テーマ:徒然日記(23310)
カテゴリ:観光日記(県外番外編)
今日は我が家のお庭を紹介しましょう・・・
いや~、狭いお庭で申し訳ありませんね~、広さはほんの133,000平方メートルしかないんですよ~、 ガッハッハ。 お庭の奥に写ってる黒い建物が自宅で・・・ これが門・・・ でもって・・・ これが茶室。。。 う~、みんなの冷たい視線に耐えられない・・・ 自宅の庭というのはもちろん冗談で、 これは岡山の後楽園。 東京ドーム3個分もある広い池泉回遊式の日本庭園です、 水戸の偕楽園・金沢の兼六園と共に日本三名園の一つに数えられています。 江戸時代初期に岡山藩主池田綱政によって造営された、元禄文化を代表する庭園で、国の特別名勝に指定されています。 さっきの茶室は園内の延養亭です。 四月の初旬に出張で行ったのですけれどね・・・ まだ桜が残っています。 岡山の桜、きっと今頃は葉桜になっていることでしょうね。。。 ちょっと珍しいのがこちら・・・ 流店・・・ 建物に園内の水路を引き込んだ珍しい建物です。 日本三名園ってみんなこの後楽園と同じ池のある回遊式の庭園で、 枯山水の庭園って1つもないんですよね。。。 広大な敷地面積の大庭園には回遊式の大名庭園が合っているようです。 こっちは慈眼堂・・・ さて、この後楽園の隣り、最初に自宅ですと紹介したお城は・・・ 岡山城です・・・ 岡山城は備前・美作57万石、宇喜多氏の本城です、 その後、関ヶ原で西軍についた宇喜多秀家は八丈島に島流しにされ、代わりに入ったのが、あの寝返りの武将、小早川秀秋・・・ 備前・美作52万石は小早川氏のものとなります、 しかし小早川氏もその後すぐに死去し嫡子もなく断絶、 代わって入ったのが池田氏・・・ 備前28万石は池田輝政の次男に与えられました(美作18万石は森氏が継承、本城は津山城) 以後この岡山の城は池田氏の城して幕末を迎えます。 とは言え池田氏宗家の本城は播磨姫路52万石、姫路城、この岡山は次男の城、いわば分家となりますね、 池田氏は播磨姫路52万石に加え、次男の忠継の備前28万石、三男の忠雄の淡路6万石(洲本城)、これに輝政の弟長吉の因幡6万石(鳥取城)、 一族で100万石近い所領を有するに至るわけです。 池田氏のその後は・・・ 輝政の死後、池田氏は本城の姫路を体よく追い払われ、この岡山で幕末を迎えることとなります。 輝政の嫡男利隆が亡くなった時、後継の光政はまだ幼かったのですね、ならば岡山の忠雄が入れば良いものを(洲本の忠雄はその後次男の忠継が早くに亡くなったため備前に転封しています)幼君に姫路の要衝は任せられないと鳥取に追い払われるのですね、 その後、今度は岡山の忠雄が亡くなり、その嫡男の光仲はわずか3歳・・・ 岡山の要衝を幼君には任せられないと従兄弟の光政が岡山に入ります、光仲は鳥取に転封・・・(ようまあ幼君が鳥取に転封される一族ですな鳥取は幼君で大丈夫なのかね) 徳川家と姻戚関係の強い池田氏はその後この備前・因幡・伯耆の3カ国を幕末まで保つこととなります(岡山藩・鳥取藩) これが岡山と池田氏のその後ということになりますかね・・・ 今日は後楽園と岡山城のお話・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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