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カテゴリ:思い出(小学生時代)
お父さんが子供の頃、年末の大きな行事として「餅つき」があった。親戚一同が祖父の家に集まって正月用のお餅をつくのだ。前日からもち米をといでおき、朝早くから大きな蒸し器で米を蒸す。蒸しあがったもち米を臼と杵で粘りのある餅になるようついていく。ただお父さんが物心ついた時には、祖父の家には最新式の餅つき機があり、それを使っていた。もちがつきあがると、まずは鏡餅を作る。熱い餅を丸めて鏡餅の形に作っていく。各家の神棚や床の間の分を作るので、結構な数を作っていたし、場所によって大きさも変えていたので、結構大変な作業だった。次にのしもちを作っていく。大きな板につきあがったお餅を乗せて伸ばしていく。角餅の形に切るのは2日後ぐらいだ。ここまでは子供は見ているだけで手を出させてもらえなかった。最後に祖父の家では餡入りの餅を作っていた。餡子も前日から用意していて、つきあがったもちで餡子をくるむのが子供達の仕事だった。作った先から食べていたので、よく怒られたものだ。
さてこうしてできたお餅は、鏡餅は神棚などに、角餅は冷蔵庫に、餡子餅も冷蔵庫だった気がするが、それぞれ保管されていた。今は市販品のお餅が1個ずつフィルム包装されているので、常温に放置していてもカビが生えることはない。 しかしながら昔は正月の3が日が過ぎる前から鏡餅はカビが生え始めていた。冷蔵庫で保管している角餅も1週間ぐらいでカビが生え始める。正月明けの餅はカビとの戦いだった。さらに言うと、放送されていない餅はどんどん乾燥してくるので、割れていく。その割れ目にできたカビを取るには割れ目に沿って餅をきらなければならない。そんなことをすればお餅が小さくなってしまうので、割れ目のカビは無視していた。
よって正月明けの餅はかび臭い香りと味がするのもお父さんにとっては当たり前だったが、無論美味しいわけでは無い。カビが一番ひどいのが、鏡餅だ。1月11日の鏡開き(鏡餅をおろして、皆で食べる)まで、ずっと外気にさらしっぱなしになっているので、あちこちひび割れている上に、カビだらけになっている。これを無業息災の為とかで無理やり食べさせられるのが、子供の頃は一番嫌だった。
今は祖父の家での餅つきもなくなり、鏡餅はスーパーなどで売っている鏡餅の形の樹脂の中にお餅が個別包装されてはいっているモノを用いるので、カビと戦うことは無くなった。角餅に関しては、いまだに1升分だけ業者がついた餅を購入しているので、カビが生えるが、鏡開きでは鏡餅のなかの餅を食べるので、カビが生えていることはない。
ただ大人になって思うのは、あのカビだらけの鏡餅を割って、ついたカビを包丁で削り落としながら(本来は鏡餅に刃物をいれることは良くないとされている)、カビだらけの鏡餅を食べるのも悪くはなかったと思う。子供はニオイに敏感なので、カビの香りや味は苦手だったが、今なら美味しく食べることもできるかもしれない。当時の大人はそれほど文句を言わずに食べていた記憶がある。
カビだらけのお餅を頑張って食べるのも正月の一つの風景だったと今のお父さんなら思える。ただ今の子供達はカビだらけのお餅のカビをある程度取り除いて食べるといった行為は絶対にしないだろう。我が家の子供にとって、正月にお餅を食べるのは儀式的なものととらえているようで、お父さんが子供の時の様な「ぜいたく」とは考えていない。一つはお餅より美味しいモノがいくらでも食べられる時代になったということもあるだろうし、もう一つの理由としてつきたてのお餅を食べる機会が減っているのもあるかもしれない。あとはストーブの上で餅を焼く楽しみがなくなったのも原因の一つかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.01.17 00:10:11
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