テーマ:今日の出来事(291585)
カテゴリ:食べログ(その他)
ブロ友さんから「かぶらずし」が届きました。
「かぶらずし」は石川から富山にかけて食べられる郷土料理で「なれずし」の一種です。 これは富山県南砺市の「かぶらずし」の老舗「よね田」のものです。 富山は良質の蕪(聖護院蕪系統)・米(富山県産こしひかり)・それに鰤(氷見産)が採れます。 これら良質の地元の食材を使って作られたのが「かぶらずし」です。 すべての食材が晩秋から冬にかけてのもので時期は冬、 私の仕事の都合でこの時期にしていただいたのですが、 後で調べたら「かぶらずし」の出荷の多くは12月末から1月初旬で終了、 1月も10日を過ぎたら出荷できる「かぶらずし」は種類も限られれるようで、お手を煩わせたのではなかろうかと・・・ sw_yoshimaruさんありがとうございます。 さてyoshimaruさんのブログに 「かぶら寿司の日記を書いた時のこと。想像もつかない味・・のコメントの数々勝手に決めてゴメンナサイ。うんちく大王のキャンパーさんのこと。かぶら寿司をあらゆる面から分析してもらえよう~」 こんな記述が・・・は~い、書きましょう、調べましょう、「かぶらずし」・・・ 「かぶらずし」・・・、実はこんなにある。。。 そもそも「かぶらずし」、「すし」と言いながら酢飯の姿は見当たらない、果たしてこれのどこが「すし」なのか・・・ そもそも「すし」とはなんなのか・・・ 「すし」というと皆様はどんなものを想像しますでしょうか? 握り寿司?・押し寿司?・まあいずれにしても酢飯と生魚を組み合わせたものを想像するのではないでしょうか? 実はこれは「すし」の中でも比較的歴史の浅い「早ずし」の系統に分類される「すし」で、「すし」には他に「なれずし」があります。 「早ずしが生まれたのは江戸時代中期くらいであると言われています、中でも握り寿司の登場などは長い「すし」の歴史の中ではごく最近、1800年代になってようやく登場いたします。 「すし」が文献に登場するのは奈良時代ですがその遥か前から既に「すし」は日本の食文化に根付いていたと言われています、 弥生時代、稲作の伝来とともに「すし」も伝わったといわれておりますが既に定かなことは分からない・・・ その起源は中国であるとも東南アジアであるとも言われています。 さてこの稲作とともに伝わったというのが「なれずし」で字は「鮨」とか「鮓」と書きます、今でもたまに使いますね・・・ 冷蔵庫などない太古の時代、動物性のタンパク質を保存する知恵として生まれたのが「すし」です・・・ 魚や貝、獣肉や野菜などを飯に漬け、乳酸菌の力で雑菌の繁殖を抑える、これが「なれずし」の始まり・・・ この当時の「なれずし」がほぼそのままの形で現在に残っているのが、琵琶湖周辺のにごろ鮒を使った鮒寿司・・・、それに和歌山や富山にのこる鯖のなれずし、岐阜や兵庫に残る鮎のなれずし、福井の鯖のへしこ寿司などもこの系統でしょうか?。。。 この「なれずし」熟成に非常に長い時間がかかります、やがて北陸・東北などの寒冷地で糀を使い発酵を促進させるとともに甘みを加えるという技法が考案されました、 これが「飯寿司」の始まりです・・・ 秋田のハタハタ寿司・北海道の鮭の飯寿司などがこの系統になります、 「かぶらずし」もこの飯寿司系の「なれずし」になりますね。 さてその後の「すし」は・・・もっと早く食べる方法はないものか・・・ 乳酸菌の発酵なんて待っていられない・・・、と乳酸菌の殺菌作用に頼らず醸造酢による殺菌作用を利用したものがあらわれます、これが「早寿司」、ここでようやく現在の寿司の原型が誕生するわけで・・・ こうして誕生したのが押し寿司・・・、それが東京の屋台で握り寿司(江戸前寿司)に姿を変え全国に広がっていくわけです。 握り寿司はもともと江戸の屋台の食物、現在のファーストフードです、さっと食ってさっと出る、これが江戸っ子の粋、蕎麦もそう、長々と居座るのは無粋というもの・・・ 寿司屋にカウンターの店が多いのはその名残、寿司なんてゆっくりと食うものではないのですよ、 ちなみに蕎麦屋の場合は・・・、つまみを頼みすぎるのもマナー違反、蕎麦屋のつまみは蕎麦の具、天ぷら・板わさ・焼き海苔、頼みすぎて店の蕎麦の具を減らすのは無粋、 つまみは1つか2つ、それでさっと酒を飲んで蕎麦を手繰る・・・、長居はしない、これが江戸っ子の粋・・・ まあ私は江戸っ子じゃないけれどね・・・ 「すし」は太古の昔、海の向こうからこの国に伝わりました、 しかしこれを伝えた国々では「すし」は「塩辛」や「魚醤」に取って代わられ、「すし」は文化としてほとんど残らなかった・・・ 日本ではそれが姿かたちを変え現在まで残っていった・・・ 日本人と米の深いつながりを感じますね。 さて「かぶらずし」・・・ 「かぶらずし」の起源には諸説ありますが、江戸時代、温泉に湯治に来ていた加賀前田の殿様に献上したのがこの「かぶらずし」だっとも、 正月に鰤を食べる時に贅沢をはばかって蕪に挟んで食べたのが始まりだとも言われていますが、江戸時代には既に根付いていた料理のようです。 「かぶらずし」の生まれた北陸の地は加賀百万石の藩政のなか(加賀100万石のの領地は石川以外に富山のほぼ全域を含みます)、様々な文化が花開きます、加賀友禅・九谷焼・加賀漆器や高岡漆器、輪島塗などの漆器・・・ 食文化もその一つで、米をふんだんに使い高級魚の鰤を挟み込む・・・、当時としてはとても贅沢な食べ物であったのでしょう、 それゆえに鰤を隠して食ったなどという逸話が生まれた。。。 さてそのお味の方は・・・ 「なれずし」ということで鮒寿司やへしこのような癖のある味を想像していたのですが・・・ あれ???・・・ 糀の甘味・蕪の歯ごたえ・それに鰤の脂・・・ 上品なお味でこれは酒飲みでなくても美味しくいただけるんでないでしょうか?。。。 「かぶらずし」の旨みは蕪・鰤・米の三位一体の旨み、それを結びつけているのが糀です。 寒暖の差が激しい場所で栽培された蕪は糖度が高く身が締まる・・・ 極寒のに富山湾で捕れた鰤は身が締まり脂がのる・・・ 豊富な栄養を含んだ冷たい雪解け水は水田の水温の上昇をを抑え、米に充分な養分を運ぶ・・・ 冬の寒さが生んだ北陸の美味それが「かぶらずし」。。。 は~い、美味しく頂いておりますよ、ありがとうございます。 さて最後はいつものように・・・ 光君・・・ 「僕の場所がない・・・」 「しょうがないここで我慢するか・・・」 今日は「かぶらずし」のお話・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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