テーマ:今日のお出かけ ~(8129)
カテゴリ:新潟観光日記(その他)
今日は燕市産業資料館の続き・・・
燕市の金物も三条市の金物も、元は江戸時代、和釘の生産から始まっています、 その後燕市には仙台から銅器のの技術が、江戸・会津から矢立・煙管の技術が伝わります。 明治になり和釘は洋釘にとって代われられ、燕市の産業の中心は和釘から、銅器・煙管・矢立に変わります。 今のようなステンレス製品が主力になる前のお話ですね、 燕市の銅器は槌起銅器、銅板を叩いて打ち伸ばし継ぎ目のない器を作り上げる・・・ この大き花瓶も槌起銅器・・・ 高さ1m、胴張り78cm、重さ50kgもあります。 なんとこれも1枚の銅板を打ち伸ばして作ってあるのですね、 世界最大級の槌起銅器だそうです。 燕市で槌起銅器といえばなんといっても「玉川堂(ぎょくせんどう)」 鎚起銅器の伝統技術を二百年弱に渡って継承している会社です、 銅に多彩な着色を施す技術は、玉川堂のみが可能な技術で世界最高品質の銅器を製造し世界中に顧客を持っています。 シャンパンの帝王と称されるクリュッグの六代目当主オリヴィエ・クリュッグと玉川堂七代目当主玉川基行が意気投合し、コラボレーションとしてクリュッグオリジナルのボトルクーラーを共同開発したり、日本の伝統工芸企業としては稀有な世界的ブランド力を持つ老舗企業です。 槌起銅器はその後開発された「巻き」と呼ばれる継ぎ合わせの技術によって廃れ、第二次世界大戦後にはほぼ壊滅状態にありました、 この槌起同期の復興にいちはやく着手したのが玉川堂5代当主「玉川覚平 」です 1980年、槌起銅器は文化庁より記録作成等の措置を講ずべき無形文化財(選択無形文化財)に指定されます。 2002年、通商産業大臣より「伝統工芸」の指定を受けます。 2008年には国内唯一の槌起銅器の産地として玉川堂の店舗・土蔵・鍛金場・雁木が、国の登録有形文化財の指定を受けます。 そして2010年、6代当主「玉川政男 」の実弟「玉川宣夫」が重要無形文化財「鍛金」の保持者(人間国宝)に認定されます。 高岡の銅器のようにたくさんは作れないけれど、これも世界に羽ばたく企業の一つなんですよ~ さて銅器と共にかつて燕の主要産業だった煙管・矢立の方は・・・ 煙管の方は昭和52年市の無形文化財の指定を受けて保護されていますが、矢立の方は・・・ 明治の末期頃までは作られていたようですがその後途絶え、今はその技を受け継ぐ者はいません。 燕市産業資料館に丸山コレクションとして故「丸山清次郎氏」が集めた煙管煙草入組物55点、煙管115点、矢立269点が残っております。 煙管・矢立のコレクションとしては国内有数のものなんですよ。。。 まああとは貴重なコレクションでもゆっくりと見てください・・・ 江戸時代から明治時代にかけて作られた煙管・矢立のコレクションです・・・ 矢立は既にその技術が途絶えておりますので・・・ 今となっては貴重な文化遺産ですね。 これは煙管煙草入組物・・・ どれも細かな細工が施されていますね。 喫煙具は古くは男性のアクセサリの一つだったのですね。 今日は燕市の産業の歴史のお話でした・・・ 燕市はそのほとんどが平野部に位置し、山がほとんどありません、 そのため県内では人口密度が高く、新潟市に継いで県内第2位の人口密度なんですよ、 まあ人が住んでいない山がないというのが理由でしょうね・・・ 三条市は人口は燕市より多いけれど、ほとんど人が住んでいない下田の山が多くの面積を占めていますからね。 ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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