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テーマ:幸慶家の農業日誌(470)
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セレモニーセンターでの葬儀は実に楽になった。
亡くなられた時から、全ての営みが終るまで、何から何まで親切丁寧に面倒みてくれ、隣組に対しても、昔の様なものではなく、のんびりしたものだ。 こうした傾向に有る中での、「業者間の競争」ははげしい!。 さて、滞りなく終了した、本葬、初七日法要後、ご導師様の法話が始まった。 喪主の菩提寺に代わって引導させて頂いた旨の話から、「供養」という事についての法話をなされた。以下はその内容の骨子です。 ご導師様は、団塊世代の57歳。実父がつい先日亡くなられた事、そのお年が、87歳と、今日の「仏様」と「喪主」とも同年齢だった事から、大変な親近感を覚えた。 自分の僧侶としての道は「世襲」ではなく、2人兄弟の兄は出来が良く現在名古屋大学の教授になっているが、出来の悪い自分は、何とか自分の為、世の為にと、19歳駒澤大学入学時に「僧侶」になる事を決意。 つい2ヶ月前に現在の寺に住職として着任した。 その人の人生が「死顔」に表われる。 人間は「2度死んではいけない」・・・1度目の死はどう防ぎ様も無いが、2度目は防げられる。2度目の死とは、その方を忘れてしまう事、話題にも上らない事。 幾年経っても、忘れる事無く、故人を偲ぶ・・・・これが「供養」 実に良い法話だった。 何時も「こっくり」してしまう、家内もチャンと聞いていた。 ご導師様等が退席後、館内に、故人を偲ぶ「VTR」が放映され、野辺送りの発表が有り,今回は「精進落し」を先にし、野辺送りは最後になった。
これからが「相伴役」の本格的な出番だ。 先ず、「喪主」と共に、「お布施」をご導師様に渡し、一同着席後再び老いさんからの「お礼」並びに「初めての相伴の無礼さのお詫びの挨拶」をし、テーブルに用意されている、「お茶」「料理」に手を伸ばし、一口・・・さあ、どうぞ! 会食中は、和やかに終始し、大いに話が盛り上がった。 老いさんと同じ年のご導師様。しかも同じ「東都大学連盟」。スポーツに関しては、「野球」「駅伝」事に「箱根」では顔なじみという事で、・・・ また、ご導師様の声が「低音」で響きのある声の話から、老いさんの「合唱団」から「発声法」の話まで、ついついしゃべり過ぎてしまう感もあったが、・・・ 昔は「お坊様」というと大変隔たりがあったが、意外と「親しみやすさ」を感じた。
こうして無事「初めてのお相伴役」を務める事が出来た。
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