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幸慶家の農業日誌

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2007年03月16日
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カテゴリ:老いさんの回顧録

まさか、あの人が・・・この席に???

そう、もう、あれは、昭和46年、東京の学校を出て来て、当時、

「日本一小さいデパート」

という事で話題にもなった、地元のNデパートに就職。
その2年目に、「御用組合」の委員長に推されてしまった。

老いさんも一番血気盛んな頃で、山梨甲府の「岡島」「山交(山梨交通)」
諏訪、長野「丸光」、松本「はやしや」「井上」
の先輩「労組」のオルグを受け、
何とか、「御用組合」からの「脱却の為」、日夜奔走していた。

当時、所属は「食堂」に配属されていた。

とかく、「労組」の仕事が多く、食堂の忙しい土、日にも行事が入って来ていた。
現場の仲間には申し訳ないと思いつつ、その活動にも精力的に取組んだ。

そこに、高校を出たばかりの若いやり手の社員がいた。彼も「真面目」忙しければ、更に「燃える」タイプの男だった。忙しい喫茶の持ち場を一人でこなした。
余りに、オーダーが混み合って来たので、「バイト」の応援を洗い場に投入すると言うと、「いらない!」と拒否するのだ。

そんな彼に、よく言ったものだった。
よく言えば、「根性」が有る!悪く言えば、「協調性」がない・・・と

そんな彼は、チョクチョク職場を留守にする老いさんに対して「文句」を

言って来た。その度に、「労組」の役割り、大切さを説いたがはたして

どうだったか・・・

その後、老いさん、彼とも、それぞれの売り場を歩き回ったが、それ以後、

一緒になる事は無かった。

やがて、二人とも、退社し、それぞれの人生を歩む事になる。
                                  。
                                  。
                                  。

実に、約30年振りの再会と言ってもいい位の再会であった。

農家の人が多いこの役員の中に、「顔を出していたので・・・」

会議終了後、呼び寄せ、話をする。

昔の思い出話から、近況など・・・

彼は、お父さんの名代としての今日の会議への参加との事だった。

親父は年老いて、何も作っていないのに・・・、

自分も農業をしているものでもないのに・・・

今後の農業の在り方にも影響をもたらす言葉だった。

 






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最終更新日  2007年03月16日 23時57分27秒
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