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じゅびあの徒然日記

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2008年12月14日
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カテゴリ:カラダの病気
細かいお金の話が多くなったり、被害的になったり、床の上が紙袋だらけになったり。
転移性脳腫瘍による症状が着実に進んできていることを、肌で感じていた。

「こんなに何もできなくて、ここにいていいのかしら」と、母は朝から私に確認しようとする。
「こんなに何もできないと、施設にでも行くしかない。でもいい施設はとんでもなくお金がかかるでしょう。私は家を建てたり、あなたたちにお金を遣ってしまって、もうそんなお金がない。」
「介護保険でなんて、そういう施設と高い施設では全然扱われ方が違うとテレビでやっていた。私は、一番高い施設にしか行きたくない。」

朝、出勤前に子どもを追い立て、そんな話を聞かされながら、ごみを出したり、夕食のお米を研いだり。

それでも、それだけなら入院はさせなかったかもしれない。

外来の予約が枠よりオーバーしている日、私はいつも30分早く出勤して、30分早く外来をスタートする。
看護師はどうせスタンバイできているし、一番を取りたい患者さんは1時間も前から病院に来ているので、たまにカルテが回ってくるのだけが遅いことはあるが、まあ大体問題なくやれるし、患者さんもそのほうが喜ぶからだ。

ところが、先週、私が出勤しようとすると、母が言う。
「イレッサが、ない!朝食後にどうしてものまなきゃいけないのに。新しくもらったのが、まだあるはずなのに!」
母はここのところ立って歩けない状態で、キャスター付きの椅子に乗って移動している。
母が1階か2階のどこかにしまいこんだ新しいイレッサのパックを、私が探すしかない。
母があっちの引き出しの何番目だと思う、じゃあこっちの戸棚の左側かしら、そっちの角の紙袋かもしれない、といろいろ言う指示に従い、そこらじゅうをひっくり返して、ひたすら探した。
20分後、何とか見つかった。
その日の外来は時間どおりにしか、始められなかった。

その3日後、朝起きると、1階のトイレの便座と壁の間で母が座り込んでいる。
3時にトイレに起きた時も、洋式トイレに這って行ったが上ることができず、失敗した、その始末に1時間かかって寒かった、と訴える。
私は何とか抱え上げて座らせようとしたが、力なしで全く動かせない。
母と抱き合ったまま15分くらい、私もトイレに座りこんでいるだけだった。
子どもを登校させ、自分の支度をしてから、もう一度試みようとしたが、母に「もういい」と言われた。
出勤時間が限界に迫り、母をそのままにして家を出た。
その日はPET検査が入っていたので、あと1時間すれば受診のために姉が来るはずだ。
姉に、「到底自家用車には乗せられないので、すぐに介護タクシーを探して予約して。それからPETの前に、整形外科の初診を申し込んで。」と電話だけはした。

母はPETの検査前は絶対病院に行かない、と言い張っていた。
「病院へ行くと風邪をひくから。」
「整形外科はPETが済んでからしか行かない。」
「とにかくPETは大事で、これを逃してはいけない。」
PETへのこだわりは強かった。
どんどん歩けなくなっていくのに、受診しないなんて、と私も姉も言っていたが、こういう時の母に何を言っても無駄だ。
母はその日、「PETが済んだら、夜救急車を呼んで整形外科に行ってやる。そうすれば入院させてもらえるはずだ。」と言い張ったが、さすがにそれは「心証悪くなるだけで、絶対入院させてもらえないからよしたほうがいい。」と止めた。
いわゆる高度な医療を行う総合病院が、「動けないから」という介護理由の入院を受けるはずがないのである。

ほとんど全体重を預ける母に姉と義理の兄で肩を貸し、引きずるようにしてケアタクシー(介護タクシーは既に予約が満杯だった)に乗せ、受診させたが、PET後12時間以内は周囲の人間が被曝するので受診はお断り、明日また出直せ、と整形外科が言う。
おいおい、それじゃ一緒に家にいる私や子どもはどうなるの?
送迎する姉は?
被曝するって言ったって、終わった後患者は普通に待合室や、会計に座っているのよ?
普通に外に出ているのよ?
周囲の被曝が問題になるなら、12時間は入院させて遮蔽しとけばいいような気がする。
それに診察だって、気になるなら防護服でも着てやってくれたらいい...。
矛盾だ。

姉も、そんな簡単に往復できないほど、動けない状態であることを訴えて、PETの時間を後ろに倒して先に整形の診察が受けられることになった。
通常のX線上は骨折などはないが、MRIを撮ると何か出る可能性もある、だがPETをやるなら、まずそれでよい、と言われて結局帰ることになった。

だが、そんなことは予想していた。
私はその日出勤してすぐ、認知症など高齢者に対応する病棟に行き、病棟師長に相談していた。
「個室、当分空かないよね。」
「個室は、まず空かないですよ。」
「いや、入院させたい患者はうちの母なんだ。私が家族として出入りするには、他の患者さんの目があるし、個室でないと無理だから。」
母の病気のことは、職員の中でも常勤医師とごく親しい人たちにしか知らせていなかったため、唐突な訴えに師長はかなり驚いた様子だった。
が、私が今朝トイレで座り込んだままの母を放置してきたことを聞くと、力強く言ってくれた。
「じゅびあ先生、お手伝いできると思います。PETが終わったら、そのままいらしていただけばいいですよ。幸い女性が午後、1床空きます。そこで、何とかします。」

姉には、受診が終わり次第こっちへ来るよう連絡した。
家族の私では甘えてしまうので、主治医は他の先生に頼んだ。
介護保険の申請をするにも、私が主治医で作成してはまずいだろう、と考えたのもある。
母は17時を少し回ったころ、やってきて、「お願いします。いつもじゅびあがお世話になってます。」とすんなり入院した。
師長も遅くまで残ってくれて、じきじきにイレッサのセットをしながら(薬価では1シート14錠で10万円近いのよね、なんて話しながら)、体温計は他の患者さんと一緒だと嫌でしょう、自分のをお持ちだからそれを使いましょうね、とか、食事はお部屋に運びましょうね、とか、お風呂も他の患者さんと一緒にならないようにしましょうね、とか、いろいろな配慮(はっきりと、特別扱いをしてもらっているのは分かっている...)を向こうから提案してくれた。

だが、2時間後には、私の携帯に「どうしていつも出ないの!」と2分おきに怒りの留守電が入っていたので、こりゃ来たな、と思った。

翌日6時早々、母から自宅の固定電話に電話がかかった。
うちの固定電話は非通知を受けない。
表示された番号は病院の番号だったので、出ない携帯に業を煮やして、詰所の電話を借りてかけたようだ。
「とにかく帰る。あんたと家で話したいことがある。タクシーをすぐに呼んでもらう。お金をとられたのであんたの許可をもらわなくちゃ。イレッサも全部とられたので返してもらう。私は何年も自分でしっかりやらなきゃならないと思って、自分で忘れないようイレッサをのんできたのに!整形外科では骨は何ともないと言われて、もう痛くないし、看護師も見ているけどスタスタ歩いている。とにかくこんなところにいるのなら、死んだ方がまし。どこへでも出て行ってやる!一睡もできなくて、今朝は血圧もとんでもなく高いと言われて、頭もガンガンしている。」
「お母さん、とにかく9時には行くから。こんな時間に病棟から出入りをしてはいけない。」
「あんたがそんなことを言うなら、這ってでも必ず帰ってやるからな。もっとよく考えてくればよかった。あんたに騙された。私は○●×▽(一応伏せ字)なんかじゃない!」
「とにかく、お姉ちゃんと、9時には行くから、それまで待って。」
最後は「あんたとは、親子の縁を切ってやる~~~」という絶叫で、電話が切れた。
あの体面だけは気にする母が、私が勤務している病院と分かっていて、職員の前でこれだけの電話をしてくる、ということは私が思っていた以上に病状は進行しているのだ、と凹んだ。
直後、病棟の当直看護師からも「先生、お休みのところ本当に申し訳ありません。お母さまがどうしても退院するとおっしゃって、実は3時から...。入院時の採血も私はこんなところ退院するから必要ない、絶対こんなところではしない、とおっしゃって」と電話がかかってきた。
母は、夜中の3時から「娘がまだ起きているはずだから、どうしても電話をさせてほしい。娘は朝早くいなくなってしまうから、今かけないと連絡が取れない。」と当直看護師相手に粘ったのである。
3時に起きてるはずはないだろうし、子どもを学校に出す時間までは必ずいるし、朝早く家からいなくなるのは、そっちへ出勤するためなのだから、見当識が低下してしまっているのである。
それでも当直看護師が、6時まではかけさせないよう(私を寝かせるよう)頑張ってくれたのであった。





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最終更新日  2008年12月15日 00時34分51秒
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