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じゅびあの徒然日記

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2006年12月07日
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カテゴリ:いじめ
外来に来る患者さんが初診でよく訴えてくる。
「今の私は本当の私じゃないんです」
「学生時代はいじめられていましたが、ある時自分の『性格』を努力して変えたんです」
「その後ずっと無理をしてやってきたので、疲れてしまいました」
「どれが本来の自分なのか、もう分かりません」
「私には、自分がないんです」

...そういう転機って、誰しもあるのではないか。
少年少女期から青年期へ移行する過程で、対人関係のあり方を見直す時期が。

そういう患者さんたちには、こうお答えしている。
「努力して作り上げたあなたも、その前のあなたも、どちらもあなた自身ですよ」
「今ここにいるあなたが、そのままあなた自身なのです。それでいいのですよ」

私自身にも、転機があった。

中学校に進学しても、小学校とほとんどクラスメートは同じ。
小学校時代、クラス替えのたびに、一番いじめる子どもと同じクラスになったが、中学1年でも、また同じ。
見かねた母親が進学してすぐに、中学の担任教師に相談に行った。
ある日突然、私のことをしょっちゅう殴っていた、「十で神童...」の教師に小学校へ寄るように、呼び出された。
...やっと縁が切れたと思ったのに、まだ、何か言ってくるつもりなのだろうか?
小学校時代の担任は、中学の担任から、私へのいじめに関する問い合わせを受けたと言うのだ。
そして、「いじめられているなんて、全然気づかなかった。問い合わせを受けても何も答えられなかった。申し訳なかった。」と謝罪した。
私は、とても冷ややかな気持ちで、元担任教師を見ていた。
...あんたが、いじめを助長していたのに、よく言うよ。
「中学ではどうだ?」などと訊いてくる元担任にたいして話もせず、「もう、いいです」と言い捨てて帰った。
元担任の心の中では、この謝罪で片がついたものとして、忘れ去られているようだが、私は一生忘れないと思う。
今、大人になって振り返ってみても、小学生の子ども相手に、あんなにすぐにキレて手が出るというのは、元夫と同じくらい尋常ではない。
その後元担任がどこかの教頭、校長になれることがあったかどうかも知らないが、ここ10年くらいだったら、マスコミからも教育委員会からも、タダでは済まなかったはず。

中学になってからも、いじめは続いた。
私のあだ名は、「天才さん」「コンピューター」「計算機」。
これは成績がよかったからついたのだろうが、敬意を含んだあだ名ではないことは分かってもらえるだろう。
嫌味が感じられて、大変な苦痛だった。
自分が勉強が出来るということがイヤでイヤで、出来なかったらどんなにいいか、と思っていた。
テストを前にして、何度も白紙提出しようかと悩んだ。
課題ができた者から提出するような時、一番に終わってしまっても出しに行くことができなくて、他の誰かが先に行くのを待った。
ところが、そうすると、先に出した子どもが今度は「あの天才に勝ったぞ」とはやし続けるのだ。
それはそれで辛かった。

英語の弁論大会のクラス代表を選出する時、自薦他薦で候補者を出し、その中から多数決をすることになった。
そうすると、後ろでひそひそ囁かれるのが、聞こえてくる。
「じゅびあのところで、多数決になったら、誰も手を挙げないで、『シーン』ってやってやろうよ」
私はもちろん、自分から立候補できるような性格ではなかったから、他の子が手を挙げて「じゅびあさん」と言い、候補者として黒板に名前を書かれる。
そして、計画通り、多数決の時には、私には誰も手が挙がらない。
名前を挙げた子も、他の子どもに手を挙げる。
「シーン」とやって、私のことを支持する者はいないということを明らかにすれば、クラスメートは満足なのだ。
その時、クラス代表になった女の子は、今頃どこかで心臓外科医をやっているはず。

ようやく、中学1年の終わる頃になった。
次からは、もう少し恵まれたクラスに入れるだろう、と私は期待していた。
そんな時、1年生の担任が、クラス全員の名簿を一人一枚ずつ、渡した。
「自分を除くクラスメート一人一人、全員のいいところを書きなさい。」
書かれた名簿は回収され、一人一人の欄がバラバラに切り離され、自分について書かれたものが、2つ折の画用紙に貼り付けられて、戻ってきた。
もちろん、原則誰が何を書いたかは、分からない。筆跡で分かるものもあったが、無記名。
大半のクラスメートたちが思う私のよいところ、は思ったとおりだった。
「天才」「計算機」「コンピューター」。
初恋の男の子にも(筆跡で分かった)、「コンピューター」と書かれて悲しかった。
ぽつりぽつりと「やさしい」「分からないことを教えてくれる」と書いてくれた者がいた。
一番最後に、担任教師のコメントがあった。
「じゅびあはとても優秀だし、それはとても、いいことだ。でも、それがあまりにも目立ってしまって、他の面が気づかれにくくなってしまう。勉強が出来るのと同じくらい、目立つ個性が出せるとみんなじゅびあのことを分かってくれると思うよ。」
私はそれを見て涙が出たのを、よく覚えている。
当時の担任は、私のことをよく分かってくれていたんだ。

中学2年になって、私は初めて比較的穏やかなクラスに恵まれた。
それまで仲間外れ同士で固まるような友達しかできなかったが、初めて友達らしい友達が出来た。
授業で、2人組とか、4人組とか作らされても、やっとアブれなくなった(←これって、方言?)。
この年は、多少大事にならない程度のイタズラもしたし、クラスメートが教室でキスしているのをベランダに隠れて覗き見してからかったりしたし、仲よし4人組で随分いろんなことをやった。

中学3年になって、また一部、昔イジメをしていたクラスメートと一緒になった。
だが、この時には、前の年からの友達がいた。
1学期は、何度かはやし立てられたりすることがあったが、2学期以降は苦手なクラスメートがいても、トランプゲームなどに自ら加わって、負かしたりした(代表的なゲームは、今でも強い!)。
勉強だけでなく、行事などにも率先してアイデアを出したりしてみた。
そうこうしているうちに、「じゅびあさんって、面白いじゃない」といじめられなくなった。
クラスの中に何人か、受験前だから、と修学旅行や運動会の行事を欠席して休み時間も片時もなく勉学に打ち込む女の子がいたので、非難の対象がそちらへ向いた、ということもあった。
そのうちの一人は、中1の時英語弁論大会でクラス代表に選ばれた子。
「じゅびあちゃん、あの子たちだけには負けないでね」とかつてのいじめっ子たちが言うようになった。
あの年頃の女の子たちは、残酷だ。
公立高校入試の前には、クラスメートたちが、「じゅびあちゃんの頭、お守りに触らせてよ」と集まってきた。
髪の毛をくしゃくしゃにされた。
「お願い、ちょうだい!」と髪の毛を1本抜く子もいたが、もはやいじめとは感じなかった。

今思えば、あの中学1年の終わり~中学2年のあたりが私の転機。
その時作り上げた対人関係の作り方は、今の私にも生きているように思う。
「勉強で目立っちゃうのなら、それ以外のことでも、もっと目立ってごらん。」
そう言ってくれた中学1年の時のU先生。
私にとって一番の恩師は、あなたです。





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最終更新日  2006年12月07日 20時03分20秒
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