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カテゴリ:『傭兵たちの挽歌』
'Rigging' Hampton Bays, New York Photo by Darren Moore >前回 片山はそれから一週間を、ニューヨーク・ロング・アイランドの突端に近い避暑地ハンプトン・ベイズに見つけた空き別荘にひそんで過ごした。 背中の強度の打撲傷は内臓まで痛めつけていたが、その隠れ家の地下食糧庫から出した罐詰(かんづめ)を食ってはぶらぶらしている間に、激しい運動に耐えられるまでに回復した。 その別荘にあるTVやラジオは、さまざまな港や空港、それに街道などで、毎日数件の動機の分らぬ殺人事件が発生していることを伝えた。 TVに映る被害者の顔写真は、片山と似たところがなくもない。赤い軍団が、片山と間違えて誤殺したのであろう。 片山はロッキー山脈を馬の背に揺られてキャナダ入りすることを計画していた。キャナダに入ったら、キャナディアン・ロッキー沿いにセルウィン山脈やマッケンジー山脈にアプローチするのだ。 幸いなことに、キャナダのブリティシュ・コロンビア州やアルバータ州と接している合衆国西北部のモンタナ・ロッキーは、片山が米陸軍特殊部隊(グリーン・ベレー)の冬期山岳l訓練を受けた場所だ。 それに、片山がアフリカのプロフェッショナル・ホワイト・ハンターになってからは、アフリカが大雨期でシーズン・オフになる合衆国の冬には、コロラド州デンヴァー郊外に借りていた山荘から、コロラド・ロッキーやワイオミング・ロッキーだけでなく、モンタナ・ロッキーまでしばしば遠征して、大物猟(ビッグ・ゲーム・ハンティング)のテント生活を楽しんだものだ。 エルク大鹿(ワピティ)、黒熊(ブラッキー)、灰色熊(グリズリー)、ミュール鹿(ミューリー)、シーラス・ムース、ロッキー・マウンテン・ホワイト・ゴート、ビックホーン・シープ、プロングホーン・アンテロープ、マウンテン・ライオン(クーガー)といったところが、モンタナ・ロッキーやその近くのビッグ・ゲームだ。 片山はモンタナで、キャナダに持っていけば毛皮が高く売れるビーヴァーや大山猫(ボブ・キャット)を罠に掛けて、キャナディアン・ロッキー猟の費用を浮かしたこともある。ロッキー山脈の足や馬でしか通れぬトレールに国境検問所など無い。 つまり片山は、モンタナ・ロッキーからキャナディアン・ロッキーに入るについては土地カンと経験を持っているのだ。 問題は、ニューヨークからどうやってモンタナ・ロッキーにたどり着けるかだ。 傷が完全に癒(い)えた片山は、一週間のあいだにのびた口髭(くちひげ)と顎髭(あごひげ)をハサミを使って整えた。顔や手を染めていた褐色の染料はもう消えている。 車を出す前に歩いて古着屋に行き、大型ダッフル・バッグ一杯分の、猟用のグース・ダウンとウールのウエアを買った。靴屋(くつや)でラッセル・ダブル・ヴァンプ・ヴァイブラムのハンティング・ブーツと、フェルトのインナー・ライナーが入ったソーレルのマークVのスノー・パック・ブーツと予備のライナーも買う。サファリランドM三の防弾チョッキも買う。そのほか野外生活(アウトドア・ライフ)に必要な品を幾つか買った。 Russell Moccasin Co. ( https://www.russellmoccasin.com/ ) Double Vamp Hunter Boots Sorel ( https://www.sorelfootwear.ca/ ) Mark V 隠れ家に戻り、シティ・ライフに必要なウエアを捨て、凍結しにくいデルリン・ジッパー付きのキャンヴァス・バッグ二つにこれから必要になるものをまとめる。八ミリ・レミントン・ボルト・アクション・ライフル、M十六自動ライフル、ウージー短機関銃、分解したコマンドウ・クロスボウ、それに実包と矢と手榴弾を収めるには、もう一個の大型キャンヴァス・バッグを必要とした。 それらを、オンボロ・キャディラックに積み、隠れ家の近くのサウス・ハンプトン港に行き、高速モーターボートをチャーターした。 ニュージャージー州ロング・ブランチ港まで約七十マイル、次官にして約一時間半の運賃を三百ドル出すというと、船主兼運転手は大喜びした。なぜ自分の車で行かないのか、などと穿鑿(せんさく)はしない。 ロング・ブランチの小さな港に赤い軍団は網を張ってはいなかった。 タクシーに乗り換えた片山は、五マイルほど離れたイートン・タウンの町に行き、シヴォレー・カマロを盗んでインターステーツ・ハイウェイ八〇に向う。武器弾薬を詰めたキャンヴァス・バッグは助手席の床に置いていた。 東海岸と西海岸を結ぶ大陸横断の大動脈の一つであるI(アイ) −八〇は、ニューヨーク郊外とサンフランシスコ郊外を結んでいる。全長約二千八百マイルだ。 I(インターステーツ) −八〇は、ニューヨーク側から行くと、シカゴでI−九四が分れ、I−九四はウィスコンシン州トマーのあたりでI−九〇と分れる。 I−九四とI−九〇はモンタナ州ビリングで合体し、I−九〇の一本道となってロッキーを越え、西海岸のワシントン州シアトルに向うのだ。大陸横断のインターステーツには偶数、縦断には奇数のナンバーがつけられている。 イートン・タウンから五十マイルほど離れたニュージャージー州ロッカウェイ町郊外の、インターステーツ・ハイウェイ八〇から少し離れたところに広大なトラック・ストップがあった。片山が着いたのは昼食時であった。 駐車してある数十台のビッグ・リグ 長距離輸送用のビッグ・リグは、通過する各州のナンバー・プレートを付けておくことが義務付けられている。 ヒーターを効かせたシヴォレー・カマロから降りた片山は、ペンドルトンの空色のウール・シャツとエディ・バウアーのグース・ダウン・ハンティング・ヴェストの上から、パイオニーアのダウン・ウェスターン・ジャックを引っ掛け、駐車中の十八輪トラックのナンバー・プレートを見て歩く。 そのなかには、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルヴァニア、オハイオ、インディアナ、イリノイズ、ウィスコンシン、ミネソタ、サウス・ダコタ、ワイオミング、モンタナ、アイダホ、ワシントンの、ニューヨーク そのトラック・ストップは、ドライヴァーズ・ラウンジ、レストラン、モーテル、給油スタンド、計量機、売店、コイン・ランドリー、シャワー室などがある典型的なものであった。ウェイトレスは無論、泊りのドライヴァーのベッドの相手をする筈だ。 片山は日本で言えば喫茶室のようなドライヴァーズ・ラウンジのロッカーに三個のキャンヴァス・バッグを仕舞い、シヴォレーをロッカウェイの町なかに乗り捨てた。タクシーでトラック・ストップに戻る。 トラック・ストップに盗難車を乗り捨てたのでは、市民バンド(シー・ビー)無線機で絶えず連絡を取りあっているトラッカーたちに、その情報がすぐ伝わるからだ。 トラック・ストップでレストランに入った片山は、コンソメとサラダ付きのスペア・リブのバーベキューとコーヒーを頼み、取締まりの情報を交換しあっているトラッカーたちに、 「誰(だれ)か俺(おれ)をシアトルまで乗せていってくれる者はいないかい? 相棒の食費もモーテル代も払う上に、五百ドルを進呈する。俺は駆けだしの小説家だが、ビッグ・リグやトラック・ストップを舞台に使った小説を書いて一発当てようと思うんだ。助手の役も引受けるぜ。俺の名はデイヴって言うんだ。デイヴ・スパントン・・・・・・もっとも、俺が書いた本はさっぱり売れなかったから、俺の名を知っている者はここにはいないと思うがな」 と、ニヤニヤ笑いながら言う。 「いま言った条件は本当か?」 「五百ドル出すって?」 数人のトラッカーが尋ねた。 「ああ、食事とモーテル代のほかにな。夜の女(ビーヴァー)のお代までは出せんが・・・・・・五百ドルは前金で払ってもいいぜ」 片山は言った。 トラッカーはフルに働いて経費抜きの年収は二万ドルぐらいだ。税金を引かれたあとの手取りは一万五千ドルぐらいだから、一日にすると五十ドルを切る。 だから十数人の応募者が殺到した。そのなかから片山な、穏やかな目をしたドン・マクレーガーというスコットランド系の三十二、三歳の男を択(えら)んだ。 ドンに五百ドルを渡して握手し、あぶれた連中に、 「悪く思うなよ。今度どこかで会ったら一杯奢(おご)るからさ」 と、言う。 食事を済ませた片山は、ドンのポーク・ビーンズとアップル・パイの代金も払い、用を足すと、ロッカーから自分の三つのキャンヴァス・バッグを取出した。 ウェスターン・ハットをかぶってバッグの一つを持ったドンと共に、ドンのビッグ・リグに向けて歩く。 ドンのやつはコンヴェンショナル・フードのピータービルドであった。動力と運転部分のトラクターとトレーラーを連結しているドリー、俗に言うフィフス・ホイールのロックを確認したドンは、トラクターの運転席によじ登った。 運転台のうしろには、ベッドがついたスリーピング・コンパーメントがあり、ベッドの下が乗用車で言えばトランク・スペースとなっていた。 Conventional Food Peterbilt Youtube - Peterbilt 359 Bubbles8v92 Channel Trailer by Bubbles 8V92 https://www.youtube.com/watch?v=wvqTK0tzl-Q ベッドの下に片山の三つのバッグを押しこんだドンは、ダッシュ・ボードから吊(つ)った空(から)のホルスターに、ベルトに差してあったS・W三五七マグナムのリヴォルヴァーを収めた。 片山は助手席に腰を降ろしたが、運転席とちがってクッションはひどく悪い。C・B(シチズン・バンド)のスウィッチを入れたドンは、通過各州の通行ライセンスや積み荷伝票などさまざまな書類を入れたケースをグローヴ・ボックスに入れると、ハンド・ブレーキをゆるめた。 ビッグ・リグには主変速機と副変速機がついている。エンジンのパワー・バンドが狭い上にトレーラーの重量が大きいからだ。しかも、シンクロがついてないから旧式のバスのように、シフト・アップの時でもダブル・クラッチを踏む必要がある。 副変速機をアンダー・ドライヴ、ダイレクト、オーヴァー・ドライブと動かしてはメインギアをシフト・アップしていき、制限スピード五十五マイルの十数車線のI(インターステーツ)−八〇を六十マイルで走りはじめると、ドンは重い口を開いた。 ヴェトナム戦争が終ってから除隊し、ニューヨークの大きな運送会社で働いたが、二年前に独立し、月賦でこのトラクター・トラックとトレーラーを買ったこと・・・・・・このピータービルトのターボ・チャージャー・ディーゼル・エンジンは四百馬力で、平地の最大速度は満載時でも八十マイル強は出るが、全国一律の五十五マイル・スピード制限で、コンヴォイを組まないかぎり滅多にトップ・スピードを出せないこと・・・・・・いま運んでいるのはニューヨーク港に着いたスウェーデン製の高級家具で、四日後にシアトルに着く予定であること・・・・・・無理をすれば三日でシアトルに着いてまた三日でトンボ返りすることも出来ぬことは無いが、痔(じ)を悪くして廃業したくないし、下手(へた)するとスピード違反の罰金のほうが高くつくから、そんな馬鹿なことはやりたくないこと・・・・・・家はシアトルにあって、妻とまだ小さな二人の息子がいること・・・・・・などをしゃべり、妻子の写真を見せる。 その間にもC・Bバンドからは、トラッカー仲間の声が、警察の取締まりや事故渋滞などの情報をスラングを使って伝えてくる。 「俺もヴェトナムで戦った。親父はスコットランド系だ。女房と子供たちは事故で殺された」 片山は言った。助手席に伝わる震動は激しく大型ヴァイブレーターの上に坐っているようだ。 「気の毒に・・・・・・」 「赤い軍団という商業テロ組織が、ハイウェイで検問をやっているという噂(うわさ)があるが?」 「奴等が赤い軍団と言うのか? でも、ビッグ・リグには手を出さない。俺たちはC・Bラジオで連絡を取りあって、たちまち数百台が束になって向っていくから ドンはダッシュ・ボードから吊った拳銃のホルスターを叩き、 「もっとも、イリノイズ州では拳銃を隠しておかないと・・・・・・見つかったら罰金をとられるからな。そんな時に、赤い軍団とかが検問で俺たちを停(と)めようとしたら体当たりしてやる。車には保険が掛けてあるし、仲間で口裏を合わせたら、こっちからぶつかっていったとしても保険金が取れる」 と、言った。 片山はそっと安堵(あんど)の溜息(ためいき)をついた。 五、六十マイルごとの非常退避帯に五、六台のスポーツ・タイプの乗用車が停まり、パリにいた頃の片山の顔に似た男が運転する乗用車やピック・アップなどが通ると猛然と追いかけ、その車の前後左右から挟(はさ)んで停車させていたが、ビッグ・リグには手を出さなかった。 三日後、片山はモンタナ州スリー・フォークスの町で、痔痛に耐えられなくなったという口実を使ってドンのトラックから降ろしてもらった。 五百ドルは割引かなくていい、と片山が言ったし、チップとしてさらに五十ドルを払ったので、ドンは片山の病状を口では心配しながらも、上機嫌(じょうきげん)で去っていった。 スリー・フォークスは、グリーン・ベレーの冬期訓練基地があるフォート・ハリソンの近くで、ロッキー山脈はすぐ近くに迫っているが、モンタナ州ではかなり南に位置している。 片山はその町の自動車屋で、外観はポンコツ同然のダットサン・ピックアップを五百ドルで買った。日本とちがって、ここでは車の売り買いに面倒なお役所関係の手続きはほどんと要らない。自動車屋に架空の住所を告げ、偽名をサインして、車の代金とナンバー・プレート料という税金を払うだけだから、三十分もかからずにその車は片山のものになった。 ビッグ・リグに乗せられた初日は片山の尻(けつ)が痛くなったのは事実だが、そのあとはショックに慣れて痛みは感じなくなっていた。 ダットサン・ピックアップを運転する片山はステート・ハイウェイを避け、田舎(いなか)道を北に向った。エンジンのパワーはかなり落ち、ショック・アブソーバーも弱っているが、オプションのリミテッド・スリップ・デフはまだよく効く。 Datsun Pickup Truck Youtube - Rat-a-Dat Double Datsun: Two Nissan/Datsun Trucks In One by WasabiCars https://www.youtube.com/watch?v=g-7c4ioofdY 片山は内側が防水処理されている二つのキャンヴァス・バッグは荷台に乗せていたが、武器弾薬を入れたキャンバス・バッグ モンタナ州のほとんどは、すでにビッグ・ゲームの狩猟シーズンがオープンしていた。モンタナにはナショナル・フォレストやナショナル・パークが多いが、国立公園だといっても禁猟区でないところがほとんどだ。 州都ヘレナの南側は広大なヘレナ・ナショナル・フォレストで、東側はルウィス・アンド・クラーク・ナショナル・フォレストの一つだ。 モンタナにはルウィスとクラークの名を冠したモニュメントが多い。百七十年ほど前にルウィスとクラークの探検隊が踏破したトレイルは、現在もかなりの部分が保存されている。 一八〇三年、ナポレオン皇帝は、さまざまな事情から、当時はルイジアナ・テリトリーの名で呼ばれていた〝蛮地〟、つまりミシシッピー河の西の、現在の合衆国中西部を千五百万ドルで米国に売り飛ばした。 だが、トーマス・ジェファースン大統領政権下の米政府は、西部を買ったものの西部についてはほとんど知らなかった。 ジェファースンは、かねてからその目的のために秘書として傭(やと)っておいたメリウェザー・ルウィスと、ルウィスの友人のウィリアム・クラークの両軍人をリーダーとする探検隊を結成させ、〝ルイジアナ〟の〝蛮人〟たちに、そこが米国領となったことを知らしめると共に、ミズーリーの主要支流の気候、動植物や地下資源、地形、インディアンの各部族の調査などを命じた。 まだ白人でロッキー山脈を見た者はいなかったが、インディアンから伝わってくる話で、そこに大陸分水嶺(コンチネンタル・ディヴァイド)があることは予想されていた。 ジェファースンは、ミズーリー河のロッキーのコンチネンタル・ディヴァイドの向う側でコロンビア河に変って太平洋に通じていると思っていた。コロンビア河の存在は、その十年ほど前に、米国船〝コロンビア号〟の太平洋航海によって発見されていたのだ。 だからジェファースンはルウィス・アンド・クラーク隊に、ミズーリー河を遡上(そじょう)して、大陸分水嶺でほんのちょっとだけ船を陸路運搬(ポーテージ)させてコロンビア河に移す連水陸路の発見を命じた。 大陸横断の水路が発見されたら、東洋の商品は太平洋側から楽に東部に運ばれ、その経済的価値は計り知れないほどのものがあるからだ。 探検隊はセントルイスからミズーリー河を遡上したがロッキーに近づくにつれ、激流や大滝にさえぎられ、船を陸から曳(ひ)いたり、かついで運んだりしなければならなかった。 カヌーや陸路で西進を続けた一行は、モンタナ・ロッキーにミズーリーの水源を発見した。やはり、ミズーリーは西海岸に通じてはなかったのだ。 途中、一行は凶暴な灰色熊(グリズリー)に襲われたり、マンダンやスーやブラック・フィート等の剽悍(ひょうかん)なインディアンに遭遇した。平原はバッファロー(バイソン)、山間の草地(メドウ)はエルク大鹿(ワピティ)、山はバナナ・ホーンのビッグホーン・シープに満ちていた。 探検隊が傭ったハンター兼ガイドの一人のインディアン妻が、ロッキー出身で幼い時に他の部族にさらわれて中部に連れてこられた、ショショーニー族のサカジャウイラといった。 サカジャウイラの存在のせいもあって、探検隊がインディアンと戦闘状態に入ったのはただ一回きりという幸運さであった。 Sacagawea also Sakakawea or Sacajawea Youtube - The true story of Sacajawea - Karen Mensing by TED-Ed https://www.youtube.com/watch?v=PnT0k9wdDZo 食糧も尽きかけた偵察(ていさつ)分隊がそれとも知らずに大陸分水嶺(ザ・ディヴァイド)を越えると、西方にはまた雪をかぶった高山が幾重にも連なり、大陸連水陸路はとうてい無理と分った。 途方に暮れている偵察隊はインディアンの騎馬隊に包囲され進退きわまった。 だが彼等はサカジャウイラの兄が酋長(しゅうちょう)になっていたショショーニー族であった! ショショーニー族に馬とガイドをつけてもらった本隊は、九月の雪のロッキーのビター・ルートとロロ・パスを十日かかって越え、艱難(かんなん)辛苦の末、スネーク川からコロンビア河を通って太平洋に達し、越冬してから、行きとちがうルートで再びロッキーを越えて東部に生還することが出来たのだ。途中で倒れた犠牲者は一人に過ぎなかった。 このルウィスとクラーク隊の遠征によって、大西部への東部人の大移動の口火が切られたのだ・・・・・・。 片山がいまオンボロ・ダットサンで北上しているあたりの森の樹木は、高原とはいえ山脈の標高には達してないから、杜松(ジュニパー)、ピンヨン松(パイン)、ジェフリー・パイン、枝が垂れさがっているジャック・パイン、マウンテン・マホガニー、ダグラス樅(ファー)、栂(ヘムロック) 地面には落葉のあいだから、さまざまなキノコが顔を覗(のぞ)かせていた。十キロ以上もあるカリフラワー・マッシュルームや松タケそっくりの外観をしたキング・ボウリタスなど、北米大陸には数千種の食用になる野生キノコ(ワイルド・マッシュルーム)があるが、ほとんどの西部の住人は、ワイルド・マッシュルームを敬遠して食卓にはのせない。毒キノコのなかには、いい匂いがして食ってもうまいし、動物が食っても平気なのに人間が食うとやられてしまう種類が少なくないので、開拓時代に毒キノコで倒れた先祖を持つ西部人は、キノコ狩りに怖(お)じ気(け)をふるう者が多い。 森にしばしば銃声が響き、灌木をかいくぐって、ホワイト・テイルの裏白尾を立てた鹿や、ラバのように長い耳のミュール鹿が跳(と)びだして道を横切る。 立派な角のトロフィー級の牡(バック)は巧みに隠れているらしく姿を見せない。土地の人間は牝(ドウ)も食料用として一人一匹だけ射つことを許されているから、少年や老女が運転する車もみんなライフルを積んで、食肉探しに血まなこだ。日本で言えばキノコや松タケ狩りか栗拾いの感覚だ。食料庫に鹿がぶらさがっていないことには、十一月の第四木曜日のサンクスギヴィング・デイの格好がつかない。 七十マイルほど走り、州都ヘレナの脇(わき)をそれてグレート・フォールズのほうに北上を続ける。森がなくなり、左手のロッキーまでと見渡すかぎりの右手は、起伏に富んだ大平原だ。 セイジ・ブラッシュやヒエのようなブローム・グラス、ホイート・グラス、ブルー・グラスなどがまばらに生え、ポプラ科の太いコットン・ウッド・ツリーが木陰を作っている。 まさにビッグ・スカイ・カウントリーではあるが、牧草地と水を争って銃で闘い取ってきた国だけに、牧場という牧場は丘の上まで鉄条網が張りめぐらされ、ゲートだらけだ。ゲートと道路のあいだには、鉄パイプを組合わせて、人間や車は通れるが牛が脱走しようとしても脚(あし)を突っこんで動けなくなるキャトル・ブレークがもうけられている。 土煙をあげて通りすぎるトレーラー・トラックのほとんどは、四角にまとめた家畜の餌(えさ)の乾(ほ)し草(くさ)を積んでいた。土地は広くても雨が少ないために牧草はすぐに食い尽くされ、乾し草は高価なのだ。 牧場には、耳にナンバーを書いた赤いプラスチックの札を打ちつけられた黒いアンギス種の肉牛が目立つ。 クジ引き制のためになかなか狩猟許可がとれず、さらに牧場主の許可も必要とするために、道のすぐ近くでプロングホーン(エダツノ・レイヨウ)の群れを見ることもある。しかし、立派な角を持つトロフィー級の牡(バック)は、無論、用心深いから道からは見えない。用心深いから角を立派に発達させる年まで生きのびることが出来るわけだ。 コヨーテ(カイオーテ)の姿も牧場内に見える。狼(おおかみ)は走る時に尻尾(しっぽ)を真っすぐにうしろにのばすが、カイオーテは尻尾を垂らして走るから、遠くからでも見分けることが出来る。 グレート・フォールズ市に近づくと、ミズーリーの流れと、ルウィス・アンド・クラーク隊を悩ませた幾つもの大瀑布(ばくふ)を見ることが出来た。滝の轟音(ごうおん)は遠くからでも聞こえる。 東西約五マイル、南北約三マイルの中規模の町だが、品質が高い品を置いてある店が多いグレート・フォールズで、最後の幾つかの必需品を買い、郵便局に行って、ロスに向けて三通の書留め郵便(レジスタード)を出した。宛先は片山を傭った組織の連絡所で差出し人の名はジャック・ジョンスンという名を使う。内容は片山が合衆国に来てから知りえたことの暗号報告書だ。 危険を冒してレストランに入り、片山にとって文明世界で最後になるかも知れぬ早めの夕食をとる。 若い牡牛を去勢する時に抜取る睾丸(こうがん)のコロモ付きフライは、モンタナ・オイスターという名前の通りに、海の牡蠣(オイスター)とよく似た味だが、もっと濃厚だ。厚切りのフランス・パンの切り口に擂(す)り潰(つぶ)したニンニクをまぶしてオーヴンで熱したガーリック・トーストはニンニクがあまり好きでない片山にもうまく食える。 ディスコを兼ねたバー・ラウンジでは、カレッジの男女学生が、飲んだり踊ったり軽食をとったり、友人から借りたノートを写したりしている。うまそうな女の学生が多く、片山は下腹が熱くなってきたが、この町にも赤い軍団の網がすでに張られているかも知れないから早々に出発する。 中世のオランダ農民のような格好をし、現代文明を拒否しているエイミッシュの人々の馬車とすれちがう。農薬を使わない彼等の野菜や、放し飼いにしている彼等の鶏やその卵は味がいいので結構な値で売れる。 西へルートをとり、ロッキー山脈に向った。まだ日暮れにはかなり時間があった。近くの民間空港やマルムストーム・ミサイル基地から飛びたったジェット機の飛行雲が澄みきった大空に長々とのびている。 昔、このあたりにバイソン(アメリカン・バッファロー)が満ちていた頃、バイソンの皮をかぶったインディアンの勇者がバイソンの群れを崖(がけ)の縁(ふち)におびき寄せ、騎馬の仲間がその群れを暴走させて崖から大量に墜落死させていたデスク・ロックの丘の脇を過ぎ、西部映画に出てくるスモール・タウンそっくりの、人口三百のオーガスタの裏通りを抜ける。標高三千五百フィートだ。 舗装が切れると、その砂利道をはさんで町の反対側がサン・リヴァー禁猟区になっているので、禁猟区から跳びだしてくる白尾鹿を射とうと女性たちが車を停め、赤いチョッキをつけて待ち構えている。車のほとんどがフル・タイムの四輪駆動車でハイ・ロックとロー・ロックがついたオートマチックだ。 走り過ぎる片山のピック・アップを銃弾が次々にかすめ、片山は反射的に助手席のキャンヴァス・バッグから短機関銃を摑(つか)み出した。 しかし、バック・ミラーで見ると、三人連れの中年女が、道路に飛びだした、まだ枝分れしてない一本角(スパイク)の白尾鹿に乱射した銃弾が、誤って片山の車のほうに飛んできたものと分った。 道路を越え、柵(さく)を身軽にジャンプして町寄りの牧場に跳びこもうとしたその鹿は、右のうしろ脚に偶然にも命中弾を受け、着地した瞬間にもんどり打つ。 跳ね起き、折れた脚をブラブラさせながら逃げはじめるその鹿に七、八発が浴びせられたが鹿はブッシュのなかに逃げこんだ。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2022年01月16日 05時14分06秒
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