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Kausachun Qosqo

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2007.06.21
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わたしがルイス・アベラルド・タカハシ・ヌニェスに興味を持ち出したのはちょうど一年前、ペルーのお昼のクリオジャ音楽番組“Mediodia Criolla”を見ていたときだった。

2005年12月に亡くなったときの特集番組の再放送だった。

その番組は、今から5年ほど前に一時帰国したドン ルイス・アベラルド・タカハシ・ヌニェスを称えた一般公開番組を再編集したものだった。
”Sacachispas”や”Que Viva Chiclayo”などマリネラ・ノルテーニャの踊りもあった。

司会のセシリア・バラッサがルイス・アベラルド・タカハシ・ヌニェスと強調していたのが印象的だった。

その中でチラッと移った彼の息子の姿。ダウン症候群らしい容貌。その姿に6年前の大阪でのサルサ・パーティを思い出した。

その日は確か、ペルー独立記念日のパーティだったように思う。当時私にはまだなじみのなかったクリオジャ音楽の演奏をしていたグループがあった。マリネラ・ノルテーニャ、アフロ・ペルアノの踊りもあった。


ふ~ん。それまで見たことのない激しく、美しい踊りに魅入られてしまった。

その中で印象的だったのが演奏の中でスプーンを叩く(ペルーのアフロ音楽ではスプーンもパーカッションとして使うことがある)青年。精神薄弱児っぽい姿であったが、演奏後はサルサも踊っていた。


ペルー人の友達に訊いた。

「ねぇ、どこからこのグループ来たの?」
「名古屋からだよ」

その話はそれで終わったが、私は次第にペルーの海岸地帯の音楽や踊りにのめりこんでいってしまった。

そして5年後。
ペルーで観光ガイドの資格をとってから初めて出席したチクラヨでの観光ガイド全国会議。
チクラヨはペルー北部のランバイェケ県の県庁所在地。しかしその近郊を故郷にもつルイス・アベラルド・タカハシのことはまだ知らなかった。

その中でランバイェケの代表団が“Que Viva Chiclyao”を合唱した。

Que viva el departamento
de Lambayeque,
con su capital Chiclayo,
Monsefú y Reque.




Chiclayano soy,
a mucha honra, señores
Chiclayano soy,
y bailo la marinera!
Y no de cualquier manera.

Que viva Chiclayo,
tierra generosa!
Cualquiera se goza,
mamita, con poca cosa.

(ビバ、ランバイェケ県
首都、チクラヨ、モンセフとレケの街

私はチクラヨ人
光栄に思いますよ、みなさん
私はチクラヨ人
マリネラを踊ります
簡単なもんじゃない

私はチクラヨ人
やさしい土地
誰だって楽しめる
お姉さん、たいしたことはないけれど)



友情の首都(Capital de amistad)、自分の故郷を誇りにするチクラヨの人々の姿が私の記憶に刻まれた。

しかし、まだその曲が日本人を父にもつ作曲家の作であることは知らなかった。

そして件のテレビ番組がすべてを結び合わせた。

インターネットを通じ、ルイス・アベラルドのことを調べ始める。

日本で小牧市に在住し、、ペーニャ(音楽のグループ)も持っていたという。

“名古屋から来た”といった友人の言葉とは方面的に合致する。
あのとき見た精神薄弱児の青年はルイス・アベラルドの息子だったのだと確信した。

なにか運命的なものを感じずにはいられなかった。

今、ペルーにいて、クリオジャ音楽やマリネラノルテーニャにのめりこむ自分を導いてきたものの一つを見つけた。


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ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」・第6番「田園」










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Last updated  2007.06.21 13:07:20
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