅の花は醜く朽ち果てることなく散っていきます、 これは潔く散る武士道の精神に通じ日本人には特に愛されました、 しかし、咲いてすぐに散ってしまう桜の花・・・、「家が長続きしない」とこの花を家紋にした武家は意外に少ないのですよ・・・ 桜紋を用いた武家は細川氏が有名です、細川氏は清和源氏の流れをくむ武家で、もともとは足利氏と同じく二つ引き両を家紋に用いていましたが、南北朝時代、頼之のころ桜紋を使用し、「細川官僚家の物好き家紋」と言われたそうですよ、 一方梅紋は意外に多くの武家に使われています、加賀百万石の前田氏も梅紋を使用していますね、 これは学問の神様「菅原道真公」が梅を愛し、菅原道真公を祀る大宰府天満宮の神紋が梅なのですね(各地の天神様の神紋もその大半が梅紋です)、そのため菅原氏の末裔を称する武家、天神様を信仰する武家が好んで梅紋を使ったのですね、 加賀前田家は菅原氏の末裔を称していますので(実際には違うというのが現在の認識です、当時は詐称も多いですからね)梅紋、戦国大名の筒井氏などは天神様信仰ゆえの梅紋ですね、 武家の家紋としては敬遠されておりますが神社の神紋としては多く使われる桜紋、桜の花のように美しい女神であったという「コノハナサクヤヒメ」、コノハナサクヤヒメのご神木が桜とされておりますので、「コノハナサクヤヒメ」を祀る神社の多くでは桜紋が使われていますね(浅間大社など)、コノハナサクヤヒメは伝承上天皇家の遠い祖先にあたります、 天皇家の始祖とされるニニギノミコト、笠沙の岬でコノハナサクヤヒメに一目惚れ、コノハナサクヤヒメの父オオヤマツミはそれに喜び、姉のイワナガヒメと共に差し出した、 しかしニニギノミコトは容姿の醜いイワナガヒメは送り返し、コノハナサクヤヒメとだけ結婚した、 オオヤマツミがコノハナサクヤヒメを差し出したのは子孫の繁栄を願ってのこと、しかしそれだけではその寿命は花のように短くなってしまう、イワナガヒメを共に差し出したのはその長寿を願ってのこと・・・ 神であるニニギノミコトの子孫であるはずの天皇の寿命が他の神々のように長くないのはイワナガヒメを娶らずにコノハナサクヤヒメとだけ結婚したため、 この時イワナガヒメとも結婚していれば天皇家の寿命は岩のように長いものになっていたはずなのですね、他の神々と同じように・・・ ここ八幡宮には・・・ 鳥がいます・・・ 他に猿もいるんですけれどね・・・ こっちは撮ってない・・・ 枝葉を写すよりもこうして木全体を写す方がバランスとるのが難しいんですね・・・ それでも去年の桜よりは・・・ きれいに写っているかな? 写真は資料、分かれば良い・・・ 写真家を目指しているわけではない私の日記の写真はこれが原点ではありますが・・・ 桜がきれいに咲いたというのを伝えるのには・・・ やはりきれいに写っている方が都合は良いようですね。。。 バックに余計なものが移ると桜の花が映えませんね・・・ 難しいものです・・・ 最後に光君・・・ 今日は三条八幡宮の桜のお話とそれにちなんだ桜の雑学・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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