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2022年03月26日
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カテゴリ:Needle Felted Animals


3月22日はテモちゃんの誕生日や 2015年03月22日
あきてもさんのブログ より)
 
 
 
 
 
フレンチブルドッグのテモちゃんフィギャア製作
+籠城継続の2022 そして太陽黒点極大化に備える リターンズ
なにっ、最強の開運日だと?

(なお前回・前々回・前々々回の記事は加筆訂正中です)

他の楽天ブロガーの方の更新記事と某 SNS のトピックスで知ったのだが
3月26日は 2022年最強の開運日なのだそうである。
きっとユーチュバーやスピリッチュアル系インフルエンサーたちが結託して
新たな吉日を定着させるつもりなのだろう。
思えば 1990年代の日本には、「虹の橋」の話もなかった気がする。
さて、最強開運日と云われる26日に愚拙が何をしたかというと、
海外ドラマ「ファーゴ」シーズン2 'Fargo Season 2' の DVDを注文した・・・・・・。
 
 

EXTENDED TRAILER: Fargo Series 2 from Channel 4
 





26日の四日前の 3月22日はテモちゃんの20回目の誕生日だったので、
かれこれ数年前から「3G停波するので機種変して!」と
矢のような 催促 連絡が来ていた携帯電話の新機種を注文することにした。
27日現在も使っている G'zOne TYPE-X で十分だったのだが。
テモちゃん20回目の誕生日だし購入機種も G'zOne TYPE-XX でちょうど語呂もよいか。

こうも毎年毎年、吉日や確変日が増えてしかも一年に何度もあるというのなら、
個人個人が独自の吉日を勝手に設定してよいと考えられる。
幸いにも、クリストファー・ノーラン監督が別次元から見た三次元世界を
映画『インターステラー Interstellar 』(2014)で表現してくれているので
動画を見ながら少し考察してみよう。




Interstellar: Cooper learns the truth
- Interstellar Ending Scene (2014) Movieclips [HD] from 4K Clips HDR






 ね、簡単でしょう? 
・・・・・・これは無理だ。うまく説明できない!
(地球が自転しながら公転する三次元時空連続体を思い描いて脳疲労になりもうした)


とにかく、当ブログは大開運日だとか、来年から〜来月から〜云々・・・・・・
などという大虚構から遠く離れておくことにしよう。
蛇足ついでに書くとしたら、
「毎日が最後の審判の日だ 'every day is Doomsday' 」という
R.W.エマソンの言葉のほうが正しいのではなかろうか。
そのようなことを考えながらエマソン選集を読んでいると、
興味深い文章が見つかったので前後関係がわかる部分を以下に抜粋してみよう。



〝金のために、詩をつくったり、訴訟の弁護をしたり、法案を通過させたりするというような、どんな文学的職業的な仕事でもやってのけられる人間、自分の才能を、強力な意志によって、どんな方向にでも無造作に転ずることができる人間    こんな連中は食わせものなのであって、私たちはこんな人間を必要としない。否、この世でなされた最上のもの、すなわち、天才の作品は、何の代価をも払わずに成就されたものなのだ。苦しい努力はなく、思想の自然な流露があっただけなのである。シェイクスピアは、鳥が巣をつくるように、『ハムレット』を書いたのだ。幾多の詩は、夢うつつのあいだに、いい加減に書きあげられたものなのである。詩神は自分をこんな具合に定義している   
 
  人びとがなかば閉ざせる眼もて、
  落日の光のなかに見る
  もろもろの姿こそ、われなれ
  
  [訳註・ウォールター・スコットの小説『僧院長』のなかの詩]

 絵の巨匠たちはよろこびのあまり画筆をとったのであって、絵のもつ力が自分から発していることを意識しなかった。英国のすぐれた抒情詩人たちの詩作もそのようにして行なわれた。それは微妙な力の微妙な開花であった。それは、フランスのある女性の手紙について言われたように、「彼らのさらにうるわしい生活からふと生まれたうるわしいもの」なのである。詩人は歌をつくったからといってその力が貧しくなるものではない。自由な美しい境地でうたわれたものでなければ、歌は歌ではない。うたう者が、義務感から、あるいは逃げ道が見あたらないので、仕方なくうたうのならば、そんな歌など欲しくはない。眠ろうとしない者だけがよく眠ることができる。書いたり話したりすることなどあまり眼中におかない者だけが、いちばんいいものを書いたり話したりできるのだ。
 
 同じ法則は、科学の場合にもあてはまる。科学者は、ただの好事家にすぎないことが多い。彼の業績というのは、みみずおたまじゃくしや蜘蛛の足などに関して、学会に提出した研究論文である。その観察の仕方は他の学者たちと別に異なるところはない。大げさな身ぶりで顕微鏡をのぞきこみ、研究論文を書きあげ、朗読し印刷に付してしまうと、いつものきまりきった生活に戻るのであるが、その生活は彼の科学者としての生活とはまったく別個のものである。しかしニュートンの場合には、科学は呼吸のようにのびやかなものであった。彼は、自分のくつのびじょう(※尾錠)を締めるのに用いるのと同じ知恵を働かせて、月を測定した。そして彼の生活はその全体が、単純で賢く、威厳があった。アルキメデスの場合もその通りで、いつも、大空のように、変るところがなかった。リンネ[訳註・スエーデンの植物学者。分類法の創始者、1707 - 78 ]の場合にも、フランクリンの場合にも、同じような優美さとむらのなさが認められる。高い台にのぼったり背のびしたりしないのである。しかも彼らの残した成果はすこやかなものであって、全人類にとって忘れ得ぬものとなっている。
 
 時間からその幻想をはぎとり、一日の核心ともいうべきものを見いだそうとするとき、私たちにとって、「瞬間」というもののもつ性質が問題になり、時間の長さなど、まったくどうでもいいことになる。意味があるのは、私たちの生きる深さであって、生活の表面的なひろがりなどでは断じてない。私たちは永遠へと突入してゆく。時間とは永遠のうつろいゆく表面にすぎない。そして、まことに、思想の速度がすこしでも加われば、思想の力が少しでも増してゆけば、人生は巨大な長さをもつもののように見えて来るし、じじつその通りなのである。私たちは依然としてそれを時間と呼ぶが、思想のその加速度とその深化が効果をあらわしてくるとき、それは、(永遠という)別の、高い名称で呼ばれなければならないのである。
 
 多くの経験を重ねる必要のない人びとも世の中には存在する。何年か活動したあとで、自分はこんなことはみな前からわかっていたと言える人間、一目みただけで愛したり憎んだりする、つまり相性であるか虫が好かないかをすぐ見抜く人間、いつも一つの状態にあって、生きることを楽しんでいるので、他人のように、自分のおかれた状態を気にしない人間、他人に指導されるのではなく、他人を指導する人間、俺は成功するのに値する人間だと意識しているので、ありきたりの成功獲得の道などいつも侮蔑している人間、自存と自助の力をもつ人間、社会のなかにあって本来の自分をもち続けることを許され、現在において偉大である人間、才能以前の存在あるいは才能以後の存在であって、才能など道具としか心得ていないので、才能はもたず、それをもとうともしない人間  これこそ一個の人格であって、哲学が到達した最高のものなのである。
 
 重要なのは、ある英雄がこれをするとか、あれをするとかいうことではなくて、彼の人間そのものである。彼が何者であるかは、彼の一言一行にあらわれる。このようにして、瞬間と人格とは一つのものとなるのだ。
 
 (ラルフ・ウォルドー・エマソン 著 小泉一郎 訳 日本教文社 発行
  『エマソン選集3 生活について』「仕事と日々」 P.242 ~ 244
) 




〝...
 We do not want factitious men, who can do any literary or professional feat, as, to write poems, or advocate a cause, or carry a measure, for money; or turn their ability indifferently in any particular direction by the strong effort of will. No, what has been best done in the world,—the works of genius,—cost nothing. There is no painful effort, but it is the spontaneous flowing of the thought. Shakspeare made his Hamlet as a bird weaves its nest. Poems have been written between sleeping and waking, irresponsibly. Fancy defines herself:—

“Forms that men spy

With the half-shut eye

In the beams of the setting sun, am I.”

The masters painted for joy, and knew not that virtue had gone out of them. They could not paint the like in cold blood. The masters of English lyric wrote their songs so. It was a fine efflorescence of fine powers; as was said of the letters of the Frenchwoman,—“the charming accident of their more charming existence.” Then the poet is never the poorer for his song. A song is no song unless the circumstance is free and fine. If the singer sing from a sense of duty or from seeing no way of escape, I had rather have none. Those only can sleep who do not care to sleep; and those only write or speak best who do not too much respect the writing or the speaking.

The same rule holds in science. The savant is often an amateur. His performance is a memoir to the Academy on fish-worms, tadpoles, or spiders’ legs; he observes as other academicians observe; he is on stilts at a microscope, and his memoir finished and read and printed, he retreats into his routinary existence, which is quite separate from his scientific. But in Newton, science was as easy as breathing; he used the same wit to weigh the moon that he used to buckle his shoes; and all his life was simple, wise and majestic. So was it in Archimedes,—always self-same, like the sky. In Linnæus, in Franklin, the like sweetness and equality,—no stilts, no tiptoe; and their results are wholesome and memorable to all men.

In stripping time of its illusions, in seeking to find what is the heart of the day, we come to the quality of the moment, and drop the duration altogether. It is the depth at which we live and not at all the surface extension that imports. We pierce to the eternity, of which time is the flitting surface; and, really, the least acceleration of thought and the least increase of power of thought, make life to seem and to be of vast duration. We call it time; but when that acceleration and that deepening take effect, it acquires another and a higher name.

There are people who do not need much experimenting; who, after years of activity, say, We knew all this before; who love at first sight and hate at first sight; discern the affinities and repulsions; who do not care so much for conditions as others, for they are always in one condition and enjoy themselves; who dictate to others and are not dictated to; who in their consciousness of deserving success constantly slight the ordinary means of attaining it; who have self-existence and self-help; who are suffered to be themselves in society; who are great in the present; who have no talents, or care not to have them,—being that which was before talent, and shall be after it, and of which talent seems only a tool: this is character, the highest name at which philosophy has arrived.

’T is not important how the hero does this or this, but what he is. What he is will appear in every gesture and syllable. In this way the moment and the character are one. 〟

 Ralph Waldo Emerson “VII. Works and Days” in The Conduct of Life 1860



「来年からどうこう〜〜」「開運日が〜〜」などと言っている人間は、
よもや上掲のような考え方がある事さえ知らないだろう。
何しろ日本語では翻訳本を手にして読まない限り、
生涯目にすることのないであろう文章なのだ(ネットに掲載してしまったぞ)。
引用文の中で注目すべき箇所のひとつは、
 
〝俺は成功するのに値する人間だと意識しているので、
 ありきたりの成功獲得の道などいつも侮蔑している人間、
 自存と自助の力をもつ人間、
 社会のなかにあって本来の自分をもち続けることを許され、
 現在において偉大である人間、
 才能以前の存在あるいは才能以後の存在であって、
 才能など道具としか心得ていないので、才能はもたず、それをもとうともしない人間
 これこそ一個の人格であって、哲学が到達した最高のものなのである〟
 

という部分である。現代社会は真逆の情報発信をしている指導者が多すぎる。
日々垂れ流される金満スピリッチュアルやマルチ商法などの勧誘は、
確固たる人格をもつ人ならば、まともに相手にする必要がないものだ。
信者ビジネス、セミナー商法がまかり通る由縁がこれだ。
世の中が一個の人格ばかりであったなら、
成功法則の本がベストセラーになったりはしないのだ。
これらの金満スピリッチュアルの特徴として
簡単な(劣化した)作業(ワーク)の提唱が挙げられる。
「〜〜〜すれば〝解脱〟できますよ」
「〜〜〜すれば金銭的利益が・・・幸福感が・・・」
と〝欲ボケ〟人間たちをターゲットとして狙い撃ちし、
令和の世に「引き寄せ」ではなく「偏在」の〝場〟を構築した点においては
その手腕、その巧言令色たるやお見事だと言える。
ところが彼らの生き方は、哲学者たちが憎み遠ざけた俗物そのものなのであって、
結論を言えば独立した個人はその〝場〟から急いで遠ざかるに越したことはないのである。











鬼束ちひろ 流星群
2002年 2月 6日 リリース

 



 


 
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Last updated  2022年04月11日 04時29分58秒
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