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カテゴリ:『傭兵たちの挽歌』
Photo by Tatxon >前回 焦茶色の庇(ひさし)の短いウールのモンタナ帽をかぶった片山は、グリーンのモーリスのウールの手袋をつけた。革で補強されたその手袋の親指の内側と人差し指全体は、ナイロンとフォームラバーによる三層の布が使われ、銃の引金を引き絞る時に確実なフィーリングを与えるように出来ている。 Morris Feel Glove (vintage) エレーンが熾火になりかけた焚火の横から串刺しにしたグラウス二羽をテントに運びこんだ時、片山はテントの裾(すそ)をまくって、焚火と反対側からブッシュのなかに身を移した。 簡易ランプの灯は鈍いので、うまい具合に、テントのなかで動くエレーンの影はテントの外からは見えない。 テントから百メーターほど離れたところでブッシュから這(は)いだした片山は、そっと立ち上がった。 チャーリーが隠れているらしい低く小さな丘の頂上が一キロほど先に見えた。 しかし片山は、いきなりその丘に近づくようなことはしなかった。 大回りして、エレーンがチャーリーの馬の足跡を尾行(つけ)た位置に向う。絶えずうしろを振り返ったり、木立ちに身を隠したりして、自分が逆追跡(バック・トラック)されてないかを調べる。 エレーンは、二人のパック・ホースのトレイルからチャーリーの二頭の馬が分れたところまでは、雪上の馬蹄の跡を踏んでいたが、そこからクリークにかけては、チャーリーの馬と自分の足跡のあいだにブッシュをはさんでいた。さすがに、幼時から山にいきたエレーンのことだけはある。 片山はクロスボウの銃床の矢レールの矢羽根溝に竹筒から出した四枚刃の矢をつがえ、エレーンの足跡をチャーリーがバック・トラックしてないか調べてみた。 幅三十メーターにわたって調べてみたが大丈夫のようであった。片山はエレーンの足跡の上に戻り、静かにクリークの水音のほうに忍び寄る。 やがて、チャーリーの馬が鼻声を出したり、身を震わせたりする音が聞えてきた。 その時、物凄(ものすご)い羽音が起り、数十の黒い塊りが星空に向けて飛びさる。 心臓が喉(のど)からせりあがってくる思いで反射的にクロスボウの安全装置を外していた片山は、そっと溜息(ためいき)を吐きだす。 ハンと呼ばれている、コジュケイを少し大きくしたようなハンガリアン・パートリッジの群れを踏み出したのだ。飛びたったハンの群れは羽根を鎌(かま)のような形にすぼめて滑空する。 しばらく動かないでおいてから、片山は再び歩きはじめた。 チャーリーの馬を驚かせたくなかったから、その近くには行かなかった。しかし、チャーリーがクリークを渡った地点は、両岸近くの氷と雪の上にチェーン型ソールの足跡がついているので分った。馬たちから五十メーターほど離れた南側だ。 そのあたりの、凍ってない流れの中心に岩が幾つか置かれ、対岸側の氷と雪の上にもチャーリーのものらしい足跡がついていた。 片山は流れの上に突きだした岩から岩へと跳んで対岸に渡った。慎重に慎重に、丘を登っているチャーリーの足跡を追う。 わずか四分の三マイルぐらいの距離を二時間ほど掛けて忍び寄った。 頬骨(ほおぼね)が鋭く突きだしたチャーリー・ストーンヘッドは、丘の向う側、つまり片山はとエレーンのテント寄りの中腹にいた。 雪をかぶって天然の屋根のようになった、常緑(エヴァー・グリーン)の這い松(ドワーフ・ジュニパー)の茂みの下にもぐりこんだチャーリーは、防水タープの上に腹這いになり、体の上に手織りのインディアン毛布を掛け、火が消えたパイプを横ぐわえにして、双眼鏡を時々テントのほうに向けている。 狩猟民族には信じられぬほどの視力を持つ者が珍しくないが、チャーリーは狼(おおかみ)よりも夜目が利く片山にまさる視力の持主なのであろう。 チャーリーの近くに、スキャバードに入ったライフルと、サーモスの魔法壜(まほうびん)と干肉とビスケットが置かれてあった。 片山は自分の心臓の鼓動が激しく鳴るのを覚えながら、風下の斜めうしろからチャーリーに向けて、這って忍び寄った。 コマンドウ・クロスボウのライフル・スコープを通してチャーリーを覗(のぞ)いてみる。倍率はわずか二・五倍と低いから非常に明るいレンズだが、這い松のカヴァーの下にいるチャーリーの姿は、レンズを通すとおぼろにしか見えない。 それに、矢が枝や葉に当ってそれる怖れもあるから、片山は出来るだけチャーリーに近づきたかった。呼吸音をたてぬよう口を開いて呼吸をしているので、寒気で肺のなかまで痛くなってくる。 十五メーターの近さに忍び寄った。それがチャーリーにカンづかれない限度と思えた。 片山は、毛皮越しにチャーリーの胸を狙って、クロスボウの引金を絞り落とした。 矢を射ちこまれたチャーリーは、物凄い悲鳴をあげて上体を起した。スキャバードからライフルを引抜こうとする。 矢が途中で木の枝に当たったためでなく、やはり弓をフレームに組立てたあとに再試射して照準修正をしてなかったため、矢は狙った胸をそれて、腹を貫いたのだ。 チャーリーがスキャバードからライフルを抜いて片山のほうに向き直ろうとした時、体を起して片膝(かたひざ)をついた片山はクロスボウの弦を張り、二本目の矢を装塡し終えていた。 狙点を変えて二本目の矢を発射する。 一本目の矢に毛布を体に縫(ぬ)いつけられていたチャーリーの胸を二本目の矢が貫いた。 ライフルを放りだしたチャーリーは仰向けに倒れ、全身を痙攣(けいれん)させていたが、すぐに動かなくなる。 片山はカラカラに渇いた口に雪を押しこみ、G・Iコルトを抜いてチャーリーに近づいた。 チャーリーは死んでいた。片山はG・Iコルトをホルスターに戻す。 チャーリーのポケットをさぐり、チャーリーが身につけていた一ドル・ライターの灯で財布の中身を調べてみると、ジム・サンダース誘拐(ゆうかい)容疑とシックス・ポイント・ランチのパック・ホース窃盗容疑で地方判事が出したエレーンの逮捕状があった。 ジムが死体となっていることはまだバレてないらしい。 片山はその逮捕状を焼き捨て、チャーリーが落した双眼鏡の近くに蹲(うずくま)ってテントのほうを見渡す。 テントの前の熾火の残りと、テントから漏れる簡易ランプの鈍い灯がかすかに見えた。 片山はチャーリーのライフルをスキャバードに戻した。遠距離射撃用の二六四ウィンチェスター・マグナム口径の、通信販売で買える安いハーターのボルト・アクションのハンター・モデルで、充分に使いこまれていた。 片山はそのハーターのライフルの薬室に装塡されていないことを確かめてからスキャバードに収めた。チャーリーが腰のベルトにつけていた三十発入りの弾薬サックと、雪が解けた地面に落ちていたブッシュネルの双眼鏡を自分のポケットに移す。 毛布と防水タープにチャーリーの死体や魔法壜などを包んで、深い雪の吹きだまりに引きずり降ろし、雪の下に埋めた。 チャーリーの馬に、優しく声をかけながら近づいた。常緑のスノーブラッシュの下に隠されていた鞍(くら)を一頭につけスキャバードを縛りつけた。もう一頭には、やはり隠されていた、防水タープにくるまれた荷物をつける。 チャーリーの荷物の包みの中味は、予備の毛布三枚と食料、それにコーン・ウィスキーと粉末ジュースとダッチ・オーヴンとヤカンと弾薬と岩塩と砂糖とコーヒーといったものであった。 鞍をつけた馬にまたがった片山は、荷馬を曳(ひ)いてテントのほうに戻っていく。テントに近づき、フクロウの声の真似(まね)ると共に、 「エレーン、大丈夫だ。奴は俺が片付けた!」 と、叫ぶ。 テントのなかが急に明るくなり、樹脂(ピッチ)が多いタイマツの火を左手でかざし、右手でウージーを腰だめにしたエレーンが跳び出してきた。 「ああ、ケン・・・・・・生きて帰ってくれたのね!」 と、ウージーを近くの灌木に立てかけ、泣き笑いしながら走り寄ってくる・・・・・・。 次の日も、また次の日も、二人は一刻も惜しんで、出来るだけ北へと遠ざかった。無論、チャーリーの二頭の馬も連れている。休憩時間を利用して片山はコマンドウ・クロスボウの照準再修正を終えていた。 出発してから六日目の早朝、どうしても大好きなエルクのリヴァー(レバー)焼きと肋骨付きのリブ・ステーキが食いたくなった片山は、肥満した牝(カウ)エルク五頭の足跡を雪上に追跡(トラッキング)する。 エルクは追われていることを知ると、ハンターをやり過ごして逆追跡(バック・トラック)をすることがある。ハンターが自分の臭覚内や視界にいないと、かえって不安になるからだ。 だが、そのカウの群れは、追われ慣れながらも生きのびたトロフィー級のブル・エルクのように留(と)め足を使った。 以前通った自分たちの足跡に突き当たるとそこで一度停まり、いまやってきた足跡の上をバックし、大きく横に跳んで灌木の奥に隠れたのだ。 片山は猟のプロだから騙(だま)されなかった。風下から回りこんで彼女たちが伏せているあたりに忍び寄り、気配を感じて跳び上がった一頭の肺に、二十ヤードの至近距離から、張力二百五十ポンドのコマンドウ・クロスボウの四枚刃の矢を射ちこむ。 雪を蹴たて地響きをたてて逃げる群れと共にその獲物は走ったが、五十ヤードほど走ったところで尻(しり)から崩(くず)れ折れる。鼻と口から垂らした血で雪を染めて全身を痙攣(けいれん)させる。二百五十キロぐらいの体重であった。 合図の口笛を吹くと、エレーンが片山の鞍をつけた馬に乗り、二頭の馬を曳いてやってきた。その間に片山は、カウ・エルクの皮を剥(は)ぐ。 ムースとちがって、エルクの皮剥ぎは赤シカと同じように、体温が残っている間は簡単だ。皮にナイフで切れ目を入れ、拳(こぶし)を皮と肉のあいだに突っこんで剥がすか、体に足を掛けて皮を引きはがせばいい。 エレーンがカウ・エルクの解体を手伝う。大型獣に対してもコマンドウ・クロスボウの威力がかなりのものであることは、肺腔のなかが血の池になっていることで分った。 エレーンは下を切取り、腸を小川に運んでグリーンの内容物をしごきだしてよく洗う。片山は背筋の二本のバック・ストラップと大きなリヴァーを取出した。首を落し、膝(ひざ)関節の軟骨をナイフで切断して臑(すね)から下を捨てた四本の腿(もも)と、斧(おの)四つに割った胴体を、ひろげて裏返しにした皮の上に乗せる。 その日は、腸に刻んだ肉と塩コショウと天然の香料を詰めてボイルしてから茹(ゆ)でたソーセージを作ったり、燻製(くんせい)干肉を作ったりで一日が潰(つぶ)れた。 朝食は塩茹でのタン、昼食はリヴァーの塩焼き、夕食はリブ・ステーキという具合であった。 おまけに、カウ・エルクの解体中に、内臓の匂(にお)いに惹(ひ)かれて、冬眠前の黒クマまでやってきたので、それもコマンドウ・クロスボウで射殺して皮を剥ぎ、五十キロほどの脂肪(ファット)を切り刻み、料理用に大鍋で数回に分けて溶かしてから固まらせた。 だから、次の日の朝食は、エルクの背肉(バック・ストラップ)のカツレツであった。その夕暮、二人のパック・ホースは、フラットヘッド・ナショナル・フォレストから地図上では存在する国境線を越えてキャナダのブリティッシュ・コロンビア州に入る。片山は精密なトポグラフィック・マップ数綴りのほかに、磁石は当然として、グレート・フォールズの町で買った天測用の六分儀を持参していた。 国境を越えてから七マイルほどの森にテントを張る。四角なテントではもう夜が寒すぎるために、ロッジボール・パインの若木を数本斧で切倒し、それを支柱にしてインディアンの三角形の天幕(テイピー)を張る。天井の中心に煙抜きがあるので、テイピーのなかで焚火ができる。焚火に掛けた大鍋でエルク・ソーセージを熊の脂肪で揚げると、なかなか乙な味がした。 だが、困ったことは、国境に近づいた頃から、外観が小型のクマに似たイタチ科の、凶悪なウルヴェリン(クズリ)が、毎夜のように押しかけてくることだ。 二十センチほどの尻尾(しっぽ)を含めて全長約一メーター、体重わずかに二十キロほどとはいえ、ウルヴェリンは、アフリカのハニー・バッジャーと共に、体重当りの獰猛(どうもう)さからすると、動物界最強のファイターだ。 Youtube - Meet the Real Wolverine by Nature on PBS https://www.youtube.com/watch?v=P3xhQm7wMxI 猛烈な食欲の権化であるウルヴェリンは、獲物を倒して食事にかかった、自分の二十数倍の体重の灰色熊(グリズリー)を強力な爪(つめ)と牙(きば)で絶え間なく攻撃して獲物を横取りすることさえある。 ウルヴェリンは、ゴムのような皮と肉のあいだにクッションがあって、噛みつかれても強力なパンチを浴びても、あまりこたえないのだ。 おまけに頭がよく、罠猟師が木の上や岩を重ねた地下に隠してある非常用の食料を貪(むさぼ)り食った上に、食い残しには大小便を引っかけておくという悪辣(あくらつ)さだから、キャナダとアラスカでは害獣のナンバー・ワンになっている。 その上にウルヴェリンは、ヤマアラシ(ポーキー)と同じように、汗の塩分を求めて、馬具の革や毛布などをズタズタに嚙みしゃぶってしまうのだ。リスも食料や塩分を求めて悪さをするが、馬具の革までは嚙み破らない。 ウルヴェリン対策には、エレーンがシックス・ポイント・ランチからわざわざ運んできた金属製のアニマル・トラップ(トラバサミ)が役立った。 ウルヴェリンは、ずる賢いから、罠にかけることは非常にむつかしい。だがエレーンは罠猟にかけては最高のプロであった。 トラバサミにかかったウルヴェリンのなかには、罠にはさまれた自分の脚(あし)を食いちぎって逃げる奴もいた。そうでない奴は物凄い唸り声をあげ、牙を剥きだして反撃しようとする。 片山は、そんなウルヴェリンの頭を斧で断ち割り、皮を剥ぐ。 吐く息が凍りつきにくいとされているため、ウルヴェリンの皮は、防寒パーカーのフード用に珍重されているのだ。 膀胱(ぼうこう)や臭腺袋は中身がこぼれないように巧みに取出し、次のキャンプ地でウルヴェリンを防いだり、あるいは罠のルアーとして中身を利用する。 国境からブリティッシュ・コロンビアの北端までは約八百マイル、ノースウエスト・テリトリーのグリズリー・パウ湖までは千マイルもある。 一日に三十マイル進めると単純計算しても、グリズリー・パウ湖に近い赤い軍団の秘密基地本部にたどり着くまでに一と月以上かかるが、その反面では、赤い軍団は片山がダヴィドを襲うことを諦(あきら)めたと思いこむか、あるいはどこかでのたれ死にしたと思って油断するという利点もある。 それからも毎日、キャナディアン・ロッキーに沿って北上を続けた。 馬が参るごとに、元気が残っている馬二頭に片山とエレーンが乗って、山に放牧されている馬を投げ縄で捕えて替え馬とする。キャナダの馬はモンタナの馬より登りに弱いようだ。役に立たなくなった馬は、焼き印のあたりの皮を剥ぎ取ってから放してやる。 国境から百マイルほどのクーテネイのシングレア・パスから、さらにその先二百マイルのレッド・パスのあたりまでは、ロッキーの東側にバンフやジャスパーといった有名なリゾート地帯を控えているせいで、数本のハイウェイが横切っている。 夜明け前の一番車が通らない時刻を択(えら)んで片山たちは道路を横断した。レッド・パスを越えた頃には、モンタナから連れてきた馬はすべてキャナダの馬に替わっていた。乗馬中はラッセルのブーツでは寒さを防ぎきれず、フェルトのインナー・ライナーを入れたソーレルのスノー・パック・ブーツをはいている。 キャナディアン・ロッキーには毎日のように風が吹き荒れていた。風に顔を向けると息が出来ないほどだ。吹雪も激しい。小さなロッキー・マウンテン・メープルは、キャナダのシンボルである東部のカエデとちがって、葉の形も完全にちがい、幹からはうまいメープル・シロップも採(と)れない。 だが片山たちは、エレーンが罠(わな)で獲るスノーシュー兎(ヘア)などの小動物やフール・ヘンと呼ばれるブルー・グラウスやラッフルド・グラウス(エリマキ・ライチョウ)、冬眠中のやつを岩から掘りだしたホーリー・マーモットやウッドチャック、それにヤナやヤスを使って捕えるカマス(パイク)やさまざまな種類のマス、それに片山がクロスボウを使って禁猟区で易々と射ちとめるビックホーン・シープやキャナディアン・ムースの肉や内臓で生きのびていた。 動物の内臓から取出した半消化の植物や、エレーンが採ってくるアルパイン・オニオン等の食用の球根や野イチゴ類のせいで、二人ともビタミンCに不足しない。 ゴールデン・マントルド・スクイーレルのような地リスや赤リスなどの木リス(ツリー・スクイーレル)、それにイエロー・パイン・チップマンクいった小さなシマリスが真冬にそなえて木の空洞(くうどう)や根の下などにたくわえてあったブナやカシなどの木の実はデンプン質の補給になった。 出発してから約一か月後、片山たちはウィリストン湖の北端で再び大陸分水嶺を越えてロッキーの東側に移った。太平洋から時々吹く暖風(スヌーク)のせいか湖はまだ氷結してなかった。 このあたりの野生山岳シープは、もう褐色のビッグ・ホーンでなくて、灰黒色の体のストーン・シープだ。 すでに二人のインディアン・テント(ティーピー)は、ここに来るまでにしばしば、蛋白(たんぱく)質と脂肪に飢えきった冬眠前の灰色熊(グリズリー)に襲われ、テントのキャンヴァスを鋭い爪(つめ)に引裂かれて食料の肉を奪われたり、馬を二頭殺されて内臓を食われたりしていたが、その夜襲ってきたグリズリーは、飢えのために狂ったようになっていた。 片山はその日の夕暮近く、一歳仔のストーン・シープをクロスボウで射ち、ほとんどの肉を五十メーターほどの高さのダグラス樅(ファー)の、地上から十メーターほどの枝に吊るしてあった。 熟成させずにすぐ食っても固くない上にうまい、肋骨(リブ)のまわりの肉を片山とエレーンが焚火(たきび)で炙(あぶ)っている時、そのグリズリーは枝に吊るされたラムの肉を手に入れようと、太いダグラス・ファーの木に体当りしたり、立ち上がって樹皮を掻(か)き剥(は)がしたり、苛立(いらだ)って幹に噛(か)みついたりする。唸(うな)り声もあげていた。 三百キロぐらいの牡グマ(ボアー)であった。グリズリーは爪が長すぎて樹に登ることが出来ないのだ。 ダグラス・ファーの木に八つ当りしていたそのグリズリーは、ブタのような目を血走らせ、背中のコブのシルヴァー・チップの毛を逆立たせ、ティーピーに向けてまともに突っこんできた。馬よりも早いダッシュだ。 片山とエレーンは、グリズリーが枝に吊るしたラム肉を奪おうとあせっている間に防禦(ぼうぎょ)の手筈(てはず)をととのえていた。 燃える薪(まき)を外に放りだしてティーピーから跳びだした二人は左右に分れた。 片山は矢をつがえたクロスボウを構えた。エレーンは装塡(そうてん)した二六四マグナムのライフルを肩付けして、矢の威力がグリズリーに対して不足した場合のバックアップ・ショットにそなえる。銃を支えた左手に懐中電灯を持って、その光をグリズリーに当てる。 Youtube - barnett commando 175lb crossbow by animal tendencies https://www.youtube.com/watch?v=6l_xg9oUdfI Shooting Barnett Commando Crossbow by xtremgrl https://www.youtube.com/watch?v=2-DzbMQytsg グリズリーが四十ヤードの距離に迫った時、片山はクロスボウの引金を絞り落した。すぐに雪上に片膝をつき、クロスボウの銃床を折って弦を引く。 約三十五ヤードの距離で、グリズリーの顎(あご)の下をかすめた四枚刃の矢は、胸に深々と射ちこまれた。 血も凍るような咆哮(ほうこう)をあげたグリズリーはマリのように転(ころ)がった。 しかし、グリズリーは射たれると、致命傷を負ってなくてもまず転がるクセがあるから、片山は素早く二本目の矢をコマンドウ・クロスボウにつがえた。 果たしてそのグリズリーは、肺から逆流する血を口からこぼしながら四本足で起き上がり、再び突っこんできた。 片山は再び矢を放った。クロスボウを放りだし、腰のホルスターのG・Iコルトを抜いて撃鉄を起す。 二本目の矢を心臓と肺に射ちこまれたグリズリーは、突んのめると、勢いあまって雪上を滑(すべ)ってくる。 片山とエレーンは、大きく左右に逃げた。 ティーピーの入口から五メーターほどのところで停(と)まったグリズリーは、断末魔の唸りを漏らし、全身を痙攣(けいれん)させた。 片山はそのグリズリーの背骨を三本目の矢で砕いてトドメを刺す。エレーンは顔の産毛(うぶげ)を総毛だたせて震えはじめた。 そのグリズリーからは、料理用の脂肪が大量にとれた。シカの脂肪はローソク臭くて料理には向かないが、クマ類の脂(あぶら)は豚脂(ラード)や牛脂(ヘット)よりもうまいという者もいる・・・・・・。 片山たちは渓谷と林とメドウの境をたどって、レッド・ウルフ一族の本拠地があるムスクワ河の上流に一日一日と近づく。未明には気温は零下二十度Cぐらいに下がる。 かつてはストーン・シープ猟のメッカであったこのあたりは、ムースが異常なほど多い。アラスカン・ムースよりも少し小型だが、それでも牝(カウ)を連れているスプレッド六十インチ以上のヘラ状の角を持ったレコード・クラスの牡(ブル)をしばしば見た。 仔(カーフ)を連れた牝(カウ)ムースなど、薄暗い夕暮だと十メーター近くをパック・ホースが通っても、近視眼を見開いて珍しそうに見つめている。一時間ほど馬に乗っているうちに、そんな親子を二十組以上も見ることがある。 ちょうどサカリ(ラット)のシーズンなので、角が無い馬を牝(カウ)ムースと間違え、鼻息荒く乗っかってくるブル・ムースもいる。 ある時は、灰色の森林狼(ティンバー・ウルフ)の一族が、年老いたためにひどく小さな角しかその年は生やすことが出来なかった牡(ブル)ムースを深い雪の吹き溜りに追いつめ、自由のきかない体で必死に反撃しようとするそのブルのハラワタを引きずりだしたり背や尻の肉を食いちぎって丸呑みにしたりし、生きたまま貪(むさぼ)り食っている光景に出くわした。 林やメドウは独身のブル・ムースの、グーッ、グーッという威嚇音の響きに満ち、片山が戯(たわむ)れにオンワー、オンワー・・・・・・と挑戦のコールをたててみせると、木の枝をバリバリへし折りながら、目を血走らせたブルが迫ってくる。 エルクは少なかったが、時々、マウンテン・キャリブーの数百頭の大群を見る。キャリブーが移動する際のクルブシのカチカチ鳴る音は遠くからでも聞える。 グリズリーに殺されて食いちらかされたムースの残骸(ざんがい)もしばしば見る。この寒さなのに物凄(ものすご)い悪臭を放ち、片山は、アフリカでライオンや豹(ひょう)を待射ちするために仕掛けたインパラやウォーターバックやイボイノシシ(ワートホッグ)などの囮(おとり)の死骸の腐敗臭を思いだした。 グリズリーは雑食獣だが、肉食性が強い。ライオンや豹と同じように腐った肉が大好きなのだ。 ビーヴァー・インディアンのレッド・ウルフ老人は、無愛想ながら、快く片山を客人として迎えてくれた。エレーンと片山はウルヴェリンの生皮(なまがわ)三十枚ほどを進呈する。 集落の外れの天幕(ティーピー)がエレーンと片山のために提供され、片山はそこで三日間休息をとった。エレーンと体を交えたあと、 「俺は明日一人で出発する。世話になったな。保安官補のチャーリー・ストーンヘッドのことで君に助けてもらったことは忘れない。だが俺はもっと北に向わねばならんのだ。どうしてもやりとげねばならぬことがあるんだ。俺の我儘(わがまま)を許してくれ」 と、暗い眼差しで言う。 「教えて、あなたの本当の目的を・・・・・・これまでも、何度か尋(き)こうと思ったの・・・・・・でも、そのことを問いつめたら、あなたの心がわたしを離れるのでないかと思って黙っていたの」 エレーンは片山にしがみつきながら激しい声で言った。 「俺の女房と二人の子供は殺された。一年ほど前にパリで・・・・・・ある邪悪な組織がやった爆破事件に捲きこまれたんだ。その邪悪な組織の、醜悪な野望を持つボスが、ここからもっと北に隠れてるんだ。いや、俺を待伏せてるんだ。俺はそいつに報復する。君はレッド・ウルフから、ここから百二十マイルほど先から、四州にまたがった一般人立ち入り禁止の広大な地域があることを聞いたことはないか?」 「聞いたわ。軍隊のようなパトロールが、狩猟のために入ったビーヴァー・インディアンを見つけると、銃で嚇(おど)して追い返すそうよ。なかには、あのなかに入りこんだまま帰ってこない仲間もいるそうよ。殺されたとしか考えられないって言ってたわ。何でも、あのなかでは、戦争ゴッコのようなことをやってるんですって」 「あそこは、邪悪な組織の、秘密軍事基地なのだ。それに、中性子爆弾の研究開発所もある。君は信じないだろうが、あいつらはキャナダの都市や工場地帯を中性子爆弾で攻撃して、キャナダ全体を乗っ取ろうと企んでるんだ」 「都会や工場が潰(つぶ)されても、わたしたちは生きていけるわ」 「いや、中性子爆弾は、穀倉(こくそう)地帯や鉱山施設がある山岳地帯にも射ちこまれる。中性子線の放射能によって人間だけでなく動物たちも殺される」 「・・・・・・・・・・!」 「もし君たちが生残れても、狩るべき獲物がいなくなったら、どうやって君たちは生きていくんだ? だが、俺はキャナダの全住民のためを思って北に向うのではない。あの狂人をなぶり殺しにしないことには俺の気が済まないからだ」 「やめて! 自殺しに行くようなものよ」 「やってみないことには分らん。ともかく、俺は何としてでも生還する積りだ。生きて帰ったら、また一緒に猟をし、魚をとり、楽しい時を過ごそう。日本にも一緒に行こう」 「どうしても北に向うというのなら、わたしも連れていって!」 「いいかい、これまでは・・・・・・モンタナからここにたどり着いくまでは、楽しいヴァカンスのようなものだった。だけど、これから先は本当の戦争、君の想像を絶する汚い戦争がはじまるんだ。これからは、はっきり言って、君が足手まといになる」 片山の表情が冷酷そのものになった。 「ひどいわ、そんな言いかた!」 「君に告白しておくことがある。エレーン。俺は君が大嫌(だいきら)いな筈のグリーン・ベレーにいたことがある。准将にまで昇進したことがある。人殺しのプロなんだ」 「それでも、あなたを愛しているわ・・・・・・行かないで!・・・・・・もう何も言わないで!」 エレーンは片山の唇を自分の唇でふさいだ。 エレーンを説得するまでには未明近くまでかかった。その間、二度交わる。エレーンは二人の天幕(ティーピー)を出てレッド・ウルフのティーピーに行き、夜が明けてから戻ってくる。 十時近くになって片山がレッド・ウルフに別れの挨拶(あいさつ)に行くと、パック・ホースに替えて、極寒地向きの、集落内で最強の馬三頭を贈ってくれた。灰色の馬だ。しかもその馬たちは、放牧しておいても口笛で呼び戻せるだけでなく、西部劇に出てくる馬のように、馬上から発砲してもパニックにおちいらない、ということだ。普通の猟用の馬は、騎手が発砲したりしたら恐怖で見さかいがつかなくなり、騎手を振り落として暴走する。 よく鞣(なめ)したアメリカ野牛(バイソン)の毛皮二枚とキャリヴーの毛皮四枚、それに片山の食糧になるインディアン・ペミカン エレーンは、集落があるメドウから片山が林のなかに消えるまで手を振っていた。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2022年01月30日 19時29分18秒
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