テーマ:日帰り温泉あれこれ(1033)
カテゴリ:日帰り温泉日記(下越編)
キャンプから帰った後もやっぱり温泉ばかりの我が家です・・・
キャンプ後の温泉もすでに3回ですが今日はそのうちの1回目・・・ わが家の定番「いい湯らてい」です、 珍しくまだ明るいうちに言ったので景勝「八木ヶ鼻」がよく写っています。後ろの断崖絶壁ね・・・ 定番のもう書くことなくなった温泉は雑談を加えるスタイルが定着してきましたが今日もそのスタイルで・・・ いい湯らていは何度も紹介していますからね・・・ 今回の雑談は歴史認識についてです。 過去の歴史の真実は一つですが、過ぎ去った遠い昔のことは分からないことも多く、そこに様々な認識の違いがでてきます、 近代日本史で大きな認識の違いとしては「自虐史観」と「自由主義史観」があります。 自虐史観というのは東京裁判の結果をそのまま受け入れ戦争の元凶は日本にあったという考え方で、戦後教育の近代史教育は主にこの立場をとっているので年配の方はこの考え方の方が多い傾向にあります。 自由主義史観というのは東京裁判史観、コミンテルン史観のいずれにも与しない自由な立場で歴史を見ようというもので政治思想の「自由主義」とは関係ありません。 両者の主張の争点となることが多いのがあの戦争が「侵略」であったか否かということになりますが、 「侵略戦争」という定義が「侵略」の意思をもってということであればその意思は少なからずあったのではないかと思います、 しかしながら過去にダグラスマッカーサー元帥が「日本の戦争は安全保障が動機だった」と語っているようにそこに自衛という観点があったのもまた事実ではないかと思います、 歴史というのは白か黒、どちらかに明確に色分けできるものではない、多面性があり多くの場合それはグレーです、グレーにいくら色を混ぜたところで決して黒にはならない。 あえてあの戦争が侵略であったか否かを問うならば、私個人の見解としてはこう答えるのがまあ妥当なところではないかと思います、 「あの戦争は侵略戦争という側面があったことは否めない、しかしながら自衛のための戦争という側面があったこともまた否めない」 ずいぶんとあいまいな表現と思われるかもしれませんが歴史とはそういうものではないでしょうか? ではそこに罪があったのかどうか?・・・ 戦争という絶対悪に善悪を問うても無意味です、グレーは黒ではないが白でもない、いくら色を薄めてもグレーは決して白にはならない。 一滴でも黒が混じっている限りそこに罪はある、しかしながら戦争にかかわった国で罪のない国、純白であった国などはたしてあったのでしょうか? 自由主義史観は時に歴史修正主義として批判を受けることがあります、 どちらの主張も歴史の可能性のひとつであって否定はできませんが、一つだけ間違えていることがあります。 「歴史を修正することは恥ずべきことではない」ということです、 歴史は不確かな過去です、新たな事実に基づいて修正され真実に近づいていくもので、僅かでも可能性のある事柄を検証すること自体を否定することは真実への道を閉ざすことになりかねません。 真に恥ずべきは常識を鵜呑みにし、よく分かりもしないことを事実であると思いこみ、他を排除することです。 稚拙で根拠がないと思うのなら否定、論破すればよいのであって非難すべきことではありません。 事実を自己の都合の良いように捏造し、架空の歴史を作り上げることは非難されるべきことですが、事実に基づいて新たな考えを主張することは恥ずべきことではない。 たとえそれが常識を覆すに至らなかったとしてもそれは可能性のひとつです、今後も気のすむまで何度でも歴史を見直し追及して修正すればよい。 それは否定されることはあっても批判されるべきことではない。 歴史修正主義というのは新しく発見された史料や、既存情報の再解釈により従来の歴史解釈に対し、別の可能性を掲示する試みで それまで主流的であった歴史観を再検討した上で新たに提示された歴史観を表す言葉です、 自国の歴史を肯定的に捉え直すものに限って用いられる用語ではなく、ましてや思想的に偏向した歴史観に限って用いられる用語でもありません。 歴史修正主義という言葉が否定的な意味合いで使われるようになったのはある大きな歴史認識を否定する動きから始まります。 その大きな歴史認識いうのがホロコーストの事実です。 ホロコーストは多くの物証と証言、膨大な資料に裏付けされたもので、対するホロコースト否定主義は根拠があまりにも稚拙で世界中から非難を受けることとなります、 この主張はユダヤ系の人たちを憤慨させ傷害事件、放火事件にまで発展し、ホロコーストを否定することを禁止する法律まで制定されるに至ります、 国連総会もこの問題について否定する活動の禁止を行うよう勧告を出しています。 しかしながら常識と異なる結論に達したら「犯罪者」にされるというのは、分析が禁じられているのと同じとしてこの法律に対して否定的な意見もあり。 かつてドイツと敵対関係にあったイギリスやアメリカなどを含めこの問題について特に禁止措置を取っていない国もあり、国連総会も勧告は出したものの何の罰則規定もないものにとどまっています。 もしも0.01%の可能性の中でこの稚拙な説が真実であった場合、この法律は「事実を隠蔽した悪法」としてその先の未来に名を残すこととなります。 そのリスクを負って制定されたのがこの法律といえますね。 こんなことばかり書いているからかもしれませんが私は中国も韓国も大嫌いと思われているのでしょうね、 あるブロ友さんのブログのコメント欄に、ある方が私の書いたコメントに対する賛同と共に「中国」を「中国」と呼んではならない理由というのが書かれておりました・・・ まあ確かに「中国」も「韓国」も嫌いですけれどね、それとこれとは話が別・・・、面白そうなので最後にこれに対しての私の見解を書いておきましょう。。。 「中国」の名前は世界の中心は我が国にある、確かに傲慢な名前といえるかもしれませんね、 では我が国「日本」はどうでしょう? 日の本、太陽は我が国から昇る・・・ 日が昇るのは地球が自転しているからで、日本から日が昇っているわけではありません、これもずいぶんと傲慢な名前ですね。 こんな名前とつけているから自惚れてあんな戦争を起こすんだといわれても仕方ありませんね。 名前なんてものは美化してつけるものです、相手が「中国」という名前をつけたというのだから「中国」と呼べばよい、屁理屈は要らない、 中国には中華思想という自国が世界の中心であるという考え方があることは否定しませんがそれと国名は無関係です。 石原さんが中国を支那と呼ぶのは無礼千万な非常識な態度だと思いますよ、「中国」を「中国」と呼んでならないなら、「日本」も「日本」と呼んではなりません、「邪馬台国」とでも呼んだらいかがですか? というのが私の見解です。 ご期待に沿えなくてすみませんね、なんでもかんでも「中国」「韓国」に対して否定的な意見に賛同するということではありませんのでね。。。 ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[日帰り温泉日記(下越編)] カテゴリの最新記事
|
|