カテゴリ:新潟観光日記(イベント編)
さて毎度数日遅れのこのブログ・・・・
まあ写真編集の手間とか、文章まとめる手間とかありますので・・・・ 去る8月2日・3日はは「長岡まつり大花火大会」の日です。 長岡の花火は秋田県大仙市の「全国花火競技大会」、通称大曲の花火、茨木県土浦市の「土浦全国花火競技大会 」と並び日本三大花火大会の一つに数えられています。 打ち上げ発数は約2万発、観客数は約100万人です、これだけ見ると三大花火大会の中で一番なんですが、長岡の花火は2つ日間の開催で発数、客数とも1日分としては約半分、 そう考えると1日の花火としては三大花火大会の中で一番少ないかもしれませんね。 だだですね、単純に打ち上げ発数で測れないのが花火の魅力で、打ち上げ発数だけならもっと多い花火大会が全国にはいくつかあります。 例えば長野の諏訪湖の花火大会は1日の打ち上げ発数は4万発で打ち上げ発数日本一を誇ります。 ではなぜ三大花火大会なんてものが言われるようになって、ここの花火が日本一だなんてことを言う人が出てくるのでしょう? それはですね、玉の大きさと花火の完成度がこういう有名花火大会は著しく高いからなんですよ。 日本で一番人が集まる花火大会は東京の江戸川の花火大会です、1日で140万人近い人が集まります。 一日の打ち上げ発数は1万4千発、東京を代表する大花火大会です。 ただですね、日本一の誉れ高い多くの有名花火大会が田舎で開催されます、なぜなんでしょうね? それはですね、都会の住宅密集地では大きな玉の花火はあげられないということなんですよ。 例えばですね、長岡の花火の大きな魅力の一つが2日間で8発打ち上げられる正三尺玉、 三尺玉は直系88センチの大玉で重量は280kg、開花直系は550mにもなります。 これに対して東京でも江戸川と並ぶ大花火大会の隅田川の花火大会では、打ち上げられる玉のサイズは5号、5寸が限界だそうです。 五号玉のサイズは15センチほど重量は約1.3kg、開花直系は220m、規模が全然違うんですね。 当然値段も全然違ってですね、5号玉は1発1万円前後であげれますが、三尺玉になると1発150万円前後かかります。 長岡花火のもう一つの大きな魅力が大玉を織り交ぜた大規模なミュージックスターマインなんですが。 このミュージックスターマインの中でもとくに有名な「復興祈願花火フェニックス」の打ち上げにかかる費用は約3000万円です。 規模が全然違うし、大玉を打ち上げられる環境があるということなんですね。 隅田川の花火大会で大きな玉が打ち上げられないのは安全の面からですからね、住宅が密集していて火災の危険のある都心部では大玉の打ち上げはできないということなんですよ。 ちなみに今回の花火の写真はこの1枚だけが大会初日、2日の花火の写真で後は全部3日の花火大会の写真です。 というのはですね長岡の花火は日付固定で2日・3日の開催、今年は木・金での開催で、 平日それも週の真ん中の木曜日なんか遅くまで花火見てもいられませんのでちょっと遠くからの観覧にしたのですよ。 結構離れた公園からの花火見物です。 で、2日目は金曜日で翌日が休みなので会場近くまで行ったのですが・・・・ まあ車で行くと大渋滞で帰ってこれなくなることは必至なので電車、それでも仕事が終わってからでは会場はもう激混みで入れませんので、 毎年会場少し手前の道路を交通封鎖して開放しますのでそこで見物・・・・ というか平日の花火大会はいつもこのパターンです、仕事終わってから電車で行ってもどうせ会場には間に合わない、入れませんから。。。 もう何年も会場までは行ってないんですよね・・・・ 長岡の花火は2日間の開催で客が分散するといってもそれでも1日の客入りは50万を超え、駅の入場規制が行われるような混雑になりますので・・・・ さて蘊蓄が多いと言われる私のブログですが、まあせっかく見るんですから長岡花火の歴史もちょっと・・・・ 長岡の花火はですね、大曲や土浦の花火と違って「花火競技大会」ではありません、花火の出来を競うものではありません。 長岡の花火そのものの歴史は、1879年、千手町八幡様の祭りに遊郭関係者がお金を出し合って花火をあげたのが最初と言われています。 長岡の花火って明治時代から続くかなり長い歴史を持ってるんですよ、 ただ当時の花火は9月の開催で現在の8月2日・3日に日付固定されるようになったのはその後の長岡の歴史と関わってきます。 時は流れ太平洋戦争末期の1945年8月1日・・・ 長岡は空襲の被害にあいます、午後10時30分アメリカのテニアン島第313航空団の爆撃を受けた長岡は市街地の約8割を焼失します、 被災者約74000人、死者1486人、被災戸数約12000戸、落された爆弾の数は約16万発、900トンに及ぶものでした。 この空襲で犠牲になった人々の死を悼み、慰霊鎮魂と戦後復興の願いを込めて翌1946年から当時戦時中止されていた花火大会を復活させたのが今の長岡の花火でして。。。。 で、長岡の花火は2日、3日の日付固定なんですが、長岡大空襲があったのは8月1日の午後10時30分、 まあ花火大会を行うにはちょっと夜遅いですの、この日のまさにその時刻、午後10時30分に慰霊鎮魂の花火「白菊」があげられます、 毎年この真っ白な尺玉花火が数発、長岡の夜空を彩るのです。 で、この日あげられる花火はこれだけで、その翌日から開催されるのが長岡まつり花火大会です。 死者への追悼の祈りと復興への願いを込めた花火が長岡の花火なんですね。 で、この長岡の花火、全国多くの花火大会が自粛された東日本大震災があった2011年にも例年通り開催されましてね、 その理由は長岡の花火は「慰霊と復興を祈念する花火であり自粛する必要は全くない」というものでした。 長岡花火の大きな魅力の一つの「復興祈願花火フェニックス」 この花火は元々2005年に新潟を襲った7.13水害、中越地震これら自然災害からの復興を祈念してその後10年を期限として打ち上げが開始された花火なのですが、 この震災により無期限延期され現在まで続いているのですね。 まあもう長岡花火の定番の一つになってますので今更やめれないでしょうけれど・・・・ この3000万円超の巨大スターマインは・・・・ 市民と多くの皆様の善意の募金で成り立っています。 まあ毎年花火会場で募金集めしてますので、見て良いと思った人は少額でも募金して帰りましょうね・・・・ それが翌年のフェニックスの資金になるんですから。。。。。 今日は長岡まつり花火大会のお話し・・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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