テーマ:お花見散歩(73)
カテゴリ:新潟観光日記(花見編)
さて雪峰祭の帰りに冬鳥越えのバラ園に寄ってみました。
冬鳥越えスキー場の中のバラ園でしてね・・・ 約150種2700本のバラが植えられています。 まあ帰り道ってこともないのですがちょっと大回りして寄ってみました。 冬鳥越えスキー場は旧蒲原鉄道冬鳥越え駅に隣接するスキー場で、蒲原鉄道の廃止に伴い駅舎とホームの跡地に駐車場が整備されました。 もともと人口が極めて少ない地域で蒲原鉄道が開通していた当時も冬場はスキー場の利用客がそこそこいたもののシーズンオフにはほとんど利用客のいない駅でした。 まあスキー場としてもそんなに降雪のある地域でもなく積雪が不安定で微妙ではあるのですが。。。。 蒲原鉄道の歴史については少し前の日記で書きましたね、 ここは旧蒲原鉄道が通っていた場所で、こちらには当時使われていた車両が静態保存されています。 これは大正12年の開業当時に新製されたモハ1型で、県内では最古の木造車両となります。 日本の鉄道車両は大正末期から昭和初期にかけて木造から半鋼製へ変わっていきます、この車両は大正12年に鎌田車両で製造されたもので、 この車両が製造された数年後には鉄道車両の歴史は半鋼製へと変わっていくこととなります。 このモハ1型の車両は廃車となった後も村松車庫内で職員詰所として利用され車体そのものは蒲原鉄道の全線廃止まで現存していました。 全線廃止後は車体内外とも徹底した修繕が行われこの場所で静態保存されることとなりました。 蒲原鉄道でももっとも初期の車両ということになりますね。 で・・・・ こっちは逆に配線まで現役で走っていた半鋼製車両・・・・ モハ61型です、 昭和15年に製造された車両で、昭和33年に西武鉄道より譲り受けています。 この車両暖房の利きが良かったために冬季に優先して運用されていたそうで、 蒲原鉄道の全線廃止まで元気に働いていた車両です。 ちなみにこの「モハ」ってのは「モ」がモーターのモ、中間電動車両、「ハ」ががイロハのハ、三等車、普通車両の事です。 運転席の付いた先頭車両は「ク」、駆動車、モーターもついていれば「クモ」と表記されます、で、「イ」は一等車普通は使われません、「ロ」が二等車、グリーン車です。 こっちは蒲原鉄道全線開通に先立ち貨物列車牽引の為に新製されたED1形、電気機関車です。 ED1形は冬季はラッセル用のスノウブラウを取り付けて除雪に利用され蒲原鉄道が全線廃止となるまで現役で利用されていました。 昭和38年の三八豪雪では除雪が追いつかず全線が1ヵ月に渡って不通となったそうです。 まあ歴史に残る大豪雪ですので・・・・ 新潟でも積雪が3メーターを超え、新潟-上野間を結んでいた急行列車「越路」が最大で106時間の遅延をきたしたという伝説の豪雪です。 最も積雪の多かった10日間で運休した列車、旅客列車6488本、貨物列車6147本、交通網はズタズタです、 今も昔もこういうことはあったわけです。。。。 端に見えてるのがスキー場のロッジです。 まあ小さなスキー場ですが一応今もやっているスキー場ですので・・・ まあ今は電車は通っていませんが・・・ 電車の話ばかりになってしまいましたが一応薔薇園のお話なので残りは薔薇の写真・・・ 今日は冬鳥越えスキー場のバラ園のお話し・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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