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テーマ:ささやかな幸せ(6740)
カテゴリ:木曜日:セラピストになりたいの
今日は、まぁちゃんの幼稚園の終園式。 4月に入園したまぁちゃんは、この100日余りで大きくその双葉を成長させました。 幼稚園の先生や園児達のお母さま方の助けを借りて、今までできなかったことを一つ一つできるようになって、それが少しずつ彼女の自信となり、地と肉になっていったようです。 そして親の私も、親としてどうあるべきか?を鍛えていただいた100日でした。 独りよがりではない、自分勝手ではない、お友達ではない、そんな「親」としての目線を教えていただいた1学期。 子供の伸びる早さには到底追いつかないけれど、私も少しは成長できたかしら?そう思えるようになったここ数ヶ月。 人生は一生勉強ですから、こうして自分自身を固く覆った殻を壊し、新しい自分を再構築する機会を与えていただけたことには、本当に感謝しています。 お友達からも、随分変わったと言っていただけるようになって、それが自分の自信に繋がっているのかもしれません。 今日の終園式では、幼稚園のお隣の教会の牧師様が講話をしてくださいました。 8月に婚約をなさる若い牧師先生は、子供達にとっては毎日遊んでくれるお兄さんのような存在です。 その先生から、この100日でいかに一人一人が成長して、それがどんなに先生達を喜ばせているか?というお話をして頂き、子供達は皆神妙な顔をして、でも笑みを浮かべて誇らしげに聞いていました。 4月の聖句として教わった、「神は愛である」という言葉は、聖書の教えの中でも根幹をなす言葉なのだそうです。 そして、約450年前初めてキリスト教が日本に伝わったとき、宣教師達はこの言葉をどう日本語に訳すか?頭を悩ませたそうです。 「愛」なんて今では当たり前に使われる言葉だけれど、当時は中々上手い言葉が見つからなかったのかもしれません。 そして今、当たり前のように使われる「愛」という言葉も、その言葉が持つ本質からもしかしたら遠ざかっているのかもしれません。 では、当時の宣教師はどう訳したか? それは、「神様のお大切」。 この世に存在する全ては、「神様のお大切」な存在。 愛=お大切・・・・。 なるほどねぇ。 今日初めてこれを聞いて、「愛」という物が分かった気がしました。 あなたも、私も、海も空も、この地球も宇宙も、全てが「お大切」な存在。だからこそ横柄な態度で接する事は許されないし、かけがえの無いものなのです。 私以外の全ての存在に対しても! 私という存在に対しても! ちょうど今、シスター鈴木秀子さんの本を読んでいたのですが、その著書では「あるがままの自分を愛する」事の大切さがよく説かれています。 禅語の勉強をしていても、論語の本を読んでも、老荘思想を学んでも、やはり「あるべきように・・・」ということの大切さを説かれています。 でも今までは、その「あるがままの自分を愛する」ということが、頭では大事だと分かっても心の奥底に染みとおる言葉となって私の中に落ちてきていませんでした。 それが、今日の牧師先生の言葉で、今までせき止められていた言葉の水が清冽な流れとなって心に満ち溢れました。 あるがままの私を「お大切」に扱う。 その心で、あるがままのあなたをお大切に扱わせていただく。 それ以外には何も無い。 コロンブスの卵のように、分かってしまえは「な~んだ!」ということだけど、人はこうやって一つ一つ魂に気づきを与えていくのでしょうね。 この「お大切」を自分の力とするために、まずは↑の本に書いてあった、自分の体の「今あるがまま」を受け容れ、認めて、調和するレッスンから初めてみようと思います・・・。 肉体は、魂の乗り物。決して肉体=魂ではありません。 けれど、悲しいかな乗り物が故に操縦する魂によってどのようにも扱われてしまう。 粗略に扱われた結果故障や不調や不満な点が起きると、魂は自分がやったことは棚にあげついつい「もう少しやせてれば・・・」とか「こんな体じゃいやだ」とか、不平が生まれてきてしまう。 私もそうでした・・・・。 でも、こうしたのは「私」。 だから、それを受け容れて、それを許していただいて、私の今あるがままを大切にすることから始めてみよう。 このファーストステップを学んで、「お大切」な肉体を慈しみ、その心を刻み込もう。 次はあなたを「お大切」に扱わせていただく事が、上手にできるようになるといいな。
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