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カテゴリ:エッセイ
お父さんが若い頃、自動車というのは男の夢であった。速くてかっこいい車をブイブイいわせて乗り回したいというのが、ほとんどの男性のあこがれだったと思う。速さを追求する人、デザインを追求する人、パワーを追及する人、エンジンの排気量を重視する人など、今はほとんど車のウリにならなくなってしまったものにあこがれた。
若者は安い中でもデザインやイメージの良い車を中古で購入し、タイヤを太くしたり、シフトレバーを交換したり、ステアリング(ハンドル)を交換したりと個性を追求していた。お金のある中年以降は新車で高級車(クラウンやセドリック)を購入していたと思う。 だれがどんな車に乗っているか、誰の家にどんな車があるかというのは、その人や家のステイタスとして、よく話題に上がっていた。
当時も燃費という概念はあったのだが、ハイパワーで燃費が悪い車は一種のステイタスでもあった。今の世の中に生まれた人には想像ができないだろうが、排気音をわざとうるさくしたり、サスペンションを硬くしてさらに車高を下げて、実に乗り心地の悪くうるさい車を「かっこいい」と思っていた時代であった。
お父さんが大学生の頃、車を速く走らせることがかっこよかった。暴走族ではなく、走りやというのがもてはやされていた。週末に峠道を猛スピードで走行する「走り屋」は男性たちの中ではあこがれの存在であったと思う。
ところがお父さんが30歳ぐらいになった頃から、燃費とか環境という言葉が自動車の新たな価値として市民権を得るようになった。世の中の流れだとは思うが、大きなきっかけはトヨタのプリウスの発売だとお父さんは思っている。ハイブリットという新しいシステムで、これまでの自動車の常識を覆す燃費の良さを実現してしまった。
ガソリン代が高騰したりという追い風もあり、低燃費車に乗ることがかっこいい時代になったとお父さんは感じている。これからは自動運転がかっこいい時代になるだろう。緊急時の自動ブレーキは今や当たり前で、自動運転がこれからの自動車をけん引するウリ機能になってきている。 一般の人が気軽に買える値段になれば、自動運転の車以外は売れない時代になるのではないかと思う。
自動運転が普通になった後は、何がウリになるのかわからないが、そろそろ空飛ぶ車が出てくるのではないかとお父さんは思っている。 お父さんが若い頃にやんちゃした話を、全くあこがれることなく冷たい目で聞いている子供たちを見ていると、あの頃の楽しさを今の子供達は何に置き換えているのだろうかと考えてしまう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.08.27 00:10:20
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