テーマ:徒然日記(23311)
カテゴリ:食べログ(簡単クッキング編)
今日はお花見はちょっとお休みしてちょっと前の出張のおはなし・・・
ここ・・・ これは「はりまや橋」 江戸時代、豪商播磨屋の本店と櫃屋の本店が堀を隔てて並んでいました、この両店の行き来のために作られた私設の橋がこの「はりまや橋」・・・ これはお城・・・ ってまだ分からないのね・・・ ここは高知です。 これは国内12の現存天守の一つ高知城です、 現存天守といっても・・・ 高知城は江戸時代に一度焼け落ちています、 いまあるお城は江戸時代に再建されたものでしてね・・・ 再建されたといっても江戸時代からあるお城ということで現存天守12城の一つに数えられています。 高知は享保12年に大火事にあい高知城もほとんどの建物をこの時に焼失したのですね、天守閣も焼け落ちています。 唯一残ったのがこの追手門であとは延享4年に再建されたものということになります。 とは言っても・・・ 既に300年近い年月が経っていますので、その天守閣は国の重要文化財に指定されています。 高知城の天守は天守台がなく本丸御殿に隣接して建っております、 国内の城では唯一本丸御殿が残っているお城です。 独立式望楼型 4重6階、1601年に築城されその後火災消失、1747年に再建され現在に至ります。 高知はもともと長宗我部氏の領地ですが、長宗我部氏は関ヶ原の戦いで改易され、代わって入ったのが山内一豊・・ 関ヶ原の折、掛川の城を提供したことで有名な武将ですね。 以後高知は山内氏のものとして幕末を迎えます。 まあ高知と言うと土佐藩を脱藩した坂本龍馬が有名ですね。 みんな知ってる・・・ 龍馬の像があるのは桂浜で高知城は山内一豊・・・ 山内一豊といえば司馬遼太郎の小説「功名が辻」 まあ司馬遼太郎の小説は偏った見方のものも多いですからね・・・「乃木希典」とかね・・・ 山内一豊も司馬遼太郎に愚将とみなされた人物の一人ですね・・・ これは夫を助けたとされる見性院の像・・・ まあ実際には乃木希典も山内一豊も愚将ではなかったようです。。。 「功名が辻」「坂の上の雲」「殉死」などのイメージが強い人はどうしても愚将と思いがちですが、 本当に能力がないなら土佐一国を治めるまでになっていないし、第三軍司令官にもなっていませんよ。。。。 山内一豊はなるべくして土佐の藩主となっていますし、 旅順要塞の攻略は児玉源太郎の手柄ではなくやっぱり乃木希典の手柄であると見るのが妥当なようです。 それは史実が物語っておりますね・・・ さて土佐の桜は・・・ 葉桜となっておりました・・・ 他に高知の偉人といえば・・・ 板垣退助・・・ 自由民権運動の人ですね、 「板垣死すとも自由は死せず・・・」 実際には遊説中に襲われた板垣退助の言葉は・・・ 「我死すとも自由は死せん」 だったそうです・・・ 板垣退助は日本銀行権B号券として 1974年まで100円札に使われておりました・・・ 今日は高知城のお話・・・ 最後はいつもの光君・・・ このアングルの光君は今日で終わり・・・ 次回から新シリーズです・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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