テーマ:今日のお出かけ ~(8129)
カテゴリ:新潟観光日記(花見編)
今日も私の心と同じように綺麗なお花の日記ですよ~(笑)
大河津分水公園の桜を見に行ってきました、 日本桜の名所100選に選ばれる公園です 分水の桜は明治44年、内務省(現国土交通省)が大河津分水路の護岸の目的で桜の植樹を始めたのが最初です、 その後、管理されず枯れていく桜を見かねて大正14年、分水路の桜を守る会「信濃川分水路保勝会」が設立され、新たに4000本の桜が植えられました、 その後日本は太平洋戦争へと向かっていき、分水路の桜の多くは燃料として伐採されていきます・・・ 戦時中は桜の美など楽しんでいる余裕はなかったのですね、 やがて戦争は日本の敗戦という形で終結を迎え、昭和25年大河津分水路は国上山とともに佐渡・弥彦・米山国定公園に指定されます。 昭和62年、日本桜の会より600本の桜が新たに植樹され、平成2年には桜の名所100選に選ばれることとなります。 平成6年からは1万本の桜をめざし万本桜キャンペーンが始まり、その本数を増やしていっております。 戦時中の伐採で多くの桜が失われましたが、その後の努力もあり、現在は3000本の桜が分水路の川岸を桜色に染めております。 毎年桜の咲く春にはこの桜の下でおいらん道中が行われます・・・ っと言いたいところなのですが・・・、毎年桜の開花とタイミングが合わず、蕾だったり葉桜だったり・・・ 今年はこの日記の日の翌日がおいらん道中の予定で今年はちょうどタイミングが合った!! と思ったらこの翌日は雨・・・、こりゃ中止だね・・・、な~んてタイミングの悪いイベントでしょう(笑) さて桜というと「染井吉野」をイメージしますが、桜にもいろいろありましてね・・・ ここの桜も染井吉野がほとんどですが園内には他の桜も植えられております。 これは陽光桜、里桜の一種ですね・・・ これは大島桜・・・ 野生種の桜で伊豆諸島に多く分布していたためこの名がつけられました、 名前の由来となった伊豆大島には樹齢800年の大島桜の古木があり天然記念物に指定されているそうですよ。 これは大山桜・・・ これも野生種の品種、日当たりがよく水はけの良い土壌を好み大気汚染に弱い・・・ ずいぶんと我儘な桜ですね~、 染井吉野よりもはっきりとピンク色に染まります。 これは寒緋桜・・・ この桜と先の大島桜が自然交配した雑種が河津桜です。 中国南部から台湾にかけて分布する桜で、日本では園芸品種として扱われておりますが、沖縄で野生化し沖縄で桜といえばこの寒緋桜・・・ 最後におまけもう一つ桜・・・ さくらトイレ・・・ え?、違う・・・、あらそうなの・・・ これは桜をモチーフにした公衆トイレですね。。。 さて・・・ この大河津分水公園、 名前の通り大河津分水路の分岐点にある公園でしてね・・・ 大河信濃川の治水のための巨大な河口堰があります。 何度か紹介しているところですので覚えているブロ友さんもおられるかもしれませんが、 信濃川はたびたび水害を起こす暴れ川で、この水害を防ぐためにここ分水から遠く野積の海までの9.1kmを人の手で掘り増水した水を流す水路を作ったのですね、 当時は東洋一の大工事といわれた難事業・・・ 100名もの人がその犠牲となって亡くなりました。 これはこの難工事に携わり不幸にして亡くなった方々の冥福を祈るために作られた慰霊碑・・・ 現在の越後平野の水利は当時の人々の多大な努力と犠牲によって作られたもの、現在に生きる我々は深い感謝と哀悼の意を持ってこれにのぞみましょうね・・・ 合掌・・・ ちなみに・・・ この河口堰は近年作られた新型で、 当時作られた河口堰は・・・ こちら・・・ 産業文化遺産として保存されています、 信濃川改修工事の代表的遺構の一つで、日本最初の本格的RC造堰、総延長147m鉄筋コンクリート製、27枚の門扉を有する大規模河口堰です。 この工事で不運にも命を落とされた多くの方々も、今はこの桜の下に静かに眠っております・・・ 後の世の平和を祈りながら・・・ この河口堰はどちらも信濃川の本流にかかる河口堰でこの河口堰の先が信濃川の本流となります、 河口堰はもう一つ、分水路にかかる河口堰があります、 現在新型に架け替え中です、 河の水が増水した時には信濃川にかかる河口堰(洗堰)を閉じ、この分水路の河口堰(可動堰)を開ける、これで水は最短距離で海へと流れていくわけですね、 大河津分水路は人間が掘ったとは思えないような太い河ですよ・・・ この分水路の川岸を飾るのが・・・ 先の桜というわけですね・・・ 光君は歩き疲れたくたくた・・・ ふ~、やっと着いた・・・ 今日は大河津分水の桜のお話・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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