テーマ:お花見散歩(73)
カテゴリ:新潟観光日記(花見編)
さて今日も花見のネタです。
まあ私は「雅」なのでしょうがないですね~(笑) 今日の花見は・・・ 悠久山公園です、 まあわりと定番でここ数年掲載しているような気がします。 悠久山公園は・・・ この時期は屋台も出ております・・・ なに?、食い物が目的じゃないかって? 失礼な・・・ タコ焼きとホルモンとから揚げと団子くらいしか食ってません・・・ なに?、それだけ食えば十分だって? おかしいな~~ 悠久山公園はかつて戊辰戦争で敗れた長岡藩藩主(牧野氏)の霊廟があるところでしてね。 園内には長岡藩3代目藩主牧野忠辰を御祭神として祀る蒼紫神社があります。 ちなみに戊辰戦争があったのは長岡藩11代藩主牧野忠恭の時代です。 この蒼紫神社に祀られている3代藩主牧野忠辰が桜を愛好したことにちなんで園内に植えられたのが悠久山の桜です。 お~~~ なんて知的で勉強になるブログなんでしょう(笑) 無駄に買い食いだけしに行ってるわけでないのよ~~ 光君の散歩もかねてね・・・ 週末に家に閉じ込めておくとろくなことしないからね。。。 「休みでしょ!!、僕もいけるよね!!、ね!!、ね!!、ね!!」 って留守番なんて最初からする気はないから。。。 家でふてくされていたずらばかりされるより連れて行った方が楽なんですな。。。 今日は休み、連れて行ってもらえるということがなぜか分かるもので。。。 もう留守番なんてさせようものなら・・・ ろくでもないことしかしません。。。 なに?知的な日記はどこ行ったって? うるさいな~~ 悠久山公園は長岡開府300年を記念して市民の有志によって整備された公園でしてね。。。 園内には長岡藩刀隊・槍隊の碑(戊辰刀隊戦没諸士碣銘碑、戊辰槍隊戦没諸士碣碑)・山本帯刀の碑・小林虎三郎(病翁)の碑・河井継之助の碑など、 長岡藩に係わり、戊辰戦争に係った者たちの慰霊碑が多くあります。 まあ今は戊辰戦争で落城した長岡の城は跡形もなく、この公園に城を模した郷土資料館があるのみですが・・・ まあ城自体はここではなく長岡駅のあたりにあったんですけれどね・・・ 戊辰戦争は旧幕府軍側に加担した諸藩の時代錯誤、無知が招いた自業自得などという説を唱える者もいますがね。 そんな単純なものでもなく、特に終局となる対奥羽越列藩同盟戦あたりになるとね・・・ 戦争をしたくない、避けようとしたがために余計に戦争に巻き込まれたという側面が強いのですよね。。。 この長岡藩も当初は長岡への侵攻の中止と長岡の獨立特行を主張していました、 どっちにも加担はしない、中立の立場から両者を仲裁するという主張ですね。 が、これは最初から会津を赦免するつもりの無い新政府軍に受け入れられることはありませんでした。 こうして長岡は望みもせぬ戦争に巻き込まれていくこととなります。 やがて長岡の地を流血の惨状へと変えた血塗られた道は会津へと続いていくこととなるのですね。 流血の贄を求める新政府軍の狂剣はもはや止まらぬ濁流と化していたのです、 幾千の屍を喰らい、軍国へと傾く血塗られた濁流は日露・日清をへてやがて太平洋戦争へと続いていくこととなるのですね。 なんとも愚かな人間の性というべきか。。。 今日は悠久山公園の桜のお話し・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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