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カテゴリ:認知症
診察のたびに、私のことを「初対面」と言ってちっとも覚えてくれないおばあちゃん。
CPUとキャッシュメモリはさくさく動いているので、一見しっかりして見える。 一見で診察に訪れたら、ほとんどの医師は騙されてしまうのではないかと思うほど、ちゃんとした受け答えは自信に満ちている。 「食事?ちゃーんと3食食べてます(実際は一日に何回も炊飯してご飯ばかり食べている)。」 「私は一人で暮らしている。怖いから誰かと一緒でなくては出かけないし、道に迷ったこともありません(迷子になったことも分からず、誰かが自分を誘拐したと警察に飛び込んだ)。」 「夜はちゃんと眠ってますよ。早寝早起きです。分からないうちに外を出歩く?そんなことは一度もありません。誰にも迷惑は掛けてませんよ(隣人が自転車を盗んだ、と夜中に外へ飛び出して行った)。」 しかし、今日の日付、曜日を尋ねても「そんなことは、一人で暮らしているから考えたことないねえ。」と言うので、今の季節を問うと「もうすぐ、夏になるね。」 一人暮らしで火の始末も覚束なくなって来たので、入院して病棟へ上がってもらったが、1分と経たないうちに同じ質問を繰り返す。 一度は納得して、「そうかねえ」と頷いているのだが。 パン食の日に突然、「私はパンを食べないから、おにぎりなら食べる」とおっしゃるので、心ある看護の職員が給食室へ走り、5分ほどでおにぎりを握ってきた。 私はその様子を見ながら、「多分、おにぎり持って戻ってきた時には、覚えてないと思う...」と話して詰所で待っていた。 案の定、看護の職員が息を切らしておにぎりを差し出した時、おばあちゃんは「ここでそんなこと言ったことはない!」と言い張り、そっぽを向いた。 彼女の自信に満ちた態度は、自分が困ったこと、忘れてしまったことが何かすらも、覚えていないということに裏打ちされている。 まるで配線が外れてしまったように、記憶がハードディスクに格納されるということがないのである。 その場からその場へ、その瞬間瞬間だけを生きているおばあちゃん。 そのおばあちゃんのセリフがツボにはまった。 「私は若い頃結核をやってね。大丈夫かね。」 「胸の写真を撮ってるからね。内科の先生に診てもらった。大丈夫よ。」 「私、おっぱいは垂れとりゃーせん!」 胸の写真はヌード写真ではなくて、前日に撮ったレントゲンであることをもちろん説明したが、「レントゲンなんて撮ったことはないね」と言われてしまった。 このおばあちゃん、ユーモアもあって、憎めない。 頑固だけれど、きっと生来の楽天的な性格なのだろう。 感覚的に好きな患者さんの一人である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年10月30日 21時41分11秒
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