テーマ:公園に行きましょう(1417)
カテゴリ:新潟観光日記(社寺仏閣編)
悠久山公園に行きました、
悠久山公園には長岡藩3代藩主を祀った蒼紫神社あります。 享保7年、既に隠居していた牧野忠辰が死去し、それに伴って京都の神祇道管領の吉田家より、故人忠辰に蒼柴霊神の神号が贈られました、 これを当時の藩主牧野忠寿が長岡城東隅に社殿を造営して忠辰の霊璽を奉安したのが蒼紫神社の始まりです。 明和8年に忠辰50周忌により大明神に昇格。天明元年に三官山を開拓して社殿を造営し現在地に移転しました。 戊辰戦争で長岡藩が負け、一時栃尾に移転されたのですがすぐに戻され、後の神仏分離令で蒼紫大明神から蒼紫神社に変わりました。 「明神」とか「権現」とかいうのは本地垂迹説の勃興により、仏教の仏が神の姿を借りて現れた仮の姿であるという考えが普及しましてね。 明治の蛮行「廃仏毀釈運動」の影響ですね。 まあ日本の宗教史の一大転換期の一つでもありますので・・・・ 明治維新と言いましてもそこには日本の近代化をもたらした功績の部分と、それによる弊害をもたらした害の部分もあって、 功罪合わせて明治維新なんであって、すべてが輝かしい光の中で改革が進んでいったわけではないのですね、 そこには当然に闇があり、廃仏毀釈運動もその闇の一つです。 まあそもそも戊辰戦争からして官軍側がすべて正しかったわけでないですし。 特に北越戦争以降の戊辰はいらぬ流血を招いた罪は当然に官軍側が受けねばならない罪過でもありますね。 防ごうと思えば防げた流血の色彩が強いですので。。。。官軍側の頑迷さが不要な流血を招いたのが北越戦争以降の戊辰の悲劇とも言えますね。 まあ戦争の正義など勝手なもので、言い換えれば正義などどちらにもないのですよ・・・ 双方が悪あるがゆえに起きるのが戦争とも言えますね。 さて・・・・ せっかく悠久山公園に来たので熊でも見に行きましょう・・・ この公園には熊がいるんですよ。 と思ったら。。。。 熊永眠していました・・・ あら死んじゃったんだ。。。、しかも先週に・・・ ツキノワグマ。。。。 まあ一応これも熊っちゃ熊だが。。。。 アライグマ・・・・ やっぱりサイズがね・・・ツキノワグマほど大きくないから・・・・ これも熊・・・、光君の宿敵アナグマです(笑) え~とですね、ダックスフンドというのはこのアナグマを狩るために品種改良された犬でしてね。。。 もっとも光君はミニチュアなのでより小さなアナウサギとかを狩るために小型改良された品種ですが・・・・ もともと銃猟犬だから小さい割に吠え声がうるさい、大きな声で飼い主に獲物の存在を教えるのですよ。 大きな声にも意味があるんですね。 でもって相手がこっちになると・・・ 光君は逆に狩られる方かな? 犬にとって猛禽類は天敵、ただまあ梟や鳶には光君は大きすぎるかも・・・ 鷹や鷲だと完全獲物ですね、まあでも相手が梟ならいいとこ鼠や兎。。。 犬の視界って上には向きにくいから上から襲ってくる猛禽類には弱いんですね。 なんか心なしか獲物を狙う目つきになってるような気も。。。。 僕は餌じゃない、餌じゃない・・・・ これはコハクチョウ、まあ白鳥は犬は襲わないね・・・・ こっちは。 朱鷺の近縁種、朱鷺も数が少なくなって保護されてますが、 本来朱鷺は水田を踏み荒らす害鳥で、駆除の対象だったんですよ。 まあ動物愛護なんて言ってもそれは人間の都合によるもので、動物側からすればいたって自分勝手なものなんですね。 あとこの公園にはですね、 猿山があります、 まあ実際問題としては絶滅危惧種が絶滅しても実害はなく、 ただ一つの種を絶滅に追い込んだという贖罪の気持ちが残るのが嫌なだけ。 醜い人間のエゴが生み出した動物愛護ですね。 絶滅危惧種というのは人間が乱獲し、環境を破壊し、住む場所を奪われて数を減らしてしまったものです、 その環境を作り出したことを反省する意味はあるかもしれませんが、環境に適応できなくなった者が滅ぶのは自然の摂理です、かつて恐竜が滅んでしまったように・・・ 命を弄んではならない、奪ってしまった命は可能な限り有効に使わなければならない、 それが奪ってしまった命に対する礼儀というもの。。。 「地球のため」「動物たちのため」いいや違う、人間は人間のためだけのために動物を保護しているのですよ。 全ては人間のためです、最後にケツをまくるなら最初から飾らなければいい。。。 後はですね・・・・ 兎がいます・・・ まあほかにも孔雀とかハクビシンとかいるんですけれど。。。 まあミニ動物園的なのかな~~ 今日は悠久山公園のお話・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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