テーマ:食べ物探検(128)
カテゴリ:食べログ(その他外食編)
今日は食べログになります、
加茂川の上流にところてんの美味しい店がありましてね。 加茂の善作茶屋です、 ところてんの味ってそんなに変わるものなの? 勿論です、ところてんや日本茶は水の味に大きく左右されます、水の不味いところのところてんは美味しくないんですね。 この店があるのは・・・・ この茶店以外何にもないような所でここからさらに上流に行くと加茂の水源地があります。 まずもって水が違う・・・・ こちらのお店では。。。。 この清水でてんやジュースを冷やしています、 で、この清水で冷やしたところてんを注文されてから切って突くわけです。 最近はてん突きもあんまり見かけなくなりましたよね・・・・ 昔はところてんは家庭で突いて食べるものでしたけれど今はついてあるのがパックになってますね。 以前よりも少し高くなりましたが以前よりも器も大きくなって量も増えたような気がします、 この善作茶屋は加茂の水源地に向かう途中ほとんど民家もないような所にあります、 お客さんのほとんどはわざわざここのところてんを食べるために車でくるわけです、 まあ店の前にバス停があるのですが、バスで来ても何にもないですしね~~ その名も善作前。。。。 古くからある茶店でしてね、知る人ぞ知るところてんの名店でして・・・・ 五泉の帰り道、ちょっとルートを変えて寄り道です。 加茂の山の中を抜けるルートがありますのでね・・・・ このルートを以前は蒲原鉄道という私鉄が走っていたのですけれどね。 蒲原鉄道は加茂-五泉間を結ぶ鉄道でして、1923年に五泉-村松間(4.2km)が1930年に加茂-村松間(17.7km)が開通し全線開通いたしました。 村松はかつては村松藩3万石の城下町でその後、大日本帝国陸軍歩兵第30連隊の駐屯地が置かれました。 この鉄道は陸軍から物資輸送の目的で要望されていたものでもありました。 こうして開業した蒲原鉄道でしたが時代は下り自家用車の普及に伴うモータリゼーションが進むと急速に衰退します、 1967年をピークに減少に転じた利用客に歯止めは利かず、特に沿線人口の希薄な加茂-村松間においてその傾向は顕著に現れました。 加茂-村松間は蒲原鉄道の路線の8割を占める区間であるにもかかわらず利用者は全体の3割、 そりゃそうですよ、営業区間の七谷や冬鳥越えというのはこの茶屋のさらに奥なんですから・・・・ この茶屋があるのは蒲原鉄道の狭口と七谷の間くらいのところでしてね。。。。 結局1985年、加茂-村松間の路線は廃止されました、 その後、蒲原鉄道は短距離路線として営業を続けていましたが、1999年五泉村松間の営業を終了し76年間の営業を全て終了したわけです。 加茂には北越鉄道(現信越本線)が五泉には岩越鉄道(現磐越西線)が通ってますがかつて3万石の城下町だった村松には駅が無かったのですよ・・・ こうして要望されたのが蒲原鉄道だったわけですが車社会の到来とともにその役目を終えていくわけです。 今日は加茂の善作茶屋のお話し・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[食べログ(その他外食編)] カテゴリの最新記事
|
|