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カテゴリ:『傭兵たちの挽歌』
Photo by Harry Miller >前回 午前九時に片山が目を覚ました時、横にエレーンはいなかった。寝室から出てみると、パイオニーアのグース・ダウンのウェスターン・ショート・ジャケットとフィルスンのウール・ズボンとLL・ビーンズのメイン・ハンティング・ブーツをつけたエレーンは、道路が見える台所の窓のカーテンをごく細く開いて外を覗(のぞ)いていた。足許(あしもと)に、朝早くまとめたらしいダッフル・バッグが一つ置いてある。 Filson (https://www.filson.com) Mackinaw Wool Field Pants L.L.Bean (https://www.llbean.com) Men's Maine Hunting Boots エレーンのうしろ姿は厳しかった。薄氷が張った水瓶(みずがめ)の水でウガイをする片山を振り向いたエレーンは、唇(くちびる)に指を当てた。薄化粧している。 そっと水を吐き出した片山はそっとエレーンに近づいて腰骨の上を撫(な)でた。 「もうすぐ、ラングラーのトラックが戻ってくるわ。それにハンターやガイドをコラルに運んでいったジープ二台もね」 エレーンは囁(ささや)いた。 エレーンの聴力は起きたばかりの片山のものよりすぐれていた。トラック・エンジン数台の音が近づき、まず片山が知っているロンというラングラーが運転する飼料運搬トラックがランチのほうに去っていった。次いでジープ・ワゴニアー二台が続く。 「あの三台がコラルに向ったのは何時頃?」 「八時だったわ」 「だったら、奴等が馬で出発するのは十時半過ぎだ。バック・ホースに荷をつける時間があるからな。俺たちはゆっくり朝飯を食おう」 片山は言い、顔を洗う。 煙をたてぬためにエレーンはコールマンのガソリン・ストーヴでパンケーキとベーコン・エッグスを焼いた。熱いコーヒーを啜(すす)ってから、片山はサンドウィッチを十食分作り終えたエレーンに、 「君はこのウージーを使ってくれ。分解方法を教えるから、分解して氷結防止にオイルを拭い去ってくれ」 と、短機関銃と、その弾倉帯数本を差しだす。 普通のガン・オイルは氷結に弱い。一番氷結に強いのは、ナイフを研ぐ時に使う石油系のホーニング・オイルだ。 エレーンにウージーの分解結合の方法や射撃のやりかたを教えてから、片山はM十六自動ライフルとレミントンM七〇〇ボルト・アクションの潤滑オイルを拭い去った。その二丁とウージーの銃口をセロファン・テープで覆い雪が入らないようにする。セロファン・テープを通して発射しても弾道には何の影響もないが、銃腔(じゅうこう)に雪を詰まらせたまま発砲したら銃身が炸裂する怖れがある。 十時半になってから、二人は荷物と銃をかつぎ、歩いて出発した。 二人ともウール・シャツとダウン・ヴェストの上から撥水処理されているパイオニーアのウール・シャツ・ジャケットをつけ、これも撥水のウール・ズボンの上にはキャンヴァス・ダックのレイン・チャップをつけていた。雨に濡(ぬ)れても型崩れせぬ五(ファイヴ)Xビーヴァー・フェルトのウェスターン・ハットをかぶっていた。ブッシュのなかで行動するためのウールのモンタナ・キャップをポケットに突っこんでいる。 Rain Chaps 5X Beaver Felt Western Hat コラルの馬やラバは三十頭にへっていた。二た組のハンターやガイドたちが出発したらしい。アスペン(ハコヤナギ)の林に消えたパック・ホースの足跡と糞を調べたエレーンが、彼等の出発は二十分前だと言った。片山も同感であった。 片山は廃車トレーラーのテール・ゲートを開いた。二人は気にいった馬と鞍(くら)を択(えら)んだ。馬に近づく時には、やむをえない場合をのぞいて、そのうしろからは避けねばならぬ。馬は非常に臆病(おくびょう)だから、うしろから近づくと、敵が襲ってきたと思って蹴(け)りあげてくるからだ。だから、馬にうしろから近づく時は優(やさ)しく声を掛けて落ち着かせてからでないと蹴り殺されることがある。馬のうしろを通る時は、馬の尻(しり)に自分の体をこすりつけるほど近づいたほうがいい。そうすると、ボクシングのクリンチの時と同じで、あと脚のキック力が弱まるからだ。 片山は自分の馬の鞍の右側にマグナム・ライフルを入れたスキャバードをつけ、左側には斧(おの)を入れた鞘をつける。サドル・バッグには、精密なロッキーの地図やソフト・ケースにくるんだスポッティング・スコープ、それにサンドウィッチなどを入れる。 エレーンも短機関銃に会うカービン用のスキャバードと鞘に入れたシャヴェルやさまざまな罠(トラップ)を鞍につけた。荷馬二頭には二人が運んできたバッグと、テントと十日分ほどの食料や蹄鉄(ていてつ)などを、左右の重みとバランスをとって積む。山岳地帯の岩場では、蹄鉄は二週間ほどで駄目になる。 あと二頭の振り分けした荷箱(パーニア)には、馬用のカラス麦やかなりの量の塩などを詰める。 二人が出発するまでには一時間もかからぬ手ぎわよさであった。鞍にまたがってアブミ(スターラップ)に足を掛ける時は靴先に近い部分を乗せ、カカトをうしろに垂らしておくのは、灰色熊(グリズリー)の匂(にお)いなどを嗅いで馬が暴れたり、脆(もろ)い岩場や滑(すべ)りやすい草地の斜面などで馬が倒れたりした時に、素早く足をアブミから抜いて跳び降りるために絶対必要だ。膝(ひざ)は自然にのばし、アブミの上に立った時に鞍とのあいだに二、三インチの隙間が出来るようにホッブル・ストラップをの長さを調節する。 M十六自動ライフルを背負った片山が、左手で手綱を持ち、ロープでつないだ四頭のパック・ホースを曵(ひ)くが、右手で持ったそのロープは三重の輪に丸め、うしろの荷馬に急に引っぱられても数メーターはロープは自由にのびて、右手の指や手を怪我しないようにしている。サドル・ホーンにそのロープの先端を捲(ま)きつけたりしたら自殺するようなものだ。鞭(むち)をサドルとスキャバードのあいだに差しこむ。 エレーンは荷物のうしろ十メーターのあたりから背後をガードする。無論二人とも、フォーム・ラバーをサンドウィッチした二重ウールの手袋をつけているのは、濡れた革手袋はカチカチに凍るだけでなく簡単に凍傷を起させるからだ。 アスペンの林に入って少し行くとサン・リヴァーの浅いがかなり広い上流があった。二人はそこで馬たちに水を飲ませる。馬は飲むというより、口をすぼめてチューチューと水を吸いこむ。真鴨(マラード)の群れが飛び去った。 二人は、馬にとってはたまらぬ魅力である野生のピーヴァイン(ウマゴヤシ)を食いはじめたパック・フォースに鞭をくれた。 川をわたり、つづら折れの坂をロッキーに登っていく。馬の足許は、前に通った一行のパック・ホースが踏み砕いた雪で、空からもミゾレに変わって雪が降り落ちる。 モンタナ・ロッキーの中腹以上は六月まで雪が残り、九月にはもう雪が降るのだ。 このトレイルを通って分水嶺を越え、ロッキーの西側のボッブ・マーシャル・ウイルダーネスに降りるルートは “ザ・パス” と呼ばれている。ロッキーの高山のあいだにはさまれた隘路(あいろ)を抜けるわけだ。 左側に深い谷間の底のホードレイ・クリークを時々見おろす、ザ・パスのまわりの樹木は、高度をかせぐにつれて、イエロー・パインやダグラス・ファーに変り、スプールスや細長いロッジポール・パイン、それにウェスターン赤杉やアルパイン・ファーの樅(もみ)に変った。 常緑(エヴァー・グリーン)の針葉樹の林のなかにあって、西部の針葉樹のうちでただ一つ、季節にしたがって色を変えたり落葉したりするカラマツ(ラーチ)の鮮やかな黄色が、ところどころに浮きあがって美しい。 トレイルの脇の雪の上はイタチやテンなどの小動物やミュール・デアーの足跡だらけだ。チップマンク・リスや赤リスが枝から枝に跳び移る。左側の谷の向うにも高山が見える。 出発してから三時間ほどして、大陸分水嶺(コンチネンタル・ディヴァイド)にさしかかる。雪は降り続いているが、右側の山から流れ落ちる地下水で浮きあがった木の根でカマボコ道路状になった狭いトレイルは、前に通ったパック・ホースの馬蹄でグシャグシャの泥濘(ぬかるみ)になっていたり、カチカチに凍ったりしている。 山岳地帯での荒い仕事に耐えられるように何代にもわたって改良されたマウンテン・ホースたちは、背中から湯気をあげながらも疲れを見せてない。 しかし、ここ一年以上馬に乗ってなかった片山は、膝やフクラハギに痛みや痺(しび)れを感じていた。登山にも使えるという宣伝に乗って買ったハイキング・ウェスターン・ブーツのなかの足は寒さに痛んでいたが、やがて感覚が無くなりはじめる。 ザ・パスの分水嶺の中間地点の休憩地は標高七千フィートで、膝を没する積雪であった。休憩をとった連中の焚火(たきび)の跡が多い。 二人はそこで馬を降りて小便をした。片山はエレーンがサンドウィッチとジュース代りのオレンジを食っている間に、ウェスターン・ブーツを脱いで二本のブーツ・ナイフを鞘ごと外し、ブーツを雪に埋める。 薄手のウールの靴下を、シルクの靴下と厚手のウール・ソックスに替え、ラッセル・ダブル・ヴァンプのハンティング・ブーツをはいた。ブーツ・ナイフを一本エレーンに渡し、もう一本は自分の鞍のサドル・バッグに仕舞う。 再び出発した。今度は下りだから、馬を曳いて歩く。たちまち膝やフクラハギの痺れは治り、足にも感覚が戻ってくる。 また地下水の泥濘に悩まされた。しかし、ハンティング・ブーツが濡れて慣らし(ブレイク・イン)がしやすい。だが、ちょっと歩くスピードをゆるめると、曳いている馬に踵(かかと)を踏(ふ)まれる。 やがて谷間に激流が見えてきた。今度は太平洋に向けて流れるキャンプ・クリークだ。 急な下りの狭いトレールは右側は崖、左側はすぐ谷になり、落石がゴロゴロしていて、馬がしばしばスリップする。 やっとボッブ・マーシャル・ウイルダーネスのダナハー高原のメドウに出て馬にまたがった片山は、歩き続ける馬上でサンドウィッチを食いオレンジをかじると、嚙(か)みタバコを口に放りこむ。 十八マイルを六時間でたどり着いたのだから、良好なペースだ。普通、パックホースが一日に進める距離は、あまり険しくないマウンテン・トレイルで十から十五マイルとされている。しかし、これから、片山たちは、シックス・ポイント・ハンティング・ロッジやほかのアウトフィッターのテントを避けて野営の場所を捜さねばならぬ。 幸いモンタナのハンターはオレンジや赤のチョッキや上着や帽子をつけているし、今の時刻はテントから煙が出ている筈なので、片山は丘の上に馬を走らせ、スポッティング・スコープでじっくり偵察(ていさつ)した。アスペンの枝の鞭を持ったエレーンは、早く荷物を振り落としたくて寝転がろうとする荷馬を看視する。 その夜は、針揉(スプルース)の林の中にカモフラージュ色のテントを張った。近くに小川が流れ、流れの一部がビーヴァー・ダムに塞(せき)とめられている。 池(ポンド)の真ん中に木や枝や泥を組み合わせたビーヴァーの島があった。島の下に巣があるのだ。 ビーヴァー・ポンドのまわりのスプルースは、ビーヴァーに齧(かじ)り倒されていたが、ビーヴァーも時には計算違いをするらしく、池の中にでなく、林のほうに向けて齧り倒している木があった。ビーヴァーの食料は魚でなく、樹皮や枝葉なのだ。 降りしきる小雪が水面に反射して、水面から雪が上っているように見える。川マスの一種のホワイト・フィッシュやブル・トラウトの別名があるドリー・ヴァーデン、それにブルック・トラウトなどが小川の水中に見え隠れする。 小川のほとりでは、鞍や荷を降ろされた片山たちの馬が、走り去らないように前脚をロープでゆるく結ばれて、草や灌木(かんぼく)を食っている。ピーヴァインを夢中で食っている時の馬の表情は恍惚(こうこつ)としている。 片山はビーヴァーが林側に倒した枯木を斧で叩き切って薪(まき)を作る。径二十センチの幹は斧の五、六発ずつで横に切られ、一発ずつで縦に二つに割りにされる。柄はストレート・グレインの木目が真っすぐに通ったヒッコリー材だから、手に伝わるショックは柔らかい。 着火材がわりのヤニ(ピッチ)や薪を片山はテントの前に運んだ。大きな穴をシャベルで掘り、一番下にピッチを置いて火をつけておき、枯枝やナイフでケバだたせた細い薪でかなりの焚火を作っておいてから太い薪をその上に置く。キャンヴァス・バケツに数杯の水をくみに行った。 薪がゴーゴーと燃えはじめた頃、柳の枝で編んだ魚とりのヤナを小川に仕掛け、燕麦(カラスムギ)や塩を餌(えさ)にしてメスキジに似たラッフルド、ブルー、それにスプルース種の亜種のフランクリンといった種類のグラウスや、ジャック・ラビットなどの兎の罠を仕掛けたエレーンが、サドル・バッグ一杯のブルーベリーを採ってきた。 焚火の上に枝を渡して大鍋(おおなべ)に湯を沸かす一方で、エレーンは片山が運んできたビーフでステーキを焼いた。 サンダース家の別荘からスペアの乾電池数十本と共に持ってきた日本製のトランジスター・ラジオのヴォリュームを絞って聴くが、ニュースの時間にも赤い軍団という言葉は一つも出ない。赤い軍団の勢力は、すでに米政府のあいだにまで浸透しているのかも知れない。 ブルーベリーのデザートとコーヒーで夕食を終えた。エレーンは熾火(おきび)の大部分をテントのなかの地面にシャベルで移す。残りに土をかぶせて炭を作った。フクロウの鳴き声が聞こえる。 テントのなかは汗ばむほどになった。素っ裸になったエレーンは、全身に恥じらいの表情を見せながら、片山も裸にさせて、三つのキャンヴァス・バケツに移したタオルを固く絞り、片山の体を拭う。 熾火(おきび)の淡い光のなかで、しなやかなエレーンの体の動きを見、熱いタオルで触れられているうちに、片山の凶器はたちまちう怒張した。 淡いとはいえ灯のなかでエレーンの全身ヌードを見たのは、片山にとって今夜がはじめてであった。下腹に薄い傷跡があるほかは、エレーンの肉体は完璧(かんぺき)であった。腹には余分な脂肪は一つもなく、白人のようにクレヴァスが長く裂けてないのも好ましい。 エレーンは片膝をつき、拭い終えた片山の凶器にそっと唇をつけた。軽い接吻をくり返していたが、横ぐわえにしたり深くくわえたりして下をからめる。 エレーンの髪を摑(つか)んだ片山は、腰を突きあげていたが、エレーンを抱き上げようとした。 「待って・・・・・・わたしのが終ってから・・・・・・」 エレーンは片山を逃れた。自分の体を拭いはじめる。 エレーンが拭き終るのを待ちかねながらタバコを吸っていた片山は、エレーンがタオルをバケツに捨てると、スリーピング・バッグに押し倒した。 エレーンの花弁に舌を入れ、ふくれ上がった花芯を舐める。晶子を知ってからは、ほかの女には決してやらなかった行為であった。 激しい声をたてたエレーンは、片腕で自分の目を覆い、両足を痙攣(けいれん)させた。やがて本物をせがむ。片山はエレーンに重なってスラストしながら、 「大丈夫なのか?」 と囁(ささや)く。 「あなたの子が欲しいわ、ケン・・・・・・本当に欲しい・・・・・・でも、わたし・・・・・・口惜しいけど・・・・・・子供が出来ない体にされてしまったの・・・・・・三年前、サウス・ダコタの・・・・・・ウーンデッド・ニーでの集会に参加していた時、暴動扇動罪の容疑で捕まって、無理やりに不妊手術をされてしまったの・・・・・・州がちがうから、ジム・サンダースはそのことを知らなかったけど・・・・・・でも、卵管を切断されただけなの・・・・・・日本に行って、もとの体に戻す手術を受けたい」 エレーンは喘(あえ)いだ。 「俺も目的を果たしたのち生きのびることが出来たら、必ず君を日本に連れていって優秀な病院に入れてやる」 「うれしい。ああ、いい・・・・・・ケン!・・・・・・いい、いいわ・・・・・・溶けそう・・・・・・」 エレーンは激しく腰を突きあげた。 終ったあとエレーンは、自分の祖母は白人四人に輪〓されて母を産んだことを語った。片山が商用のために体に毛布を捲きつけてテントから出てみると、雪はやみ、ボタン雪のような星が異常なほどの近さで満点に散らばっていた。 翌朝、まだ暗い午前六時に起きた片山は放牧しておいた馬を連れ戻し、両の掌に三杯ずつの燕麦(カラスムギ)を与えた。山岳馬は一回に一升、つまり両の掌に四杯分以上の穀物を与えると、そいつが胃のなかでふくれあがってしまうために、苦しんでブッ倒れる。 テントを回収し、馬に鞍を付けたり、輸送箱をつけたりしている時、罠とヤナを回収したエレーンがラッフルド・グラウス(エリマキ・ライチョウ)二羽と、灰緑色の体にピンクの斑点(はんてん)がある六キロほどのドリー・ヴァーデンをぶらさげて戻ってきた。煙が人目につかぬように、土をかけてあった炭に火を起して、牛脂でフライにする。米語ではキャンプ泥棒(ロバー)、カナダではウイスキー・ジャックと仇名(あだな)されるカケスが、うるさく鳴きながら集ってきて残飯を狙う。 食い残しは昼食用に回すことにして出発する。グラウスは夕食用だ。いつでも林のなかに隠れられるように、メドウを通る時はその縁(へり)を択び、山腹を迂回(うかい)しながら進む。もう片山は乗馬のカンを完全に取戻していた。 竜巻きや強風に会ったらしく数マイル四方にわたってロッジーポール・パインの細長い松が倒れているところもあった。平地では、積雪は風に吹き飛ばされたり、陽光に溶けたりする。 ハンティングが目的でない時にかぎっての皮肉か、あるいは二人から殺気が放たれてないからか、シダや苔(こけ)の上に伏せてハンターをやり過ごしていたエルク大鹿が、しばしばトコトコと歩いてきて、二人のパック・ホースを眺(なが)める。エルクが伏せていた跡の苔からは、その上の雪が溶けて湯気がたっている。 夕方近くにすぐ近くで見たエルクの牡(ブル)などは、枝角(アントラー)の左右とも八尖で長さ六十インチを優に越え、太い両角のひろがりかたも申し分なく、獲った場合にはレコード・ブックのベスト・テンに載(の)るのは確実に思えた。片山は今夜の宿泊地に着いたら、銃声がしないコマンドウ・クロスボウを組立てることにする。 その日は、曲がりくねったルートをとりながらも、直線にすると三十マイルほど北上する。夜になり、凍った雪に隠されていた小岩に馬の蹄鉄が当って火花を散らす。 北上するにしたがって寒気がした。雪の吹きだまりも深くなる。馬が吹きだまりに落ちこんだら、すぐに跳び降りて引っぱり出してやらないと、ショック死することがある。 その夜二人は、流れの中心を残して凍りついたクリークのほとりの、ヤマハンノキ(マウンテン・オールダー)の灌木(かんぼく)の茂みを主とした雑木林にテントを張った。 エレーンは二羽のグラウスの毛をむしり、その体を串刺(くしざ)しにすると、テントの前の焚火(たきび)の横に立てかけ、小動物や野鳥の罠、それにマス(トラウト)のヤナを掛けるために林のなかに消えた。 片山は、焚火の熱でグラウスの片面だけが焦(こ)げすぎないようにと、ときどきテントから出て串を回しながら、テントのなかで、罐詰(かんづめ)の空罐に獣脂を入れて細いロープの芯を立てた簡易ランプの鈍(にぶ)い明りのなかで、コマンドウ・クロスボウを組立てた。 金属製の弓に弦を掛ける時だけは全身の体重を掛けねばならなかったが、あとの作業は楽であった。銃床に嵌めこむ弓のセンターにはマークしてあったし、テキサスで試射したあとは、銃床からライフル・スコープを外してなかったから、明日になって明るくなった時に再試射してみても、照準はあまり狂ってないことが分るだろう・・・・・・、と思う。 またグラウスの串を回すために片山が立ち上がりかけたとき、血の気を失った顔をしたエレーンが戻ってきた。予定よりも、かなり早い時間だ。 「どうした?」 と尋ねかけた片山に、エレーンは指を唇に当てて黙るように合図した。目は緊張と恐怖で吊(つ)りあがっていた。 「お、追ってきたの。保安官補(デピューティ・シェリフ)のチャーリーが・・・・・・」 と、囁(ささや)く。 「チャーリー?」 片山は囁(ささや)き返した。 「チャーリー・ストーンヘッド。インディアンなのに、白人の飼い犬になりさがって得意になっている嫌(いや)な奴・・・・・・」 「見たのか、奴を?」 「チャーリーの馬を見たの・・・・・・わたし、ここから一マイルほどの南のメドウの縁(ふち)に、ジャック・ラビットの罠を掛けに行ったの・・・・・・ここに来る途中、あいつらの足跡が沢山雪明りで見えた場所を覚えているでしょう?」 「ああ」 「わたし、迷わないように、あそこに行くのに、わたしたちのパック・ホースの足跡を逆にたどっていったわ・・・・・・そしたら、四分の三マイルほど行ったところで、二頭の馬の足跡が一行の足跡から外れて西のほうにそれているのを見たの」 「・・・・・・・・・・」 「よく調べてみたら、その二頭は、わたしたちから半時間ぐらい遅れて尾行(つけ)てきてから、わたしたちのトレイルから西に向けて外れたことが分ったの・・・・・・二頭の蹄鉄の後には、ショショーニー・インディアン・リザーヴの保安官事務所のチャーリー専用のしるしの三日月形の刻印があった」 「それで、君は二頭の足跡を追ったのか?」 「ええ、怖(こわ)かったけど、いざとなったらこれを使ってでもと思って・・・・・・」 エレーンは肩から吊っているウージー短機関銃を軽く叩(たた)き、 「チャーリーは、残忍な上にしつこいので有名なのよ。何か月か前にも、酔っ払って仲間を殺してしまったインディアンが山に逃げこんだのを、二週間もかけて追いつめて、その男の生首をぶらさげて戻ってきたわ。その容疑者が先に射ってきたから射ち返したら命中してしまった、ですって・・・・・・本当は、人殺しを楽しんでいるのよ、チャーリーは・・・・・・だから、あなたがあんな奴に殺される前に、こっちのほうで先手をとってやろうと思ったの」 と、囁く。 「・・・・・・・・・・」 「二頭の馬の足跡は、一度西に向ってから、四分の一マイルほど行ったところで北に向きを変えていたわ。北にちょっと行ったところで、クリークにぶつかったの。ここの前を流れているクリークとは別のクリークよ・・・・・・チャーリーの馬は、そのクリークのそばにつながれていた。でも、チャーリーは見当たらなかった。チャーリーは、クリークの向うの、深いブッシュの丘に隠れているに違いないわ。その丘からは、ここが見おろせる筈(はず)よ」 「畜生・・・・・・」 「わたし、急に怖さに耐えられなくなって逃げてきたの・・・・・・あなたに早く知らせたかったし」 「君はよくやった。有難う。俺たちがぐっすり眠りこんでから・・・・・・襲ってくる気だろう。君が気づかなかったら、ヤバいことになるところだった。でも、もう心配しないでいい。俺が奴を片付けてくる」 片山はエレーンを強く抱きしめ、深くキスをした。片山が舌と唇を放すと、血の気が甦(よみが)えったエレーンは、 「わたしも一緒に行くわ。連れていって」 と喘(あえ)ぐように言う。 「いや、君は何もなかった振りをして、火に掛けてあるグラウスと熾火(おきび)をこのテントのなかに入れるんだ。ランプの灯(あかり)はそのままにして・・・・・・そして、ウージー・サブマシーン・ガンのスウィッチレヴァーをフル・オートにし、安全装置を外して待機していてくれ。俺はここに戻ってくる時には、フクロウの声をたてる。フクロウの声をたてずにこのテントに忍び寄ってくる者がいたら、テント越しにでもいいからブッ放すんだ。弾倉帯のパウチのフラップを開いて、すぐに弾倉を交換できるようにしておいたほうがいい」 片山はエレーンの耳に囁いた。 エレーンから離れると、腰のホルスターのG・I(ジー・アイ)コルトのスライドを引いて薬室(チェンバー)に装弾しておき、撃鉄をゆっくり倒す。 四枚刃の矢を十ダース入れた矢筒(クイーヴァ)を左の腿(もも)に縛りつけ、コマンドウ・クロスボウの銃床を折って弦を引き絞り、リヴァーサル・フックに引っかけると安全装置を掛けた。 再試射を行ってないのが不安だが、出来るだけチャーリーに近づいてから射てば何とかなるだろう。外れたら、仕方なく、銃声がほかのハンターに聞かれる危険を冒してでも、G・Iコルトを使うほかない。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2022年01月23日 09時20分10秒
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