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カテゴリ:エッセイ
お父さんは学生時代に「話し合いで解決しなさい」とよく言われた。話し合いによる解決方法は至高のものだと教わってきたのだ。しかし大人になると「話し合いだけで解決できない問題」があることを思い知らされる。暴力的な解決しかないという意味ではない。話し合いにすらならない問題が山ほどあるのだ。
理由の一つに立場の違いがある。大人の世界には、そもそも全く平等の立場での話し合いというものはほとんど存在しない。どちらかの立場が上だったり、権力を持っているのが普通だ。どんなに話し合いをしても、結局は立場が上の人や決定権を持つ人が最終決定を行う。これを「解決」と言っていいのなら「話し合いによる解決」だが、否定された人が納得しているわけではない。 残念ながら子供の頭では世の中の矛盾に気づけないので「話し合いで解決」はとても大事で尊重すべきだと思い込む。そもそも教師に逆らうことができない時点で「話し合い」など否定されているのだが、おかしいと思う子供はいないだろう。 もう一つの理由は、日本人の常識を外れた意見や主張で問題が提起されることが多々あるからだ。お父さんがいるベトナムを含めたアジア地域には、「泣く子は餅を余計にもらえる」ということわざがある。泣いて駄々をこねる子供は得をするという意味の日本人にはなじまないことわざだ。 このような文化で育った人間は、無理やりな理屈や筋の通らない言い分でも悪びれることなく主張してくる。本来なら問題などない状態のところに、無理やり問題提起がされるのだ。 海外でよくある話が、外国人が飲食店で散々飲み食いした挙句、サービスが悪いなどのいちゃもんをつけてお金を払わないなどの行為だ。お店としては酔って怒鳴りまくっている外国人をなだめるために一定額を割り引いたりしてその場を収めることが多い。普通の日本人なら恥ずかしくてできない行為であるが、儒教文化の濃い国では意外と当たり前の行為である。客(目上)は店(目下)に何をしてもいいし、目下は目上の指示に無条件で従わなくてはならない。 ちなみにここまでひどくないとはいえ、日本人にも理不尽な要求をしてくる人はたくさんいる。話し合いをすれば理不尽な要求が少なからず認められてしまう。本来なら理不尽な要求は、突っぱねて終わりになるのだが、お互いの妥協点を見出す話し合いではごねたもの勝ちである。 話し合いでの解決とは、お互いが常識人であり、立場も平等であるという前提が必要になる。よってほとんどの場合でこの解決方法は両者が納得する結論にはならない。話し合いで解決をするというのは、「お互いが納得する」ということを基準とするなら幻想である。 ちなみにお父さんとお母さんの争いでは、基本的に無条件でお母さんが勝利するし、子供たちとお父さんの争いでは無条件でお父さんが勝利する。話し合いなどまともに行うこともないのはお前たちもよくわかっているだろう。 大人になって社会に出ても同じだということを覚えておいてほしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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