カテゴリ:新潟観光日記(その他)
椿寿荘に行ってきました、
椿寿荘というのは旧田巻邸の別邸、離れ座敷です、母屋出ないことを忘れずにご覧下さい、 田巻家は越後の千町歩地主の一軒です、今日は越後の千町歩地主の威容がどのようなものであったのかをご紹介しましょう。 椿寿荘とは田巻家七代当主が、越中井波の宮大工、松井角平を招いて建てた離れ座敷です、三条市の本成寺の再建のために越後を訪れていた角平に、ぜひ我が家の離れをと招き、作られたものです。 建築主材は木曽桧、そこに吉野杉、会津欅などの銘木を全国から取り寄せて作らせた贅を尽くしたものです。 玄関は重厚な大名玄関、これが離れであるということを忘れさせる作りですね、 この建物を作った宮大工、松井角平は加賀100万石前田藩に使えた当代きっての宮大工です。 釘一本使わず禅宗様式を取り入れたの書院造の建物です。 玄関の腰板に使われているこの木・・・ 会津欅の1枚板です、樹齢数百年の欅材を惜しげもなく使っております。 あ~、忘れないように、ここは離れ座敷。。。 面白いのがこの電気・・・ 何が面白いかといいますと・・・、これは田上で初めての電気、この離れを作ったために田上に電気が通ったのです。 電気が先でなくてこの離れが先・・・ まあ桁違いなのがよくわかりますね。 以前の日記にも書きましたが千町歩地主というのは 名前のとおり千町歩を超える田畑を持っていた日本屈指の大地主、 離れ座敷といっても桁違いの広さで・・・ 腰板に会津欅を使ったり、廂に吉野杉を使ったりと銘木をふんだんに使っておりますが、この建物は基本的には総檜造り・・・ 室内の柱や梁は全て木曽桧ですそれも全てが柾目材、とんでもなく贅を凝らした造りとなっております・・・ こちらが座敷に面した縁側・・・ この廂の杉の木を見てくださいな。。。 これがなんと吉野杉の1本もの、これを吉野から大阪へ、大阪から海路で関門海峡を通り運ばせたのですね。 海路から信濃川を通りこの先の小須戸に陸揚げされた杉の大木・・・、 あまりにも大きすぎて道を曲がることができない、そこでこの木を運ぶために角の家を壊して運び入れたそうです・・・ ちょうど雪囲いをとく時期で庭の贅をお店することはできませんが、庭は京風の枯山水です。 石と岩で水のない庭に川や池を表現する・・・、京都から庭師を招いて作らせたお庭です・・・ これはこの離れの奥座敷・・・ 水のない庭に川を表現する枯山水、このお座敷は船を表現しております、 この部屋に続く縁側は船着、ここから先に川を表現しているわけですね、庭と建物が一体となった造りです。 これは表座敷の欄間・・・ なんとこれも1枚板の削り出し、ほとんど空いてしまっているのでなんとももったいない・・・ これも越中の欄間職人のものですね。 これはこの椿寿荘を建てるときに作らせた鬼瓦・・・ 越前の窯で焼かせた巨大なもの・・・ だんだん何が贅沢なのかがよくわからなくなってきますね・・・・ 今日は越後の千町歩地主、田巻家の離れ座敷、「椿寿荘」のお話・・・ この建物・・・物納で国に収められ、その後国鉄の所有に、研修所として使われていたようですが、国鉄の民営化に伴って田上町に売り渡されました・・・ ちなみに母屋の方も売り払って田巻家は関東に引っ越して行ったそうです、母屋の方は持ち主は新潟市にお住まいということですが・・・ これはマンホールの蓋・・・、椿寿荘と護摩堂山の紫陽花が描かれておりますね・・・ もちろん光君は入れません・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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