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カテゴリ:離婚
こちらの弁護士から、「じゅびあさんの代理人になった」という連絡を相手方にしてもらって数週間。
弁護士に頼んだから話がサクサク進む、というわけではない、と知った。 こちらからひとつ連絡を取れば、相手の弁護士が元夫側に連絡を取り、それに対する方針を決定。 それが書面になってこちらの代理人に届き、連絡を受けた私がまた事務所へ行って、それに対してどう返答するか決定。 これの繰り返しだから、ひとつこちらが返答しても、次にこちらが動けるのは1ヶ月くらい先、ということになる。 私は相手方の弁護士からの呼び出しをブッチしたので、改めて相手方の要求を知ることになる。 1.直ちに現在の住居を明け渡すこと。 2.現在の住居の1/4がじゅびあの持ち分になっているが、対価として固定資産税評価額の1/4を支払うので、直ちに権利を元夫に移すこと。 3.養育費は、相場の1月1人5万円を支払う。 4.子どもと父親が会う権利を保障すること。 弁護士と言うのは、代理人の利益が最大限になるように、要求してくるから、こんなもの。 他は誰が読んでも意味の分かる内容だろうが、2が笑わせる。 固定資産税の評価額!?固定資産税の評価額というのは続けて居住し続けてこそ、意味のある価格。 売却するときにその値段でと言われて、納得する人間はいない。 しかも、当時の住居は、元夫の祖母名義の土地を使用貸借して建てたもの。 土地と住宅の名義が違って売却しにくい、という理由だけでも固定資産としての価値は、著しく下がって評価されている。 相手方は、私が新築時に負担した金額の、1/3しか、払わないと言っているのだ。 3も笑わせた。一応、元夫の給与がどれくらいか、手に取るように分かっている。 こっちはパート。当直の数をやれば稼ぐことは出来ても、子どもを抱えて数は撃てない。 仕事をしている間、子どもを看てくれる大人が必要なのだから、そこの経費もかかる。 うちの弁護士と私の会話。 「相手方は本当に、家の価値がコレしかないのにこんなに死に物狂いで返して欲しいと思っているのか、訊きたいね。」 「3年経っているから、経年分目減りしているとしても、新築した瞬間から、固定資産税の評価額は、建築価格の1/3~1/4だからねえ」 「直ちに出て行けって、自分の子どももいるってことは、忘れてしまうようですよ。」 「これだけのことを言っておいて、子どもに会うときだけは、いい父親の顔をして、ニコニコしているんです。」 「建築資金については考え方だけど、相手は今住んでいる家の価値がこの固定資産の評価額しかない、と言っているわけ。だから、持ち分1/4は、その1/4しかない、とね。でも、新築時に、じゅびあさんがそれだけのお金を貸して、建てたと考えれば、全額返すのは当然ってことになる。」 「離婚後については、家賃を支払ったほうがいいでしょうか?」 「いや、それはそれでややこしいことになるよ。またまた家の評価が分かれるだろうし、ますます家は相手の持ち分って意味合いが大きくなる。払いたいわけでなければ、そんなことは言い出さないほうがいいよ。」 「子どもの保育園の間はここにいたいと言ったら、そんな長期間とんでもない、すぐに近所で賃貸でも借りて住め、って言うから、じゃあその家賃を出して、と言ったら『なんでオマエの住居を保証しなきゃならないんだ』と言ってましたよ。」 「それで、子どものことは可愛いって言うんだから、不思議だねえ。」 現在でもうちの子どもたちは、父親に家を追い出されたことは分かっていないと思う。 住んでいた家は、土地が狭かったこともあるが、3階建てで、ホームエレベータ付だった。 そこを出て、賃貸マンションの1室に引っ越したら、さぞかし子どもたちは差を感じるだろうな、と思った。 ......だいたい、荷物もかなり諦めて置いていかなくてはならない。 うさぎも、家具も、ワインセラーと子どもの生まれ年のワインも。 そのことも、元夫の頭にはあるだろう。 私は、実家のあるところに、家を建てることを本気で考え始めた。 実家には、姉が家族と戻ってきて事業をしていた。実家の古い家で全員暮らすのは、無理。 泊まりにいくだけでも、布団を持ってあっちこっちというくらい、狭い。 実家は、土地は150坪、2軒家を建てても十分な広さだったが、借金の嫌いな父が手持ちの現金で買ったため、家は土地の手前にちょこん、としか建てられなかったのだ。 私がマイホームを持つためには、どうしても3年前の資金を全額回収する必要がある。 もう少し自己資金も増やしたい。少しでも時間を稼ぎたい。 私は前年度の自分の年収と、もと夫の年収を、提示するため、確定申告書の控えを持って行った。 元夫は、住宅建築資金の申告も、所得税の申告も、私任せだったため、そのデータは幸い全て私の手元にあったのだ。 今後私が仕事を増やせば稼げる、という条件は、相手にも同じことが言える。 いかに養育費1人5万円が不当であるか、明確にした。 また、もし住宅建築資金の全額返却に応じないのなら、DVに関する慰謝料の要求も考慮に入れ、調停だろうと裁判だろうと徹底抗戦することを宣言。 決着が着くまでは絶対に住宅の明け渡しには応じないので、保育園の卒園まで粘るぞ、と告げた。 子どもたちがいるから、強くなれた、と思う。 相手方の弁護士は、DVのことなど、一切知らされていなかったようで、こちら側の弁護士が私の原稿を読み上げるのを、熱心にメモを取っていたそうである。 自分から離婚を言い出しておいて、子どもを盾に取り、大半元夫とその親族の持ち分である住居から退去もせず居座る元妻、というように相手方の弁護士は私をイメージし、圧倒的に自分たちが有利だと思っていたようだ。 私側の弁護士が、言った。 「この前、他の案件で、向こうの先生と顔を合わせたので、言っておいたよ。『うちの依頼人は、頭がいいからね。そっちの思うように事は運ばないよ。調停でも裁判でも来い、そっちがそのつもりなら慰謝料だって取ってやる、って息巻いてるのを、僕がなんとか止めているくらいだから、よく考えたほうがいいと思うよ』ってね。」 ...そりゃあ、嘘ではないけど、脅しだよ(笑)。 こちら側の言い分を聞いた元義父が、自分側の弁護士に激怒したと、後で聞いた。 「こんなもん払わされてどうする。何のために雇われてるんだ。あいつらに一日だって居座る権利はないんだ。とっとと追い出せ!」 おそらく、自分たちに結構不利な点があり、こちらの要求をいくばくかのむ必要がありそうだ、と聞かされたんだろう。 同時に、住んでいた家を建てたハウスメーカーに、「もう一度、建てるので来て!」と連絡。 新築3年で、もう一度新築する施主というのも珍しかったろうと思う。 ハウスメーカーと家を建てるノウハウは持っている。 前回も隅々まで、自分がほとんど決めた家。図面も、見積もりのチェックも全て自分でやった。 その家を手放して、資金は少なくても、もう一度それ以上の家を建ててやる。 ハウスメーカーには恥も外聞もなく、現在自分が置かれている状況を話し、まだ建築時期を確定できないが、準備していきたいことを告げた。 それだけのバトルをしながら、月に一度の面接交渉権を主張して、元夫は定期的に子どもたちを迎えに来た。 よくそんな顔で子どもを迎えに来られる、と思ったが、元夫と顔を合わせて心の中では苦々しく思っても、堂々巡りのけなし合いをしなくて済むようになったのは、精神的には楽だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年12月03日 11時30分18秒
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