|
カテゴリ:カテゴリ未分類
大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計 百年いつも動いてた ご自慢の時計さ おじいさんの生まれた朝に 買ってきた時計さ いまはもう動かない その時計 百年休まずに チクタクチクタク おじいさんといっしょに チクタクチクタク いまはもう動かない その時計 なんでも知ってる古時計 おじいさんの時計 きれいな花嫁やってきた その日も動いてた うれしいこともかなしいことも みな知ってる時計さ いまはもう動かない その時計 この歌聴いてピンと来ない人はまずおりますまい。”大きな古時計”と言う名で世に広く知られたこの名曲、しかし、この曲がどうやって生まれたかは知っている人は少ないんではありますまいか?ヘンリー・クレイ・ワーク作詞・作曲のこの歌が生まれた背景には、実はこんなエピソードが・・・ ”大きな古時計”を作詞作曲したH.C.ワークが、1874年に劇場公演のツアーに加わるためにイギリスに渡り、ダーラム州ピアスブリッジ(Piercebridge in County Durham)にあるジョージ・ホテル(George Hotel)に宿泊した時のこと、そのホテルに置かれていたロングケース・クロック(long-case clock)に目が留まり、 ”動いてもいない古びた時計が何故おいてあるのか?” とホテルの主人に尋ねた所、その主人はあるエピソードを語り始めた。 H.C.ワークが訪れる数年前まで、ジョージホテルはジェンキンズという二人の兄弟によって所有されていた。彼らは生涯独身だったが、地元の人々からの信頼がとても厚い兄弟だったと言う。ジョージホテルのロビーには、ジェンキンズ兄弟の兄が生まれた日に購入した2mを超える大きな木製の時計が置かれていて、ジョージホテルの顔となっていた。その時計の正確さは驚くべきもので、時間がずれたりすることは一日もなく、1年中正確な時を刻み続けていたので、宿泊客が馬車の出発の時刻を知るのにとても役に立っていたと言う。 しかしある日、ジェンキンズ兄弟の弟が病に倒れ、そのまま亡くなった。すると、今まで数秒も狂う事無く正確に動いていた大きな時計の時間が急に遅れ始めてきた。最初はほんの数分程度の遅れだったが、弟の葬儀が済んだ後に時計職人が管理していたにもかかわらず、その時計は徐々に遅れの度合いを増し始め、ついには一日に15分も遅れるようになってしまった。 弟の死から1年後、弟の後を追うようにして兄・ジェンキンズも死亡する。彼の死を聞きつけてホテルのロビーに集まった友人達が、ロビーにある古時計を見て愕然とした。と言うのも、時計の針は11:05分で指したまま、動いていたはずの振り子も時を刻むことを止めてしまっていた。そしてその11:05分と言うのは、正しく兄・ジェンキンズが亡くなったその瞬間だった―。 ジェンキンズ兄弟の死後、新たにジョージ・ホテルを引き継いだオーナーが、ホテルの顔とも言うべきその時計を修理しようと、時計職人に何度となく依頼したが、結局時計が再び時を刻むことは無かった。そしてその針は、最後まで11:05を指し続けていたと言う。 H.C.ワークは、当時のホテルのオーナーから聞いたエピソードに強い印象を受け、その日一晩中寝ずにこの逸話についての曲を書き上げて、「My Grandfather's Clock」という曲として発表し、この曲を早速アメリカに持ち帰り発表したところ、多くの人々の賞賛を得てこの作品はミリオンセラーになった。そして今も多くの人々に歌い継がれている。 突然なんでこんなことを書くのかと訝しく思う方もおられるかも知れませぬが、御庭番の愚父の父、即ち拙者のじーさんは実は日本でも数少ない一級時計技師の一人。じーさんの腕は大したもので、やんちゃな童子であった御庭番がじーさんの工房に遊びに行って、机の上の部品をごちゃごちゃにしても、じーさんは涼しい顔して、ハナクソみたいな部品をひとつひとつピンセットで摘んで、あっと言う間に時計を組み立ててしまった。じーさんが組み立てた時計は、電池が切れない限り一分一秒たりとも狂ったことは無く、御庭番はじーさんが歳取って隠居するまで時計を他の店で買ったことが無い。しかしながらこのじーさん、昔ながらの職人気質で、行きずりの御客人がちょっとした修理を頼んでもすぐに直してしまって金を取らなかったが、礼も言わずに立ち去ろうとした若僧を 「おい、ちょっと待て」 と呼び止めて散々説教したと言う頑固爺ぃ。1970年代にクオーツ時計が流行り始めた為、時計職人の存在は余り脚光を浴びることは無かったが、戦時中から隠居するまで、病弱なばーちゃんと三人の子供を抱えて貧乏しながらも職人としての誇りを失わなかったと言う御仁であった。 冒頭の”大きな古時計”は、最近平井堅が歌ったんで改めて見直された曲だが、御庭番は幼少の頃からこの歌を聴く度に、つるぴかはげちゃびんのじーさんを思い出しており申した。御庭番の発案にも時計をネタにした発案がありますが、御庭番の時計好きはこのじーさんの影響であることは疑いようの無い所。しかし、この曲を聴くとなんとなしに物哀しい気分になるのは、やはりこの曲に纏わるエピソードが生む哀愁が曲に滲み出ているのでしょうな。 で、そのじーさんが亡くなりました。享年九拾弐歳。 九十越えてめっきり老け込んだので、近々見舞いにでも行こうと思っていた矢先の大往生。私事なので、日記に書こうか書くまいか悩んだんでござるが、昨日の日記で”ぷろじぇくと×(ぺけ)の日記更新を次の日記で”と書いてしまったので、お断りだけしとこうかと。ちょっとこーゆー事情なんで服喪中のギャグネタはナシコさんとさせて頂きます。 日記の更新も 日記の更新まだ~(゜▽゜)?ドンドン つっても更新できないかもしれませんのでそこんとこヨロシク(^▽^;) -------------------------------------------------------------- 真夜中にベルがなった おじいさんの時計 お別れのときがきたのを みなにおしえたのさ 天国へ昇るおじいさん 時計ともおわかれ いまはもう動かない その時計 いまはもう動かない その時計・・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|