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テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一一二の奥に入る 心友問う。費の字を解して、「たからとせざる也」との給うは、何ぞや。 云う。上古は貝を以てたから(寳)とす。 費の字、弗〔ふつ〕・貝〔かい〕の二字を合す。如・心を怨〔えん〕とするの類〔るい〕也。 財〔ざい〕散ずる時は民あつまるといえり。散ずるはたからとせざるの義〔ぎ〕也。 用の広きといえると意相近し。 財の字も貝にしたがう。いにしえ貝をたからとせし故〔ゆえ〕也。 いにしえのたからの貝は、いづれの貝ということをしらず。 後世金銀銭を以てこれにかえたり。 堯〔ぎょう〕の時、天下洪水にて五穀足らざるゆえに、銭を作りて交易の助けとなし給えり。 広く天下に用うるのみ、いまだ君の蔵〔くら〕にたからとし納めたることなし。 賢君のたくわえ(貯え)は民〔たみ〕のためのたくわえ也。 故に、王城にあつめずして在々所々に五穀をつみ置きて、 水旱〔すいかん〕饑饉〔ききん〕の備えとし給う。 民みな己〔おのれ〕が用と思いて君の物とせず。君の私〔わたくし〕のたくわえなければ也。 これたからとせずして用の広き也。 道は天下の道にして君子の私〔わたくし〕すべき理〔ことわり〕にあらず。 然〔さ〕れども、其の大本〔おおもと〕は未発にして声もなく臭いもなし。 聖人といえ共〔ども〕あらわすことあたわず(能わず)。 これを無といわんとすれば神明不測也。 これを有といわんとすれば形色声臭なし。 無欲になるがゆえによるところなし。好悪〔こうお〕なきが故に過不及なし。 しばらく名をかりて中といえり。 昔も今も末世も、終〔つい〕にあらわれざる物〔もの〕也。 故に造化の根〔ね〕たり。 寂空〔じゃくくう〕虚無〔きょむ〕もこれが名とすれば病〔やまい〕あり。 ただ隠といいて、無にながれず有をのこさず、かくるると云うにつきて其の神を知る。 聖人の言〔げん〕、妙なり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2023年01月13日 19時48分51秒
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