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カテゴリ:いじめ
教育現場でのいじめが問題になっている。
私は児童精神科については専門外だから、ごく基本的なことしか知らないが、それが原因で不登校、という話も外来で少なからずよく聞く。 だが実際には、大人の世界、教育現場にいる先生たちの間にも、いじめはあるだろう。 大人のいじめが失くせないのに、子どものいじめを失くせ、ということ自体、無理なような気がする。 私もいくつか職場でいじめられた経験がある。 研修医時代に、当直をしていたときのこと。 腎臓内科の医師が、私に透析患者さんのディクロッティング(透析のために、動脈と静脈に直接繋げるようなカテーテルが、体外で輪になっている。これを外部シャントと言うが、これが時々血栓で詰まるので、完全に閉塞して使えなくならないように、お掃除すること)のやり方を教えて帰って行った。 どうも、その患者さんは繰り返し詰まりやすいようで、腎臓内科の医師は、自分が夜間呼ばれるのを避けるため、即席で私に教えていったらしいのだ。 動脈側のカテを開ける時は、すごい勢いで血液が出るから、外した瞬間に鉗子で素早くカテーテルを挟まねばならず、緊張したが、1回目のディクロッティングは上手く行った。 2回目のディクロッティングに呼ばれ、汗だくになりながら、清潔操作(細菌感染を防ぐため、滅菌手袋を着用して、滅菌された道具を使用して、周囲の「不潔な(=普通の)」環境に触れないで作業をすること)をしていた時だった。 白衣のポケットに突っ込んである、研修医用のポケットベルが鳴った。 だが、清潔操作中だから、ポケットベルの操作どころか、触ることも見ることも出来ない。 今なら横にいる看護師に、「ちょっと見てよ」「悪いけど内線かけて訊いてよ」と言うところだが1年目ぺーぺーで研修を始めたばかりの私は、看護師を使うことを思いつけなかった。 結局2回目のディクロッティングはなかなか困難で、当直の上級医(心臓外科k医師)を呼んだ。 どうにか作業を終えて、病棟を出たところで、当直師長に出遭った。 「先生、(外来に)患者さんが来ますよ。ベルを鳴らしても返事がないんだもの。内線をかければいいでしょ」 「すみません、すぐに手が離せなくて。それで患者さんは?」 私は外来診察には間に合い、自分で済ませることができた。それで問題ないと思っていた。 当直明けの翌日はもちろんそのまま勤務。 私は循環器の医師たちと、緊急の心臓カテーテル検査についていた。 その場にM心臓外科部長が、部下を引き連れてやって来た。 M部長が循環器内科の医師、放射線技師、看護師と勢揃いしている前で、いきなり言った。 「オマエ昨日当直のクセに、病院にいなかったそうだな!やる気がないんだろう。どういうつもりだ!言ってみろ!」 「昨日私は病院から出ていませんが....。」 「嘘を言うな!ポケットベルを鳴らしても返事をしなかったと当直師長が言っていたぞ」 「腎臓内科のK先生に任されていたので、病棟で透析患者さんのディクロッティングをしている最中でした。」 「そんな出任せを言いやがって。オマエが院内にいなかったのは分かっているんだぞ。」 周囲の注目の中、怒鳴り続けられた私は、緊張の上前夜ほとんど寝ていないこともあって、涙が出てきてしまった。 「そちらのk先生(後ろについてきていた部下の心臓外科医師)が、一緒に当直されていましたし、どうしてもうまくいかなくてお呼びしました。ご存知のはずです。」 「(k医師に)そんなことがあったのか?」 「そんなこともあったようですねー。」(とぼける、k医師) 知っているんだから、庇うべきなのに、知らん顔か。涙がボタボタと零れ落ちた。 ここで、見かねた内分泌内科のF副院長が「Mくん!」と止めに入り、M部長はプイッとそっぽを向いて、検査の進行を眺め始めた。 私はその後その場に立っているのがやっとだったから、検査の進行がどうだったか全く記憶にない。 外科を回るようになって後から分かったのだが、この時の当直師長は、オペ術室の師長で、M部長派だった。 手術室の看護師は明らかに、T外科部長派と、M心臓外科部長派に分かれていて、私はずいぶんT部長には可愛がってもらったし、よく教えてもらった一方、M部長とその一派の看護師には、ひどい目に遭わされた。 例えば師長が、オペ室に持ち込む給食の数をカウントする時に、心臓外科ローテート中の私の分を忘れたために、他の医師たちに「これ先生のだよ」と言われた私が食べた後、オペ室に残っていた一番若い(つまり卒後1年目の)看護師の給食が足りなくなったことがある。 本来1年目の研修医なんていうのは、1年目の看護師よりも、立場が下なのである。 私は全くその経緯を知らなかったが、数ヶ月後(T先生の)外科ローテートをする頃になって、病院じゅうに流れるとんでもない噂を聞いた。 「じゅびあ先生は、オペ室看護師の『お弁当』を盗んだ。」 おいおい、給食でなくて、いつの間にかお弁当泥棒かい! 慌ててオペ室の副師長に「あの、(看護師の)××さんのお昼が足りなくなるようなことがあったのでしょうか?それなら謝らなきゃいけませんが」と尋ねた。 「ああ、あれね。あれは師長が数を間違えたのよ。先生のせいじゃないんだから、全然謝る必要なんてないわ。堂々としていていいのよ。」T派の副師長は笑い転げて言った。 1年目の研修医は手術のある日は真っ先にオペ室に行き機器を点検を済ませるべきだ、とMの部下に言われていたため、午前からの手術に備えてどの医師よりも早く手洗いを済ませた。 その時、外科病棟のナースステーションで、M部長はこう言っていたと言う。 「おう、外科ローテートの研修医は早いな。俺んとこのはまだ来てもいない。」 この時もMの部下たちのフォローは無し。 外科ローテート中の研修医とは当時交際中だったから、本当は一緒に出勤していたが、これも内密にしていたのでフォロー無し。 心臓外科、というくらいだから、心臓の手術が多い。 私は心臓外科ローテート中、人工心肺を使う時にどんな順番で血管を繋ぐのか、またどういう手順で弁を置換するのか、などそれなりに頭に入れて連日長時間の手術に臨んだ。 手術が終わると、Mの部下連中に「じゅびあ先生、どういう手順で今日の手術をしたか、分かった?」と尋ねられ、スラスラ答えたところ、「凄いなあ。俺ら研修医の時全然分からなかったぞ(笑)」と褒められたものだ。 ずっと心臓の手術ばかりが続いたが、ローテート最後の日、突然1件だけ、肺の手術が入った。 それまでずっと私を無視していたM部長が手術中初めて、私に「これは何だ。答えてみろ」と言った。 心臓手術ばかりにヤマを張っていた私は、答えることが出来なかった。 手術室に怒声が響いた。 「オマエはこの期間何をやっていたんだ?オマエのローテートはまるきり無駄だったってことだな。」 この時も、Mの部下からのフォローはなかった。 後になって、外科病棟の師長が教えてくれた。 「じゅびあ先生はT先生にはよくしてもらえたからよかったわね。M先生、あれはひどいわ。じゅびあ先生の前にローテートしていたK先生(♀)の時には、ニコニコして全然違ったの。」 ここまで彼が私を目の敵にした理由を、私は知っている。 彼の妻は、私と同じ大学卒の女性医師。 夫婦仲が悪く、別居中(年賀状は決して連名で出してはいけないということだった)。 もともと妻と同じ大学卒の女性医師は気に食わないというところがあったらしいが、さらに私はある時、たまたま夫婦喧嘩の場面に出くわしてしまい、二人も私に気づいた。 それ以降だ、M部長のいじめが始まったのは。 最後までM心臓外科部長は、私に対してやたらに辛く当たり、病院を退職するときも「精神科を選ぶなんていうのは、仕事をする気のない奴だ」と言い捨てた。 何年かして、この病院の非常勤精神科のポストが空いて、誰も来ないため、ローテート研修で世話になった私に行ってくれないかという話があった。 現代社会のメンタルヘルスが問題視されるようになり、どこの総合病院も時代の趨勢に乗り遅れているイメージを持たれるのを恐れ、非常勤でも形だけでも精神科外来を確保したいのだ。 私は即座に断った。Mがその病院の副院長になっていたからである。 精神科を本音ではバカにしているMがその病院にいる限り、私は絶対精神科医師として手伝いには行かない、と決めていた。 結局その病院の精神科外来は閉鎖になり、今も休診のままだ。 もし、Mが名誉職も含め完全に退職してからなら、出来る限りのことはしたいと思うけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年03月05日 22時49分22秒
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