テーマ:食べ物探検(128)
カテゴリ:食べログ(その他)
今日はまずは写真から。
この城は何でしょう?・・・ これは明石城、 旧明石藩の本城です、明石はもともと姫路52万石池田氏の所領でしたが、池田氏の転封に伴って播磨1国は細かく分割されそれぞれ小さな藩に分割されました、 播磨は四国・九州・中国と京・大阪を結ぶ要衝、権力を集中させたくなかったのでしょうね、 播磨の所領は明石藩10万石、姫路藩15万石、赤穂藩3万5千石、平福藩2万5千石、山崎藩3万8千石、龍野藩1万石、林田藩1万石と細かく分割統治されます。 この時新たに立藩された藩の一つが明石藩で明石城もこの時に明石藩の本城として、新たに築かれました、 天守閣はありませんがなかなか見事な石垣が残っています。 天守がないのは焼け落ちたからではなく、もともとなかったのだそうで、明石城にはその代わりに本丸の四方に大な櫓が組まれました。 これはその櫓のひとつ坤櫓です、明石城に残る櫓はこの坤櫓と巽櫓の二つですが、他に乾櫓、艮櫓があったようです、 これは方角ですね、多分それぞれその方向にあるのでしょうね・・・ この坤櫓の後ろ側には 天守台が築かれています、 広さから予測すると本来ここには5層程度の天守閣が築かれる予定だったのではないかと推察されています。 明石の地は山陽道の要衝、北には山陰へ向かうルートがのび、南には淡路、四国へ向かうルートがのびる、当時は姫路に次ぐ要衝の地であったようです。 西国大名の抑えとして姫路に次ぐ重要な位置にあったおがこの明石。。。 さて、歴史・地理の勉強はこの辺にして、現代に戻りましょうね。 明石といえば・・・、 玉子焼・・・ この明石の玉子焼が現在のたこ焼きの原型であるといわています。 たこ焼きと違いソースをかけて食べるのではなく出汁につけて食べます。 具もたこ焼きよりもシンプルです。 これはブロ友さんに教えてもらった、「たこ磯」の玉子焼、今は一般的には明石焼きとも言いますね、 中身はタコ。。。 明石の商店街には明石焼きのお店が連なっております、このそう長くもない商店街にいったい何軒明石焼きの店があるのやら。。。 このたこ磯のある商店街は魚の棚商店街といい明石焼きの店が集中しているのですが、店お選ぶポイントの一つがこの明石焼きの表記・・・ 店の看板に明石焼きと書いてある店は老舗には少ないそうで観光客用の店、このたこ磯もそうですが老舗の店は、昔からの呼び名である玉子焼と表記している店が多いようです。 最近は明石焼きの名前が定着してきたので老舗でも併記している店はあるようですけれどね、明石焼きとしか書いていない店は老舗では少ない。。。 タコではなく穴子というバージョンもあります。。。 こちらの明石焼きは一粒一粒はそんなに大きくないですが数が多い・・・ これで1人前。。。 明石には明石焼きの店が70店舗以上あり、160年前から玉子焼として親しまれてきました、 B級グルメとして人気になった明石焼き、 地元ではもともとあった普通の食べ物です、街おこしのために作ったわけでもありません、 本来B級グルメというのは地元に埋もれた安くて美味しいものを発掘しよう、 普通に美味しい地域の美味を探そうというのが趣旨ですが、近年はすっかり街おこしのネタに・・・ 食文化は庶民がつくるもの、地域の特性を生かし、地域に根付き、親しまれ引き継がれてきたものがやがて文化となる。 それぞれの地域に根付いた味を楽しむのがグルメというものでないですかね・・・ 明石には明石の美味があり、大阪には大阪の美味がある、広島のお好み焼きは広島の美味、大阪のお好み焼きは大阪の美味、 それぞれに美味い!!、どちらが上ということもない、 明石焼きは明石焼き、たこ焼きはたこ焼き、別のもの比べること自体がナンセンスというもの。。。 今日は明石の城と玉子焼のおはなし・・・ キャンプ中の光君の写真がだいぶ残っておりますので・・・ しばらく光君の写真はこのシリーズです。。。 ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[食べログ(その他)] カテゴリの最新記事
|
|