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幸慶家の農業日誌

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2008年12月16日
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12月16日
昨日は木曾に新しく出来た温泉へ出掛けたが、木曾谷もまだまだ行って無い所が多く残っていた。

よし、もう少し、南下してみよう・・・

と、「インターネット」を開く。本当は、「楽天トラベル」から予約を入れれば≪ポイント≫がつくのでそうしたかったが、今日の今夜の宿泊では、それは無理な話。

仕方なし、あちらこちらの「宿泊施設」をあたる。

と・・・、インターネット限定≪あったらラッキー 直前予約 超得プラン≫を発見!!!

安いではないか!!!   ヨシッ・・・今夜はここにしよう!!!
早速、会員登録し、予約を入れた。

朝9時頃までwebしていて、急に、『オイ、今夜泊まりで温泉へ行くぞ!!』

驚いたのは奥さん。
『えーーー泊まるの!!・・・』

そうなんです、何時も急に決めちゃう、老いさんなんです。
泊まりとなると、それなりの支度が・・・

家内の準備を待って、カーナビをセットし、10時に出発。

行き先は・・・また≪木曾谷へ≫

トンネルが開いた事で、我が家は木曾へ行く事が多くなった。
しかし、伊那市広域連合と木曾の自治体で「ごんべい号」なるバスを日に数回運行させているが、余りに利用客が少なく、ついに、≪廃止≫が決まった。
その殆どが「マイカー」での通行が、利用客の少ない原因によるものだ。

 トンネルを抜け、19号へ出る。前日も通っているが、毎回素通りしていたが、直ぐそこに「歴史上の重要地点」がある。
木曾義仲館

そう、木曾の武将の資料館「木曾義仲館(やかた)」である。
木曾義仲館

                    「木曾義仲」と「巴御前」
一体、何時頃の人物かと言えば、源氏・平家の時代の人物。

もともとは、武蔵の国1154年「源義賢(よしかた)」の次男として生まれるが、従兄弟の
「義平」に父が攻め滅ぶ。この時2歳の駒王丸、畠山重能(しげよし)・斉藤実盛(さねもり)の温情により木曾に逃れ、後、木曾次郎源義仲と名乗る。
平家追討の命を受け、北陸へ
北陸、倶利伽羅峠の戦いで勝利する。

征夷大将軍に任ぜられるが、1184年後白河法皇の策略に合い、鎌倉軍に破れ、粟津ケ原で討死。31歳の短い生涯だった。

木曾義仲館
入り口正面に、義仲公、巴御前、四天王(4人の重臣)の人形が・・・
   木曾義仲館 
義仲公ゆかりの図だが、興味あるのは、北陸攻めの時、命の恩人「斉藤実盛」を討ったのが石川県加賀市という所だ。さて果て・・・加賀市とは・・・

そして、資料館の直ぐ脇には、義仲公の「菩提寺、徳音寺」がある。
         木曾、徳音寺
桜の木に囲まれた、山道の途中に山門がある。

            木曾、徳音寺
山門をくぐると、
木曾、徳音寺本殿が。左奥には墓がある。

昔、むかしの話とはいえ、時にはこうして見て廻るのもいいものだ。

次回は・・・昼の食事を求めて、更に南下します。






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最終更新日  2008年12月20日 21時01分20秒
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