テーマ:公園に行きましょう(1417)
カテゴリ:新潟観光日記(その他)
まあ光君の散歩なんですが・・・・
五十嵐川水害復興記念公園に行きました。 この場所は2004年7月13日におき、死者16名を出す大災害となった新潟・福島豪雨の堤防決壊場所でして・・・・ 14年前の7月まさにこの場所で信濃川水系の五十嵐川の堤防が決壊したのですよ。。。 三条市では死者9名を出す大災害となりました。 この道路が五十嵐川の堤防の上の道で、その向こうに五十嵐川が流れています。 まあもっともこの時の水害はこの場所だけにとどまらず、信濃川水系の五十嵐川、刈屋田川、中ノ島川の11カ所で大規模な堤防決壊が起こり、 五十嵐川流域の三条市、刈屋田川流域の中之島町、見附市、長岡市で大規模な浸水被害が発生しました、 家屋の全壊70棟、半壊5354棟、善20655棟に被害が出ました。 まあこの堤防の向こう側がこんな感じで・・・ こっち側が全て水浸しになったわけで。。。。 三条市では月岡・嵐南・四日町・本成寺といったあたりに大きな被害が出ました。 この災害は後に激甚災害に指定されるのですが、三条市ではゴミの集積場所が追いつかず、やもう得ず三条競馬場の跡地に災害ゴミを集積し、当時はゴミがうずたかく積み上げられたものでした・・・ 市内の大規模な災害ですのでよく覚えているのですが・・・・ 水害というのは質の悪いものでしてね、 泥が大量にたまるんですよね・・・・ 汚物の混ざった汚泥だから結構臭い。。。。 ゴミの集積が追いつかず嵐南、四日町といった地域では道路の両側にゴミが山のように積み上げれれていました。 この水害に懲りたのか、この地域ではこの後1階が車庫、生活スペースは2階から上という住宅が増えました。 こういう構造の家、豪雪地に多いんですけれどね~~ まあ豪雪地の場合は雪に埋まるからという理由ですけれど。。。。 で、ですね、時代は繰り返すと言いますか、この五十嵐川の左岸にはかつては堤防が無く、左岸の嵐南・四日町地区は毎年のように洪水に悩まされていたのでした。 まあ江戸時代から明治にかけてのお話ですけれど・・・・ で明治時代に治水工事が行われましてね、左岸に堤防が築かれたのですね。 この石碑はその明治の築堤を記念した石碑です、 で、この築堤に尽力したのがですね、 この石像の松尾与十郎・・・・ 私財をなげうって明治10年にこの堤防を完成させたのですって・・・ まあ私は元々この三条市の生まれでないので習いませんけれど。。。。 地元の小学校では三条市の歴史の中で習うのですって・・・・ 今日は「五十嵐川水害復興記念公園」のお話・・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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