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じゅびあの徒然日記

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2008年12月31日
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いろいろありまして更新どころではありませんでした。
本当に突然ですが、退職しました。
この文章は、もともと12月31日に作成したものです。
無事に退職してしまうまで、さすがにアップすることができませんでした。

退職の原因は、うちの母の入院です。
当面大部屋への入院のはずが、個室を用意してもらったり、いろいろな配慮をして頂いて、病棟には本当に感謝していたのです。

私は、その病棟の師長と、部下のスタッフとの間に大きな軋轢が存在していることを知りませんでした。
私の落ち度といえば、それまでこんなひどい状況と気付けず、それを今回初めて知ったということです。

母が入院した翌日、ある一人のスタッフが、「私に相談もなく、師長がこんなことを決めた。絶対××先生(←一番の実力者)に言ってやる!」と息巻いていたそうです。
そのスタッフが、「師長がじゅびあ先生の母親に特別扱いをしている」とメールでたれこんだのです。
その結果、××先生が、看護長も主治医も私も知らないうちに、病棟スタッフを一人一人診察室に呼んで、尋問し、「なぜこんな患者を個室に入れた!」と大声で怒鳴ったそうです。
普段師長についての不満をいくら言っても聞いてくれない××先生が、今回ばかりは一人一人の声に耳を傾けてくれる、と、みんながこの機会に、と洗いざらいぶちまけたようです。

元はと言えば、「師長ばかりがじゅびあ先生にいい顔をして、面倒くさいことをやらされるのは私たち」みたいなやっかみだったのだと思います。

そして、母の入院1週間後、××先生から委員会議長代筆としていきなり私のもとにメールが届きました。
「じゅびあ医師は、医療を私物化し、一部スタッフで隠匿化(日本語として?)ている。これ以上続けるようなら、就業規則にのっとり、委員会で事情聴取を行う。」という内容です。
いきなりすぎて、ほとんど、意味がわかりません。
外来開始直前にこれを受け取って、さすがに泣き伏してしまったので、再来開始が30分遅れてしまいました。
「退職願をすぐに書く」と肩を震わせて泣く私を、外来看護師が背中をずっと擦って「余分なことかもしれませんが、先生が辞められる問題ではないんです。あの病棟の師長とスタッフの間が、もともとうまく行ってなかったことから出ただけです。」「診察があるから、先生。」と押しとどめていました。

持ち込んでいた物品については、姉が病棟で気持ちよく「いいですよ」と言われたものですし、逆に止めてくださいと言われたものについては持ち帰るだけです。
入浴や食事、検温については、師長が「こうしましょうね」と言ってくれたものでした。
残念ながら、医師というのは、病棟ルール(患者さんの生活上の規則)には疎いもの。
しかも、病院によってルールは大きく違うし、各病棟によっても微妙に違ったりします。
いいですよ、と言われたことを、急にお前がごり押ししただろうと言われても、困ってしまいます。

母への処遇は急に変わりました。
「ドアの外で看護師が『どうしてこんな人がこの部屋を遣っているのかしら』と言っているのが聴こえる」と母が言います。
せめて幻聴であってくれればいいのですが。

母は肺がんの化学療法で総合病院に入院中も、咳をする患者がいると言って、病院食の蓋のないおかずには手をつけない人でした。
なので、大勢の中で食事をさせるのは相当難しい。
そういうのが、臨機応変に譲れないのが症状でもあるのです。
いや、看護が食べさせられるというのなら食べさせてもらえばいいですが、母は看護師には何も言いませんので、その分を家族が罵声を浴びせられることになります。
師長は部屋で食べてもらっていい(実際私の担当患者さんでも、どうしても動かず部屋で食べている人がいます)、と言ってくれていたのですが、ある日突然「上」の命を受けたスタッフに「皆さんと食べましょうね」と車椅子で運ばれる始末。
母は大混乱して、今すぐ来い、許可をもらったから(もちろん許可はありません)自宅へ外出してあんたたちと話をする、などと消灯直前に姉や私に電話をしてわめきました。

薬についても忘れられて母の方から要求したことがあるのですが、母は「イレッサを1回でも忘れたら肺がんが悪化して死ぬかもしれない」くらいに思っているので、実は大変なこと。
それだけで不安になり、落ち着かなくなり、時に興奮して家族に当たります。
姉が「薬がつかなかったことがあると母が言っているが...」とある看護師に言った途端、「薬の間違いなんて絶対ありません!」とろくに顔も見ず、確認もせずに言われたそうです。

見かねた主治医がカンファレンスを行なったのですが、スタッフは口々に「どうしてこんな穏やかで自分のこともできる人に入院が必要なのか」「開放病棟へ行ってもらえばいいのではないのか」と攻撃的に話し、まるっきり師長vs他全員という状態でした。

師長さんに「私が母を連れて来たばっかりに、こんな迷惑をかけてしまって。」と謝罪すると、師長さんは「いいえ。こんなことでもなければ、私は周囲のスタッフにどう思われているかずっと分からなかった。むしろそれが分かったいい機会でした。」と言ってくれました。

私は母の入院治療について、できるだけ自分が出ていかないようにしていました。
家族の代表には姉を立てていましたし、主治医も他の先生に依頼していました。
総合病院での安静指示が解けるまで、介護保険がつくまで、精神症状のコントロールにどれくらい薬剤を使うのが適正か診てもらって、とにかくその間にリビングにソファベッドを入れてそこで母が眠れるようにして、と在宅で過ごせる準備を調えている最中でした。
明らかに、母を叩き出そうとする風が吹いています。
母が、家族が、音をあげるのを待っているのです。

師長が「じゅびあ先生からの指示は何もありませんでした。私の判断で決めたことです。」「信頼できないスタッフを管理して仕事をしていくことはできません。」と退職を願い出たところ、××先生は「あなたを辞めさせたくて言っているのではない」と言ったそうです。
主治医と師長のところには「あなたがたはじゅびあ医師に巻き込まれた被害者と言える。あなたがたまで心を痛めて病院を去ることにならないように...」など、暗に「じゅびあ医師に強制されてやりました」という返答を求めるメールが次々に送られています。
その中には、まったくうちの母を、一人の精神科患者として見る視点がありません。

師長は「病院の建物を見ただけで吐き気がする」と、クリニックで診断書を作成し、長期休養に入ってしまいました。
「多分これっきりになると思うから、じゅびあ先生と主治医の○○先生だけには、よろしく伝えてくれ」と他の師長経由で伝言がありました。

主治医の先生が2回目のカンファレンスを行い、「僕が全責任を負って退職する。つまり、遅くとも1ヶ月後に、じゅびあ先生のお母さんの退院は担保されているということだ。何か上から言われたら主治医指示だと言うように。病院の都合で処遇を変える時は、ご本人と家族の納得や了承を得てということが当然だと思わないか」と言った時には、1回目と打って変わってスタッフは全員顔を上げることもできず、無言だったそうです。
主治医の先生に私が謝ると、「ここは精神科医療をやるようなところではない、恐ろしいところだ。長居をすべきではないよ。先生のお母さんのお陰で早く分かってよかった。下手をすると今後、辞められる機会を失うところだった。」とおっしゃってくれました。

年末年始、毎日母を外出で連れ帰ってきました。
外泊させると、「家でやれるではないか」とそれを機に主治医以外に退院させられてしまう可能性があるので、外泊はさせられません。
病院で安静にして、何とか車椅子から立ち上がれるようになり、支えがあればやっと少し足が出るようになったのです。
準備も調わないまま元の生活に戻したら、また立ち上がることもできなくなってしまいます。
私は母の残り数週間の入院継続と引き換えに、自分が退職することを決めました。
もちろん、まだ母には話していません。
暫くは非常勤や当直で繋がなくてはいけないかもしれませんが、母が帰ってきたら、リストラを隠すサラリーマンみたいに毎日出勤するフリをするつもりです。
そしていつか勤務先が決まったら、「そちらの方が勤務条件が良かったから移った」と説明しようと思います。

家へ帰って来て母が言います。
「★さんと▽さんが特にとてもよくしてくれる。謝礼はダメと言うから、私が退院したら、あなたの口から必ずお礼を言ってちょうだい。」
その二人は、最初の言いだしっぺで、一番攻撃的だったスタッフなんですね。

他の病棟師長や主任たちから口々に
「うちの病棟に先に相談してくれさえすれば...」
「師長がいい、と言ったことは、それでいいんです。他のスタッフが納得できないのなら、それは内部で話し合うこと。下が『そんなことやるの嫌』と言うたび、上に報告され、いちいちひっくり返るのなら、看護はやれません。」
「あそこだけはまずかったんです。前からあの病棟は、解体しないといけないって進言してるけど、手つかずだった。」
「じゅびあ先生を引き留めたいけど、留める言葉が見つからない。先生に、これを『耐えてください』ってとても言えないです。」
「先生みたいなチームを意識した医療をしてくれるドクターは、なかなかいないのに...。」
「それでも万一残れたら、いや、たとえ残り1ヶ月でも、必ずお守りしますから。」
「先生が辞めることはないと思う。私は嫌です。」
と言われました。
「先生のキャリアに傷がつく。そんな尻尾を巻いて逃げるようなことをされるんですか!」
とも言われました。

どうも私が周囲を巻き込んで病棟内のスプリッティング(分裂)を引き起こしたボーダーラインパーソナリティで、それにより病棟内に騒乱を引き起こし、勝手に辞めると言い出した、それ自体が異常な行動、むしろ早く退職させることになってよかった、と委員会は決定したようです。
それどころか、何とか懲戒処分にできないかという画策もされていたとか。
「お母さんに罪はなく、異常な娘に振り回される憐れな被害者だから、早く出てもらわなくては」と重症患者の入院があれば、その病棟に率先して入れ、追い出す計画も練られていたことを知っています。

上層部が複数の医師と看護長を実質葬り去ってしまった責任を理事会で逃れるため、私に全て原因があったことにしようとしているのでしょうか。
まるで恐怖政治です。
それと、毎日顔を合わせているのに何の言葉もなく、隣の部屋からカタカタ打たれたメール1通で退職に追いやられるって、どっちが異常なんだろうと思います。

...そしてその後、母は介護認定を受けて退院、私は更にその10日後、退職しました。
幸い、続けて新しい勤務先が決まり、多くの外来患者さんとともに移ってきました。
母だけが、私が転勤したことをまだ知らずにいます。
年度が変わるまでは、秘密にしておこうと思っています。





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最終更新日  2009年02月05日 13時50分21秒
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