相対評価
人やモノを評価する方法として、絶対評価と相対評価というモノがある。どちらも世の中にあふれている評価方法だが、人間を評価する場合はどちらかと言えば相対評価が用いられることが多い。 ちなみに子供の頃からもらう成績表というのがあるが、お父さんの場合は、小学校や中学校は相対評価だった。クラスの上位何パーセント(何人)が5、次の何パーセントが4、という風に、クラス内で上位の人が5、クラス下位の人が1と言うように成績の数字が決まるシステムだった。高校に入ると、これが絶対評価にかわった。例えばテストで80点以上は5と決まっていれば80点以上を獲った生徒は全員5をもらえる。高校でこの説明を聞いた時、どうして小中学校は相対評価なのか不思議に思った。 その後大人になって感じるのは、明確な規定が無くても世の中は相対評価が多いということだ。例えば新しい課長を選ぶとき、候補者の中で一番良いと思う人が選ばれるのであって、課長の能力をすべて持っているという人が選ばれるわけでは無い。 入試や採用試験もその時の上位に評価された人が合格するのであって、年によってレベルが違うのは致し方ないことである。 優秀な人でも、周りがさらに優秀な人ばかりであれば、集団の中の評価は上がらないし、さして優秀でなくても、周りに同じような優秀な人がおらず、相対的に秀でているとなれば、評価は上がる。能力に変化が無くても所属する集団によって異なる評価を受けるのだ。地方の公立高校で神童と言われていた人が、東京大学に入学して普通の人になることは、珍しいことではない。 相対評価は所属する集団によって自分の評価が変わるので、そこには運不運もあるし、理不尽に思うことも多々あるのだが、世の中がそういうモノだとあきらめることも必要だとお父さんは思う。 ただし、上司が部下を評価するときはある程度絶対的な基準が必要だとお父さんは思っている。優秀な人と比較して怒るのか、できない人を基準に褒めるのか、この評価内容が不安定な上司は信用されないと思っている。もちろん新入社員とベテラン社員を同列に扱うことはできないが、各レベルにおける絶対的な基準は人を評価する立場の人はもっているべきである。