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じゅびあの徒然日記

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2009年05月06日
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カテゴリ:認知症
随分御無沙汰してしまいました。

GWは母を連れて近場に出かけました。
母を連れて出かけるのはこれが最後だと思いました。

母は、私が精神科を選んだ時に言いました。
「精神科なんて、私に何かあっても、使えない。内科とか、もっと役に立つ科に進んでくれればよかったのに。」
今、姉と話しています。
私が他の科でなく精神科医になったことが、一番役に立ったよね、と。

それでも精神症状に、へとへとです。
精神科医である私ですら、です。
時折患者さんの家族に、「先生は専門家だから理解できるかもしれないけど、自分たちは素人だから無理」というようなことを言われることがあります。
でも、私が精神科医であるとかどうとか、関係ないんです。
もちろん、母の症状を見て、画像上の病巣と一致しているな、と冷静に捉える部分もなすいわけではありませんが、自分の家族のこととなると話は別です。

母はいまだに歩行も困難で段差の上り下りができませんから、介助が必要です。
外ではトイレも洋式を探して私や子どもが下見をしますし、エレベーターを使用するために遠回りをしなければならず、それはそれで歩かせるのが大変です。
それでも、身体の介護はまだいいのです。

精神症状のある人を介護することが、これほど疲弊することだとは。

ここのところ、5時に起こされたことが何回あるでしょう。

一度は5時5分に「大変、もう7時」と家族全員を起こしました。
これは、寝ていて逆さまに時計を読んだからなのだそうです。

4時55分に、突然私の部屋まで上がってきたこともありました。
段差の上り下りはできないのですから、階段も上がれない、と言っているのですが、何故かそういう時だけ、上がれるのです。
「心臓がどきどきして、息が苦しい。今から病院へ連れて行ってちょうだい。」
チアノーゼもありませんし、自分で階段を上がれる状態なら、緊急性はありません。
今から救急に出かけたら、子どもを登校させることもできませんし、9時に外来が始まるのを待つべき、と説得しました。
この時間に行っても、主治医が出てくるわけではないので(当直医はほぼ確実に医師になって1ヶ月ほどの研修医の先生)肺がんなどという基礎疾患のある患者を勝手に判断するわけにいかず、今行っても9時の外来開始まで待たされるだけだと。
母は半泣きで大声を上げました。
「それなら私にどうしろって言うの!?とにかく病院の前に乗せて行って、置いて来てくれればいいだけじゃないの。」
ひとりで病院の前に置かれても、受付して診察を受けられる人なら、その時間に救急で行く必要はありません。
「じゃあ、救急車を呼ぼうかしら。」
尚更顰蹙です。
仕方なく、携帯で、固定電話でも起きない姉の家へ行き、インターホンを鳴らしまくって叩き起こしました。
姉が半日かけて受診させましたが、やはり何の問題もありません。
しかも主治医がいつから息苦しかったか尋ねると「2~3日前から」暫くすると「1週間前から」と言い出す始末で、これで早朝に救急にかかるなんてブラックリスト行きです。
帰宅してから母に尋ねると、「苦しいのが、ゆっくり大きく息をすると楽になる感じだったから、おかしいと思った。」と言いました。
簡易心電計と、パルスオキシメーターを購入することにしました。
それで何ともなければ、受診の必要はない、とはっきり告げるためにです。

食後にのむはずの下剤を、寝ていて粗相したら困ると言って夕食後にはのまず、おなかが張って苦しいからと早朝にのんだ末、私の部屋にあがって来て、「パントシンの粉が舞って目に入ったけど、目がつぶれないかしら」と起こしたこともありました。
これも、5時です。
「普通目を洗って様子を見る以外にないでしょう」と言うと、本人はそれでも明るくなるまで待った、あなたの一言を聞けば安心できるから、と言いますが、いかんせん、今は明るくなるのが早い。
こんなことが続いて私は早朝階段に座り込み、子どもが起きるのも構わず泣きながら絶叫しました。
「もう無理。ずっとうちでお母さんとやっていくことなんて、できない!」と。
その日は外来がびっちり詰まっていて、寝る時間を遅らせても前夜にゴミの整理や洗濯ものをすべて済ませ、早めに出勤しようとしていました。
そのまま眠れず出勤しましたが、赤信号を見落として加速しかけ、「どうして隣の車線の車が止まっているんだろう」と思って、急ブレーキで停車した時には横断歩道の人をはねる寸前でした。
改めて、このままうちで看続けていくことは、もう無理だと確信しました。

旅行中も、母を部屋に残して子どもに磯遊びをさせて夕食前に戻ると、母はもうパジャマを着て横になっているのです。
「お母さん、まだこれから夕食なのに。」
「あら、そうだったかしら。私は着替えるのがなかなか大変だから、先に着替えておいたの。ここは浴衣がないから、パジャマで行っていいんでしょう?」
「お母さん、レストランなのよ。パジャマで行っていいわけないでしょう。」
「でも、浴衣のあるところは浴衣なんだし。」
「お母さん、浴衣で行っていいのは温泉旅館だけ。」
「私は身体が思うように動かないから、一度だって着替えるのが大変なのよ。」
もう、ここで半泣きです。
夕食時間が迫っており、どうしても服に着替えるのを嫌がる母を、私は仕方なく怒鳴り飛ばしました。
結局パジャマの上に上着とスカートを重ね着させるのがやっとで、スカートの下にずるずると出てくるパジャマのズボンを、母は何度もたくしあげては座っていました。
子どもが見かねて「ばあば、引っ張り上げずに折り曲げた方がいいよ」と言っていました。

翌日の朝も、6時25分に「7時半に目覚ましをかけたというのに鳴らない」と言って起こしました。
実際はその1時間前、私が一度トイレに起きた時から、ずっと話しかけていましたが。
これはもういつものことです。
家では寝る前に、母の手首に「今日は休みだから、みんなが起きてくるまで絶対に起こさない」平日なら「遅刻をしてもじゅびあの責任なので、絶対に自分からは起こさない」という札をつけて寝るようにしていたほどですから。
ところが今度は朝食の前に家に帰るというのです。
子どもだけ残して朝食をとらせてもらって、私に自宅まで一往復して、母を送れと。
タクシーは着払いというと嫌がるかもしれないし、道もうまく説明できない、今の時間なら道も空いているから、タクシー代として20万円払うので、送って行ってちょうだい、宿の人に体調が悪いなどといわれるのは嫌だから、急用ができたと言えばいいじゃないの...
それは無理、というと姉に迎えに来させろ、と言って聞きません。
仕方なく姉に電話をかけ、姉から断ってもらいました。
姉には電話では(私のいる前では)言えないようなことがあったから、と訴えていたので、きっと夕食前のことなのでしょう。
携帯の電池残量が少なくなったことを伝えるとようやく電話を諦めましたが、今度は、「今日の午前中の予定をキャンセルして送っていってほしい。そうしてくれたらあなたと子どもに1人5万円ずつあげるから。子どもはさっき話したら納得したから。」
子どもの前で、平気でこういうことを言うのです。

母は、悪くなると、すぐお金をいくら出すから何とかしろ、というようなことを言い出します。
前にも、いくらお金を出したら仕事を辞めてずっと自分の面倒をみてくれるか、と言われたことがありました。
ひとつひとつのエピソードは、些細なことかもしれません。
しかしそれが毎日、すべてのことについて続いていくということになると、家族は限界です。

本人の拒否が強くリハビリも含め介護保険のサービスは全く利用していませんでした。
冬には「インフルエンザが流行らなくなるまで」と言っており、今は「豚インフルエンザが収束するまで絶対大勢の人のいるところへは出ない」と言っていますが、姉と私は、ショートステイでも施設に入れるという気持ちを固めつつあります。







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最終更新日  2009年05月06日 23時57分37秒
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