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テーマ:ささやかな幸せ(6740)
カテゴリ:自分を育てる
「私は、大器晩成だもんね。」 これは、いつも自分に言っていること。 120歳まで生きようね!と心友のTちゃんと話しているので、それから考えたら今はまだまだひよっ子。 しっかり自分作りをする時です。 先日近所のコンビニで、万引きをした事で警察に通報されたお子さんのご両親が、そのお店のせいで子供が前科者になったと怒鳴り込んでいくという騒ぎがありました。 「お店に商品があるから子供が盗りたくなる。万引きされたくなかったら、商品を置くな。」というのが、その親御さんの主張です。 わが子を前科者にはしたくない。 でも、曲がりなりにも社会生活を数十年送ってきたからには、きっと善悪の区別はつくはず。 なんだかおかしな世の中になったもんだなぁと、聞きながら思った次第でした。 独裁国家のように言論の自由が許されない国ではなく、学ぼうと思えばどれだけも手段があり、手に入れられる国に住んでいる私たち。 格差社会と言われて久しい昨今、経済的な格差はもちろんですが、本当は一人一人の心の格差が一番大きいことなのかもしれません。 「正しい味覚が失われれば、本気で取り戻そうと思っても3世代かかる」と以前料理家の方が仰っていたけれど、同じように自分という基軸を失ってしまったら、生きる基軸を取り戻し整えるために、どれだけの世代が必要になるのかしら?と思ったのと同時に、自分自身を整えることを怠ってはならないと改めて考えさせられました。 さて、今日の学びは・・・・。 『陰と陽のバランスをとる』 世の中には陰と陽があって、プラスとマイナスで物事が成り立っています。飛行機もすごい風圧がなければ、飛び立っていきません。世の中は抵抗があるから物事が成り立っていくのです。大きな事業も、大きな抵抗があるときに大きなことがなされていくといわれています。伸び上がっていくのが陽であるとするならば、それを伸び上がらせまいとする陰という力も必要です。陰と陽のバランスをとっていくことが、この世の中ではとても大切なこととなっていくわけです。 ~中略~ 何が良いのか、これこそいいと思うことが、案外そうではないということがけっこうあります。私たちが今、おかれている場の中で、たくさんいいことがあるということに目を向けていくこと、それが私たちを幸せにしてくれる大きな力になります。自分は決して一人では生かされていない。色々な人に生かされているのです。 きしきしと 牡丹つぼみを ゆるめつつ 山口青邨(やまぐちせいそん) 「きしきし」は一ミリ、また一ミリということです。牡丹はあの素晴らしく大きな牡丹に花開いていく。その牡丹が花開いてゆくには、パッと花開きません。この「きしきしと」という音の中に、静かに少しずつ、少しずつ、つぼみが開いていって、あの大輪の花になるという情緒が歌いこまれています。 私たち一人一人の人生がこの大輪の牡丹だとするならば、自分が幸せになり、あなたのそばにいる人が、あなたの存在ゆえに幸せになっていく。あなたが幸せの発信地になっていく。その小さい努力が「きしきしと」ということです。 あなたというつぼみが花開いて、大輪の花になるときは、死ぬときです。人生を完結させて、素晴らしい花になっていく。あなたの後から続いてくる人に、思い出の中に種を残していって、その人たちがまたその種を生かしていく。私たちは大輪の花を死ぬときに開かせるために、つぼみを今一瞬一瞬、きしきしと小さい音を立てながら、少しずつ花を開かせていきます。 小さいことから花は開いていくのです。一度に大事を望まないでください。幸せは方向を一ミリ変えるだけです。 (奇蹟は自分で起こす 鈴木秀子氏著より) 私が、「我が人生は成った」と感じるときは、きっと死ぬ瞬間。 その種子を残した後続のたちがまたその種を生かしたいと思ってくださるような、大輪の花を大きく開かせることができたなら、きっと本望。 一歩一歩は小さな努力。 「きしきしと」積み重ねて、幸せになっていく努力。 まずは今日!、時は今!ですね。
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