|
カテゴリ:エッセイ
最近頻繁にエレベーターを使う機会があり、ほんの数分のエレベーターの利用でずいぶん自分の心が波立つものだと恥ずかしくなったので書いてみようと思う。
お父さんが今通っているハノイの整体院は20階建てビルの17階にある。当然そこまではエレベーターを使うのだが、エレベーターは3基しかない。2基は連動していて1基は独立して動いている。 当然乗るのは1基なのだが、1回につくと連動の2基と単動の1基の両方のボタンを押して早いほうにのろうと画策する。どちらか1基を選んでおとなしく待つということができない。
1階に向かうエレベーターがなく、すべてのエレベーターが上昇していることもあったのだが、ことの時の心の波たちはかなりのもので、1基ぐらい下に降りて来いとイライラしてしまう。 ようやく下に動き始めたエレベーターが途中階に停止するたびに、早くしろとイライラする。 ようやくエレベーターに乗り込み17階を押すのだが、一緒に乗った人が17階より下の階のボタンを押すと、またちょっとイラっとしてしまう。途中で停止するほんの数十秒にイラついてしまうのである。 ただこのイライラは目的階にたどり着くときれいさっぱり忘れてしまう。そして帰りにエレベーターホールにきてまた同じようなイライラがはじまるのだ。
それほど急いでいるわけでもないのにエレベーターにお父さんは常に心を乱されている。反省するためにも今回ここに書いておきたいと思う。 全くストレスがないエレベーターの乗り方は、ボタンを押した瞬間エレベーターが乗車階にきていて、すぐに無人のエレベーターの扉が開き、一人で乗って目的階まで誰も乗ってこないまま、直通で行けた時である。さすがにこういう時に心がイライラすることはない。
ところが最初に1人で乗っても後から誰かが途中階で乗ってくるともうイライラがはじまる。乗ってきた人が2人とか3人でグループだったりすると(会話が始まることでわかる)、自分が捕まえたエレベーターを乗っ取られてしまった気分になる。なんと自分勝手でわがままな感情だろうかと思うが、そう感じるのだから仕方がない。
目の前でエレベーターが閉まってしまった時もイラっとするし、ハノイのホテルでエレベーターが1基しかないのに、エレベーターの前にきてみるとちょうど2階から上に上昇中だったりするのを見るともっとイラっとする。 エレベーターが途中停止したが、誰ものってこないこともたまにある。こういう場合は停まったことにイラっとするが、誰も乗ってこないことにはホッとする。無言で閉ボタンを連打する。
こうやって自分の行動というか心の動きを書いてみると、自分がいかに矮小でくだらない、心の狭い人間であることに愕然としてしまう。そもそもエレベーターはお父さんのものでもないし、乗っている人がお父さんに意地悪をしているわけでもない。それなのにどうしてお父さんはこんなにエレベーターごときに心を乱されているのだろうか。 今日を限りに無心でエレベーターを使用するようにしたいと一瞬思ったが、おそらくお父さんの狭き心は改善されることはなく、今後もエレベーターに心を乱され続けて一生を終えるのだと思う。情けない人間である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.11.10 00:10:13
コメント(0) | コメントを書く
[エッセイ] カテゴリの最新記事
|